2011年10月28日金曜日

大学院、来年度から修士論文不要に 試験などで審査

文部科学省は26日、大学院で修士論文を作成しなくても修士号を取得できるよう省令を改正する方針を決めた。博士号取得を目指す大学院生が主な対象で、論文の代わりに専攻だけでなく関連分野も含めた幅広い知識を問う筆記試験などを課す。大学院の早い段階から専門分野に閉じこもるのを防ぎ、広い視野を持つ人材を育てる狙い。来年度から適用する。
詳しく記事は、以下のURLから記事を見てください。

まだ、これが決定と言うわけではなく、一応は国民の声を聞いてから結果を出すと言うことですね。
結果がどうなるかは分かりませんが、もしそうなるのであれば、私はとても心配です。

なぜかと言うと、この「試験」というものが、形だけのものになることが容易に予想されるからです。
それは、現在の大学院入試、大学入試を見れば、そう思わざるをえない。
私は数学科ですので、大学院入試も数学科に限ったことしか分かりませんが、大学院入試も東大・京大以外は、それほど突破が難しくはなく、推薦と呼ばれる入試も多く存在します。
その専門性や、基礎力にも大きな差があるのが現状だと思います。
その中でも、大学院生として大丈夫なのか、と疑問視されるような学生も多く存在します。
(もちろん私もそのうちの一人です。)

これは、そもそも大学というところの存在が、勉強をするところと言う認識から、就職予備校のようなものになっていることが問題です。

大学とは、教育機関の最高学府であるにも関わらず、勉強をしない人が多い。
また、座学だけが勉強じゃないと言い、それ以外の活動に精を出す人も居ます。
もちろん、座学だけが勉強ではありませんが、それは座学をある程度こなした上で行うものです。
そのある程度の基準があまりにも低い人や、それを気にしない人たち。
それが大半を占めているのが、今の大学です。

さて、そのような大学の形を変えずに、大学院だけが変わるのでしょうか。
さらに言えば、この曖昧な「試験」と言う基準をで、学位取得ができてしまうシステムを作ることは、この大学の状況が大学院にシフトすると、私は思います。

例として、私の場合を取り上げてみたいと思っています。
私は、自分自身が大学院に進学出来るような、優秀な学生ではないことを感じています。
それは、学部4年になってからのゼミや、勉強をすることで感じてきました。
大学院入試は、一つの挑戦でした。
ただ、大学院入試は傾向があるので、その対策が可能です。
ゆえに、基礎力が本当にあるのかどうかは分かりません。
私自身は、まだまだ足りていないと思っています。

そのために毎日、勉強をしているのです。
教育者になりたいこともあるので、教育的活動にも興味があります。
なので、週1日(土曜日)は、その活動に当てています。もちろん日中全てではありません。
それほどの活動でも、色々と得るものはあります。

さて、これよりももっと知識が足りない人がいるのも事実ですし、それで勉強もせず、他の活動に精を出す人も居ます。

そんな人達が多い今の大学です。その大学を変えず、どう大学院を変えるのでしょうか。
これ以上、日本の教育の質・力を落とさないためには、このような学生が減るために、もっと厳しいものにすべきでしょう。
大学院の博士課程進学という、先の部分ではなく、その前を修正出来るような形を、動きを…。
お願いします。

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私も人の心配をしている場合ではないのです。私自身がそうならないように、自分がすべきことをします。
でも、横目に見てしまう、見えてしまいますよ…。

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