8月に入ってからかなり(無駄に)ブログを更新しているように思えますが、区切りがいいので書いておきます。
今回は、8月22日に行われた「第二回教育シンポジウム」と、8月24日に行われた「金出武雄先生の講演」について書いておきたいと思います。
(しばらくパソコンに触れる環境から離れるので…)
第二回 教育シンポジウム (8月22日 詳細)
第一回も参加しました、名古屋市教育委員会が開いている教育シンポジウム。
今回は、「名古屋市立高校」に関するものでした。
(どうでもいいことですが、私は「市立高校」を『いちりつこうこう』と読みますね。)
前半では、市立高校についての魅力を。後半では、前回と同じで、意見交換会でした。
前半、市立高校生の司会とプレゼン資料で魅力を伝えてくれました。
出身も何も違うので、すごく新鮮でした。(先入観なしに見て聞くことができますね)
驚いたのは、定時制で昼間高校の存在です。(中央高校)
無学年・無学級制で、単位制。倍率も2倍と高めで、注目が集まる高校みたいです。
ただし、不登校生も多いのが問題だそうです。
市立高校は、それぞれが自由らしく、授業時間を取っても珍しい「46分7限授業」、「65分5限」、「55分6限」などバラバラです。
SSHや、SELHiに指定される高校もあるようですが、名古屋市としては「大学への合格実績」よりも「本当に学ぶこと」「将来に繋がること」に対しての取り組みが大きいようです。
度々「キャリア教育」などの言葉を聞きましたし、「大学などとの連携単位制」の説明も「より高度なものを学ぶ」のではなく、「自分が好きなものは何なのかを見つけよう」とさせる仕組みに感じました。
そして「生徒に選択させる」ことを大きな目標にしてるみたいです。
これは確かに大切だと思うのですが、「誤った考えによる、誤った選択」をしないための教育(例えば、苦手だからやりたくない、あの先生が嫌だからあの授業は受講しないなど)は、どこでするのだろうと感じもしました。
(個人的な意見としては、それは小・中でしっかり土台を作らないといけないことですが…高校生は、義務教育でもないですし、立派な大人として見てあげるべきです)
前半の残りは、市立高校出身で現在各界で活躍している、俳優、プロゴルファー、小説家、映画監督、音楽家の5名が談話。
司会者は、俳優方だったのですが、これが酷かった…。話の振り方、ペースがあまり上手ではなく、多分渡されてるであろう進行表に沿った内容で進めないといけない風になってしまい、せっかくの談話が談話にならず、ただの質疑応答。
そして、挙句の果てに、小説家の方が良い話をしてる最中に、「それは、この後喋る内容に被るので…」みたいなことを言って遮り終わらせる。
こういう談話の時は、講演の少し前か、前日に5名で少し話をしたりしなかったのだろうか。
初対面で、お互いどこまで踏み込んでしゃべろうか躊躇していて、いい話がもっと出てきそうだったのにもったいなかった。
正直、途中に仕切りだそうとしていた(?)プロゴルファーの方の方がいい司会者になれたのではないだろうかと感じたり…。
1時間半か2時間ぐらいだったと思うのですが、途中でちょっとムカムカしてました。
とりあえず、一番心に残って、生徒のためにもなるであろう言葉があったので紹介しておきます。
「習ったことは、いつか自分のものになることもある。」(小説家)
つまり、全てが全て自分のものになるわけではないが、時には役に立ったりもすると。
逆に言えば、習わなかったらその機会は存在していない。
また、点数化・視覚化の問題と、教員と家庭との間の信頼関係の無さの問題もあがっていました。
正直、プロゴルファー、小説家、映画監督、音楽家のそれぞれは個性がとてもハッキリしていて、個人個人が話す度に引き込まれることが多かった内容だったので、司会者の下手さが本当にもったいなかったです。。
後半の意見交換会。今回は、市立高校特集ということもあってか、高校生やPTAの方が多かった。結局今回多かった意見としては、「お金をどうにかしてくれ!」ということでしたね(苦笑)
部活や、工業高校の設備など、援助をお願いしますと言う声ばかりだった気がします。
世知辛い。
金出武雄先生『アメリカの大学院と日本の大学院と研究をすることとは』 (8月24日 詳細)
題名は、メモをし忘れたので勝手に要約しました。
昨今の日本の未来を心配して(?)、日本としてどう取り組んでいくべきかということを大学院の現状から考え・変えようと言った感じでした。
