数学を教えることの難しさは、もう塾講師も4年目になるがいつも思う。
特に、私自身も教え方を変えて、生徒の様子・反応を観察している。
最近塾で若手のホープとされる先生が模擬授業を行ったのだが、その授業を例に少し考えてみたいと思う。
その授業では、二次関数の最大・最小を求める問題について行った。
黒板に、「大原則」と称して
1.平方完成をする
2.
3.定義域と軸の関係を見る
などと書いてから、例を扱い演習を行っていく授業であった。
このように、私は「何かを求めるための一連の動作」を明確に日本語として書くことがあまり好きではない。
マニュアル化している感じがして、ちっとも数学らしさを感じ無いのもある。
もちろん、実際に求めようとすると上と同じようなことを辿るのだが…。
そして、好きではないが、私はこのようなマニュアル化した授業を行ったことは、もちろんある。
二次関数に限らず、群数列などの問題でも、その問題の聞かれていることに対して1つずつどう求めるかを丁寧に、原則とは書かなかったがマニュアル化みたいなことはした。
自分でやっていて、どうなんだろうと思いつつやったが、生徒からの受け・反応は良かった。
「こうやれば求まる」というのが、見えるからだ。
けれど、待って欲しい。それなら教科書にそのまま書いている。少し小難しく書いていたりはするのだが、教科書にもほぼ同じようなことを書いている。
いい例としては、数学的帰納法なんて、本当にそのままに書いている。
しかし、あの書かれた内容だけで、数学的帰納法が扱えるようになる人は、ほとんど皆無だろう。
そこからも、私は思うのだけど、そういうマニュアル化は、一時的に数学への理解へ近づいたように思える・錯覚するのだが、1つ1つの操作で何をしているのかがちゃんとリンクしているのかが分かっていなければ、数学の能力が備わっているようには思えない。
そのようなマニュアル化は、私はしない方が良いと思っている。したいのなら、生徒が勝手にやるべきで、先生がマニュアル化したものを教えることによる弊害は大きいと思える。また、数学と言うものを誤解してしまう気がしてならない。
1つ1つの操作を感じ、自分の血・肉にするために自分で演習問題を解く。1問,2問解いただけで、その単元を自分のものにしたと言える人はなかなか居ないだろう。
何度も解いて、間違えたりすることで、やっと自分のものになる。
あってるか、あってないかを不安になりながら解いても、得られるものは少ない。
1つずつの操作が、こうだと認識していくためには、間違えることも大切なのだ。
その間違えることを意識的に避けようとしているのが、マニュアル化であるような気がする。
もちろん、ケースバイケースであって、このようなマニュアル化をした方がいい場面ももちろんあるだろう。
例えば、ある関数または曲線の漸近線を求める操作(一次近似)は、教えることがなかなかに難しい。
どういう操作をすれば、漸近線が求まるというマニュアルを教えることはできるが、それをしっかりと説明するのは、直感的なものしかない。
マニュアル化で、一番激しく出来るのは、三角比の正弦定理・余弦定理だろう。
どの辺と各の関係が分かっていれば…とすると、何通りかをマニュアル化して書くことはもちろん出来る。
けれども、そんなことをして意味はあるのだろうか。
また、しばらくは、教科指導について考えていこうと思う。
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