2件ほどセミナーと講習会に参加してきたことをメモ書きしておきます。
まず簡単に…数学活用と、心理学に対する考えを述べておきます。
・数学活用とは、今年から高校数学の新課程として新しく入った内容です。
今まであった数学基礎をさらに生活の上で数学(の考え方)がどのように役に立っているか、そしてちょっぴり数学史の要素も入ったと言う感じです。
・心理学に対する、私自身の意識付け。
大切な学問で、何かを考えるためのちょっとしたキッカケを作るだけであって、心理学によってすべての状況(欝、いじめ、差別など)が改善されるわけではないと思っています。
ただ、自分の中に「こういうことも考えられるのではないか」と言う基準と、冒してはならない「タブーの領域」を見極めるために必要と考えています。
それでは、以下に参加したセミナーと講習会の紹介と、簡単に内容を振り返っておきたいと思います。
第35回 名古屋大学数学教育セミナー (参考:こちら)
・数学における相対性と相補性(大沢健夫先生)
・『数学活用』という教科書(根上生也先生)
今回は、数学活用の方だけ少し書くことにします。
根上先生は、実は友人の指導教官と言うことで一方的に知っていて、またFacebookで発言を公開していらっしゃるので、購読もしていたので、講演の始まりから最後まで、大体イメージしていた通り…と言った先生でした。
巧みな話術でとても引き込まれる講演で、さすがテレビに出たこともある人だな~と感じたりもしました。
「なるほどなるほど」と思うこともあり、教員が反省し変えていくべきことと、マスコミや、学生や生徒の両親がもっと教育に関わってくるような社会になることを願います。
(特にマスコミに対する上手い扱いをしている根上先生みたいな方が増えるのであれば、大賛成です。マスコミに踊らされ、ピエロのように扱われるような某先生方は…と、)
数学活用の内容についてですが、かなりよく考えられているみたいです。
進学校以外でも「問題を解く」ことが数学では重要になっていますが、それに警鐘を鳴らし、「解くために何を考えるのか」と言う数学が社会でどのように「役に立っているか」を強調するような教科書にしたかったのだと。
文系だからと言って、数学が必要ではないのかと言えばそうではないとも言っていたかと思います。
この「数学」と言うものの本質の考えは、前にも名古屋大学数学教育セミナーにおいて、浪川先生が仰ったことにもありますし、私自身も、そして私の周りの人にもそう考えている人が多く居ましたが…。
もちろん、そう考えていない先生が居て、さらにその先生が歳を取っていれば、さらに問題になります…。
根上先生も仰っていましたが、私達教員も現場を見て変わって行かなければなりませんと。
大学生の質が悪くなったと、嘆くばかりではなく、それを変えるために何を出来るか考え、数学活用の教科書作成にも携わったということでした。
ここで感じたのは、大学教員は(特に数学関係?)現状の教育をかなり心配している人が多いということです。
数学が蔑ろにされていることもやはり問題なのでしょう…。
私は思うのですが、「数学が出来る」という言葉を無くすか、共通の意識を持つための定義を何か作るべきでしょう…ね(苦笑)
平成24年度 後期 天白区生涯学習センター 講座
「知らず知らずのうちに偏見や差別をしていませんか?」 (参考:こちら)
第1回 偏見や差別はなぜ生まれてしまうのか? 人を見る心のメカニズム
愛知淑徳大学心理学部の斎藤和志先生による講習会でした。
人間の基本的欲求(特に、対人関係における)は、理解、予測、統制があるそうです。
この理解は、自分のことを理解することと、自分の周りを理解することで、自分を守ることに繋げたいと思っていて、この理解によって、「この人なら~してくれそうだ。」などの予測に基づいた行動(統制)によって、快適な生活環境を作りたいと思うのが、人間の基本的欲求にあるそうだ。
予測は例えて言えば、「この人なら私の意見に賛成してくれそうだ。」「この人ならお金を貸してくれそうだ。」などがそうです。
そして、人間は奥底には、(自分の興味ないことに対してだと思いますが)「あまり頭を使わないようにしたい…見ただけで分かるようにしたい」という思いがある、認知的倹約家であるそうだ。
(自動的な判断をすることで負担を減らす)
この部分に、偏見や差別の背景にある心理的メカニズムがあるそうだ。
また、「人を見かけで判断してはいけない」とよく小学校や中学校では言うが、大人でも知らず知らずにしているし、むしろそれは悪いことではない。
例えば、知らない場所で道を訪ねたり、時間を聞いたり、カメラを預けて写真を撮って貰ったりする行為も、対象を忙しくなさそうな人、親切そうな人(強面、サングラスなどしてないなど)にしている。
これは、「人を見かけで判断していること」である。
さらにもっと言えば、それを利用したものもあり、漫画「ドラえもん」の主人公であるのび太は、優秀そうではないし、ドラえもんは道具を悪用するようなキャラクターには見えないや、水戸黄門の悪役は大体相場がつくなどがある。