先生は終始言っておられた、研究することで一番大切なのは
「負けず嫌いであること。」
だと言っておられました。
先生自身も「あれぐらいのことなら、もっとよくできるのではないか」と思い、人が先にやっていたことでさえも、興味があれば挑戦してみるという姿勢だったそうです。
だから、先生の研究してきた内容は、「moment of fame」だそうです。
日本語訳にはし難いそうですが、要は気分で、その時々のよさそうなものに食いついたと言う感じみたいです。
アメリカの大学では、大学院生は「研究において重要なスタッフ」と認識されていることから、日本の大学とは全く違うそうです。
「考えが凝り固まっていない学生の方がとても大切である」という考え方が表にちゃんと出てきていますね。(日本だと口だけ…)
なので、アメリカでは大学院はお金を出して通うところではないそうで、特に工学部はその傾向が強いそうです。
文系だと事情が違い、払ってでも通う人が多いそうです。また、学位も取ろうと思えば、簡単に取れて、お金を払うだけで取れるところもあったりするそうです。(もちろん世間からはそれなりの評価しか得られませんが)
また、指導教官が学生を「雇う」と考えているそうで、お金もちゃんと研究所を通して(ここでほとんどが学生の授業料に消えるそうです)支払われるみたいです。
日本では、教授が個人で行うことがあるので、それだと「教授によって差がでる」ことになるのが問題だと、先生は仰られておりました。
つまり、アメリカの大学の研究所は、日本のそれよりもちゃんと働いていると言うことですね(苦笑)
研究に対する姿勢で、「役に立つことを追求すること」が大切だと仰っていました。
数学をやっていると、純粋に基礎だけでいいじゃないとも思っていたのですが、先生の説明を聞いて、なるほどと思いました。
つまり、「何か役に立つこと」とは、論理的や基礎的研究であっても「何かのキッカケ」で生まれており、それが描くStory(これが使えれば・分かればどういうことに影響する・しそうだと言う夢)を想像できるはずであると。
よく分からないけど何かできたものに対して「質の高いものが得られた」などと誤魔化すような研究者は、全く良い研究者になっていないと先生はおっしゃっておりました。
確かにそうです。数学においても、これが分かればコレが分かって…と言うのがあるから勉強・研究していますね。
数学は、役に立たないと言われることが多くあるので、それを甘んじて受けて言葉のままに居ましたが、そうではなかった。
現実世界において役に立つかどうかはさほど関係無いようです。
工学の研究であっても、20年前に完成していた理論をようやく最近になって応用し、商品に使っていこうということもあるそうです。
なんだかホッとしましたね。工学も数学も似た所はあるんですね。
また、先生は指導教官がちゃんと学生を育てる(手取り足取り教えると言う事ではない)ことが大切だと仰っており、中でもプレゼン(セミナー)における心得として
Overwhelm the audience by scales, quantities, and details.
や、「質問者が、これは何の役に立つのか?と言う質問をしたのなら、君の発表はまだまだであって、本当に良い発表であれば、これはいくらで買える?と聞くだろう」など、工学方面からではあるが、確かにと思えることはあった。
数学においては、似た分野でなければ中々セミナーの内容は分からないと思うので、また事情は少し違うだろう。
しかし、同じ本を輪講している時には、「これが何に使えそうだ。」など考えられたらベストで、「どういう意味…?」とギャップが多すぎる内容になれば、最悪なセミナーだろう。
(最近それを感じることがあったりします…ただ本を和訳したり、内容を述べるだけ…流れがわかりづらかったりします…)
話を戻して、また先生は学生に対して遠慮しない・妥協をしないこととも仰っておりました。
(アメリカと言うか、世界では、指導教官の良さは、どういう学生をいくら多く輩出したかが凄く影響するそうです。)
そのために、
最後までの見通しを立てるための例題、易しい問題、極端過ぎる例、人に話すこと
を学生にしなさいと言い、自ら質問するときも、「本当か?」「それならこれは?この場合は?」「もっと!」などというそうです。
(こんな質問が飛んできたら、発表者としてはかなり嬉しい気がしますね。ちゃんと準備・考えていればの話ですが)
2時間という長く感じそうな時間も、かなり短く感じるぐらい上手い講演会でした。
とても楽しかった。