『才能』とは
私は、別に数学に才能があるとも思っていない。
その才能と言う言葉が、何を指しているのかは、厳密には分からないが
大学入試などで出会う、新しい形の問題をすぐさま解けるぐらいの才能はない。
粗探し、間違え探しをする才能はあると思う。
私の高校は、工業高校であり、進学をする人も殆どは、推薦やAO入試などだった。
そのため、私みたいな人間でも、高校1年の時の模試では、校内1位であった。(国語以外は、すべて1位で、総合1位だった。)
また、高校2年生の時に、3年生も含んだ校内数学模試(?)みたいなので、1位にもなってしまった。
さらに、高校2年生の夏前か、夏後ぐらいの模試では、県内3位になった。
自分でも才能があるんじゃないかとか、勝手に思っていた。
だけど、それは大きな間違えだった。
高校2年生の数学では、微分を習う。
その時、数学の先生は、「連続と微分可能」について中途半端な知識を与えてくださった。
私は、その時に「連続ならば微分可能とは限らない、だから微分可能であることを調べる必要がある」とぐらいに受け止めていた。
それだけを受け止めていたから、中間試験において出題された微分に関する問題は、私に取っては、どうすればよいか分からないことが多かった。
・定義に従って微分せよ
・微分せよ
・接線を求めよ
など、色々あった。しかし、どの問題にも、その関数が微分可能であるとは書いていなかった。
だから、私は最初の問題から詰まっていた。
「まず、微分が可能であることを示さなければならない」と書いて
色々と模索はしたが、実数上で微分可能であることの証明など高校では扱わない。
それを私は、自分の勉強不足だと思い、この試験では結果が出せなかった…と思い込んだ。
しかし、試験終了し、周りがみんなすべて解けた、時間が足りなかったと言う話をしている中、私は一人、悔しい思いをしていた。
だが、その後、担当の数学の先生に呼び出され、「高校で習う関数のほとんどすべては、微分可能だから、そんなことは気にしなくてよかった。今回のこれに関しては、点数をあげるわけにはいかないけど、次の試験などを考慮して、成績は付けるから、頑張れ。」と言われた。
その時にやっと、高校数学というものが、いくつか曖昧なものを残していて、ある程度は騙して教えていて、解かなきゃいけないのだと知った。
しかし、この時に、自らなぜだと思い、大学生が読むような、数学書を読まなかったのが、私にとっては、不幸だったのだろう。
学校の先生も薦めてくれれば、私はもっと数学の世界を早くに知れたのに。
そんなことを今更思っても仕方がないのだから、今もう一度勉強をするのです。
そして、もう一つ。
大学に入って、数学が数学ではなくなったとか、数学が哲学になったとか。
そんなことは言わないで欲しい。初学者が、数学に困惑するのは、高校までの数学が科目名としての数学でしかないということを感じていないからだと思う。
大学の数学の方が、もっと理論的で、精巧なものだろう。
その最たるものが、ε-δ論法であるとも思う。(学部1年生なら)
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