似たものに、血液型や生まれた季節によって性格判断をすることがある。
これは、人間が「自動的な判断を行える」という意味で、「やっぱりこの人は~だから」という判断材料として非常に良いカテゴリー分けができるからだそうだ。
血液型も生まれた季節も4つという非常に良い数字だからだそうで、星座になると自分の星座は分かっても、自分の前後の星座すら知らない人が多いのが特徴だそうだ。
(血液型はほぼ関係ないだろうが、季節の場合は、両親の養育態度が関係することがあるので、性格に関係することもあるみたいだ。例えば、第一子で、さらに冬に生まれた子と、第三子の春なら全く違う育て方をするだろうし、それが性格に関わることもあるということだ)
心理学では、その「人を見かけで判断すること」で否定的な態度に対していうことを偏見といい、特に行動的な側面を強調した場合は差別と呼ぶのだそうだ。
また、ステレオタイプは「人を見かけで判断すること」で肯定的とみられる場合をも含むことに対して使うそうです。
最後に、「心のメカニズム」を知ることでブレーキの位置と掛け方を知ろうと、仰ってました。
(これは、イジメ問題の話を名古屋市教育委員会のシンポジウムで聞いた時と同じような…)
また、この講習会で面白そうな、簡単な本を教えて貰ったので、今度読んでその感想を今度書いてみましょう。
---
なかなか数学が(?)忙しくて、教育書もあまり読めてませんが、今後もこういう講習会などには参加していきたいですね。
教育書はいずれ時間を取れば読めますが、講習会は一度限りかも知れませんからね。
人間の基本的欲求(特に、対人関係における)は、理解、予測、統制があるそうです。
この理解は、自分のことを理解することと、自分の周りを理解することで、自分を守ることに繋げたいと思っていて、この理解によって、「この人なら~してくれそうだ。」などの予測に基づいた行動(統制)によって、快適な生活環境を作りたいと思うのが、人間の基本的欲求にあるそうだ。
予測は例えて言えば、「この人なら私の意見に賛成してくれそうだ。」「この人ならお金を貸してくれそうだ。」などがそうです。
そして、人間は奥底には、(自分の興味ないことに対してだと思いますが)「あまり頭を使わないようにしたい…見ただけで分かるようにしたい」という思いがある、認知的倹約家であるそうだ。
(自動的な判断をすることで負担を減らす)
この部分に、偏見や差別の背景にある心理的メカニズムがあるそうだ。
また、「人を見かけで判断してはいけない」とよく小学校や中学校では言うが、大人でも知らず知らずにしているし、むしろそれは悪いことではない。
例えば、知らない場所で道を訪ねたり、時間を聞いたり、カメラを預けて写真を撮って貰ったりする行為も、対象を忙しくなさそうな人、親切そうな人(強面、サングラスなどしてないなど)にしている。
これは、「人を見かけで判断していること」である。
さらにもっと言えば、それを利用したものもあり、漫画「ドラえもん」の主人公であるのび太は、優秀そうではないし、ドラえもんは道具を悪用するようなキャラクターには見えないや、水戸黄門の悪役は大体相場がつくなどがある。
似たものに、血液型や生まれた季節によって性格判断をすることがある。
これは、人間が「自動的な判断を行える」という意味で、「やっぱりこの人は~だから」という判断材料として非常に良いカテゴリー分けができるからだそうだ。
血液型も生まれた季節も4つという非常に良い数字だからだそうで、星座になると自分の星座は分かっても、自分の前後の星座すら知らない人が多いのが特徴だそうだ。
(血液型はほぼ関係ないだろうが、季節の場合は、両親の養育態度が関係することがあるので、性格に関係することもあるみたいだ。例えば、第一子で、さらに冬に生まれた子と、第三子の春なら全く違う育て方をするだろうし、それが性格に関わることもあるということだ)
心理学では、その「人を見かけで判断すること」で否定的な態度に対していうことを偏見といい、特に行動的な側面を強調した場合は差別と呼ぶのだそうだ。
また、ステレオタイプは「人を見かけで判断すること」で肯定的とみられる場合をも含むことに対して使うそうです。
最後に、「心のメカニズム」を知ることでブレーキの位置と掛け方を知ろうと、仰ってました。
(これは、イジメ問題の話を名古屋市教育委員会のシンポジウムで聞いた時と同じような…)
また、この講習会で面白そうな、簡単な本を教えて貰ったので、今度読んでその感想を今度書いてみましょう。
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なかなか数学が(?)忙しくて、教育書もあまり読めてませんが、今後もこういう講習会などには参加していきたいですね。
教育書はいずれ時間を取れば読めますが、講習会は一度限りかも知れませんからね。
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