2010年に新しく(?)刊行された、
『数学が分かるということ 食うものと食われるものの数学』の元となった本です。
何故、新しい本を読まなかったのかと言われると、「大学の図書館に無かった」と言う理由です。
この本を知るキッカケになったのは、tamamiさんの『TETRA'S MATH 数学と数学教育』と言うブログの記事です。
そちらの記事も是非読んでみてください。
まずは、私個人の感想とまとめを簡単に書きます。
この本は、大きな2部構成になっています。
前半は「数学という考え方」について書いてあります。これだけでも十分、数学と言うものが何かと言う大枠は捉えられます。
むしろ後半のメインテーマである「食うものと食われるものの数学」は実際に数学を用いた話が多くあり、著者の専門分野(非線形偏微分方程式)の初歩(だと思われる)微分方程式の話がたくさん出てきますが、正直微分方程式とあまり仲良く無かった私からすると読むのが大変でしたので、一般の社会人が読むには、ちょっと無理があるのではと。
(実際、私も流し読みしたところ多いですし…)
ただ、経済学部などで、微分方程式を扱ったりしているのに、何をしているか(連立微分方程式など)、何が始まりか分からない人にとっては、かなり良い話が書かれていると思いました。
後半の言葉で、「非論理的なものに対して、反論する意味は無い」という言葉は、かなり極端だけども正論だなと感じました。
また、「数学が苦手と言うだけで、文系を選択すること」
ジャムの話もとても面白かったし、これは高校生の等比無限級数の導入に良いと思えました。
(収束・発散、そしてどれほど食べればジャムは残るか、残らないか。)
少し、前半のことを詳しく書いておきます。
数学の2つの見方、「数学のあらさ」と「数学の几帳面さ」を遠くに見える木にいる鳥が何羽居るのかを例にあげて導入して行きました。
確かに、数学では似たものを同一と見ることもありますね。(位相幾何学における、ドーナツ・浮き輪・1つの取ってがあるコーヒーカップなど)
しかし、そこにもしっかりとした「定義」が組み込まれていると。
時には大雑把に、時には几帳面にという2つの面があることを色々な例を交えつつ書いてくれています。
ふと、昨日考えたのですが。
例えば、「円の定義」を導入するとき、既に私たちは「円」というものが何なのか日常的生活から知っていることが多いです。
しかし、その「円」も大雑把に見ていることが多いのです。
例えば、人が輪になった時、上から見れば円ですが、この円には内に何もありません。
しかし、10円玉や、浮き輪なども円だと認識することがあります。
これが、山口先生の言うところの一種の「あらさ」(大雑把な)数学になるのではないかと思います。
この2つの円(円内(中身)が詰まっている、詰まっていない)も、円周が大切であることは自然と分かるはずです。
というところで、円周があるものを「円と定義」するのが普通に思える。
(これが円の定義を導入する時に、良い話になるのではないかと思いました。)
この「定義」するところが「数学らしさ」なのでしょう。
数学の本を読むと、いかにも「定義」が先にありますが、ほとんどのことは「定義より先に例がある」はずです。
なので、私は極力その本にある例は解いていました。(今は時間がないという理由で、飛ばすことが多いのですが、本当は良くない)
少し話がずれました。
他には、公理主義・実在主義・経験主義と言った3つの立場を説明し、その繋がりを感じさせてくれましたね。
また、「数学が役に立つのか」というある意味永遠(?)のテーマに対しては、技術者(数学を使う専門職の人)に対して、「数学がためになるかどうか」と問うことと、「数学が必要ですか」と問うことの反応の違いから、導いていたりします。
話が前後しますが、1部のセクション2には、「数学が分かった」と言える基準を1つ例として(数学者の話)出して、研究におけることにつなげています。
この本は、数学をある程度学んだ人でも十分楽しめると思います。
もっと詳しいことを知りたい人は、是非読んでみてください。
---
「見える学力、見えない学力」を読み始めました。
これもかなりいい本で、1970,80年代からの教育崩壊の歴史や、どうするべきかを色々な見方から考えてくれています。
これは、教員・教員志望に限らず、子どもを持つ親御さんに読んでもらいたい本に感じます。
そうすれば、もう少し良い方向に今の「教育委員会叩き」が変わるのではないかと思います。
ではでは。後日、「興味を持った分野:格子点問題」の話もまとめてみたいと思います。
(実際、私も流し読みしたところ多いですし…)
ただ、経済学部などで、微分方程式を扱ったりしているのに、何をしているか(連立微分方程式など)、何が始まりか分からない人にとっては、かなり良い話が書かれていると思いました。
後半の言葉で、「非論理的なものに対して、反論する意味は無い」という言葉は、かなり極端だけども正論だなと感じました。
また、「数学が苦手と言うだけで、文系を選択すること」
ジャムの話もとても面白かったし、これは高校生の等比無限級数の導入に良いと思えました。
(収束・発散、そしてどれほど食べればジャムは残るか、残らないか。)
少し、前半のことを詳しく書いておきます。
数学の2つの見方、「数学のあらさ」と「数学の几帳面さ」を遠くに見える木にいる鳥が何羽居るのかを例にあげて導入して行きました。
確かに、数学では似たものを同一と見ることもありますね。(位相幾何学における、ドーナツ・浮き輪・1つの取ってがあるコーヒーカップなど)
しかし、そこにもしっかりとした「定義」が組み込まれていると。
時には大雑把に、時には几帳面にという2つの面があることを色々な例を交えつつ書いてくれています。
ふと、昨日考えたのですが。
例えば、「円の定義」を導入するとき、既に私たちは「円」というものが何なのか日常的生活から知っていることが多いです。
しかし、その「円」も大雑把に見ていることが多いのです。
例えば、人が輪になった時、上から見れば円ですが、この円には内に何もありません。
しかし、10円玉や、浮き輪なども円だと認識することがあります。
これが、山口先生の言うところの一種の「あらさ」(大雑把な)数学になるのではないかと思います。
この2つの円(円内(中身)が詰まっている、詰まっていない)も、円周が大切であることは自然と分かるはずです。
というところで、円周があるものを「円と定義」するのが普通に思える。
(これが円の定義を導入する時に、良い話になるのではないかと思いました。)
この「定義」するところが「数学らしさ」なのでしょう。
数学の本を読むと、いかにも「定義」が先にありますが、ほとんどのことは「定義より先に例がある」はずです。
なので、私は極力その本にある例は解いていました。(今は時間がないという理由で、飛ばすことが多いのですが、本当は良くない)
少し話がずれました。
他には、公理主義・実在主義・経験主義と言った3つの立場を説明し、その繋がりを感じさせてくれましたね。
また、「数学が役に立つのか」というある意味永遠(?)のテーマに対しては、技術者(数学を使う専門職の人)に対して、「数学がためになるかどうか」と問うことと、「数学が必要ですか」と問うことの反応の違いから、導いていたりします。
話が前後しますが、1部のセクション2には、「数学が分かった」と言える基準を1つ例として(数学者の話)出して、研究におけることにつなげています。
この本は、数学をある程度学んだ人でも十分楽しめると思います。
もっと詳しいことを知りたい人は、是非読んでみてください。
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「見える学力、見えない学力」を読み始めました。
これもかなりいい本で、1970,80年代からの教育崩壊の歴史や、どうするべきかを色々な見方から考えてくれています。
これは、教員・教員志望に限らず、子どもを持つ親御さんに読んでもらいたい本に感じます。
そうすれば、もう少し良い方向に今の「教育委員会叩き」が変わるのではないかと思います。
ではでは。後日、「興味を持った分野:格子点問題」の話もまとめてみたいと思います。
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