2012年12月27日木曜日

ようやく一段落(?)したので、まとめて今まで受けた講座などについて書きました。
(12月頭に書くとか言ってたのは、忘れてください!!…許して(笑))

それぞれに、一応リンクを張っておきます。(が、大分自分用のメモ書きになってしまいました...)

数学教育関係については、こちら

他、教育や心理学などは、こちら

さて、ここでは現状報告(反省部分)と、年末年始の予定・目標を書きたいと思います。

11月は色々悩むことも多くあり、その鬱憤を食と酒にぶつけ、見事にリバウンドしました。
(9月に比べると12月27日現在、10kgほど太りました...)

ただ、11月末には自分の将来性がある程度決まり、12月末(最近ですね)には、やるべきことが前よりももっとハッキリと見えてきました。

計算力(と理解力)が足りてないのか、悪戦苦闘していますが、やることが見えている分、前よりも気が楽といいますか…。

将来性についてですが、まだまだお恥ずかしい状態なので、もう少し見えてきたら報告したいと思います。

さて、簡単に年末年始の予定を書いておきます。

12月28日には、高知に帰省するついでに、香川にいる友達のところに行きます。
ほぼ一年ぶりで、彼は私立学校で教員をしているので、いろんな話を聞いてきたいと思います。

12月30日には、卒業振りの高校の学科での同窓会があります。
2年次以降に在籍した、進学科では何度か開いていますが、情報科では初めてですね。
楽しみです。多分私以外は、みんな働いているので、色んな話を聞きつつ、奢ってもらうことにします(笑)

年明けて、1月4日には奈良を観光してきます。青春18切符活用と、さすがに高知から名古屋をずーっと移動し続けるのは精神的・体力的にキツイので…(苦笑)

2月上旬には、M1で学んだことの報告会があるので、1月末までには今やりたい分野のはじめの部分、やるべきことをやりましょう。

今やろうとしていることは、Dirichletの約数問題とゼータ関数の二乗平均値にはアナロジーがあるのですが、その両者における誤差項評価の工夫を1つずつ(初めに改良されたもの)を理解しようとしています。

そのあとは、Dirichletの約数問題を考えるための他、Ω-resultsやmomentなどの繋がりもちゃんと見ておきたいと思います。
その中から見えやすいものをやっていきたいと思っていますが、多分ゼータの二乗平均の近くを色々やることになるんじゃないかなと思っています。

それでは、みなさま良いお年を。
2012年11月から12月に参加した、数学教育関係以外のものを簡単にまとめてみました。

まずは、天白区が開いていました、公開講座についてまとめておきます。

『知らず知らずのうちに偏見や差別をしていませんか?』参考:こちら(pdf注意)
この講座の一回目『偏見や差別はなぜ生まれてしまうのか』(心理学からのアプローチ)については、少し前にまとめていました。
なので、今回は参加した三回目、六回目についてまとめておきます。

三回目『うつで悩む人の気持ちを考えて -偏った見方をしていませんか-』

実際に、うつ病診療をしている先生のお話でした。ほとんどが、患者さんのお話でしたので、書けることが少ないですが…。
一般的に、うつ病患者に対して「頑張れ」などの言葉を使ってはいけないとよく聞きますが、そうではないことの方が多かったりもするとか。
もちろん、無責任に「頑張れ」などと言ってはいけませんとは言っていました。
がしかし、大体うつ病になって悩む人が相談する人は、信頼が他の人よりも厚いのだから、その理由を考えれば、そのような「無責任な」人に対して相談するうつ病の人は少ないのではないかと…。
また、季節によってうつ病の度合いが変わる人も多くいるみたい。
働く期間と働けない期間があるとか…。


  • 偏見を持つ人もいるが、『持っている』と思い込む鬱病者も存在する
  • ストレスには、良い(適度な知的好奇心を促す)ストレスと悪いストレスが素材
  • ストレスに弱いにも関わらず何故か(やっかいごと、火中の栗を拾うようなことなどに)手を出す
  • 鬱病の人でも好きなことに対しては行動的な人も多くおり、その場合が鬱病の非難や偏見の原因になることが多い
  • 昔は鬱病には2種類しか存在しなかった
  • 内依性(遺伝的なもの)と心依性(外依性)
  • 鬱病の基準が変化して増えることになった(いじめの件数と似たもの)
  • バブル時期に育てられた子ども、ゆとり教育など、組織が変わり、遊びが減り、効率化、システム化されたことが原因になったりも
  • 鬱病とは、活動性が低下することをいう(記憶力や集中力)
  • 気分的には回復していても、頭が(脳が)回復していないことが多くあり、それが原因で鬱病の回復を遅らせている
  • 脳が回復するには一年半はかかるとされる。
  • しかし途中で一回でも復帰し(たと勘違いをして)てしまうと打ち切られ、また元からやりなおすことになる。
  • 会社と上司、周りの環境はなかなか変わるものではないので、自分が変わる必要がある

六回目『正しい理解から互いを大切にする世の中にするには -実例をもとに行動化に向けて-』

これまでのまとめも含めて、どれほどの先入観を持って生きているのかが分かる講座でした。
  • ランドセルの色、集団の中で性別を特徴付けてしまう。(小学生でさえ、そのような思い込み、先入観がある)
  • 当たり前だと思うことを褒められる→つまりは一般的に当たり前ではない。(障害者の複雑な気持ち)
  • 差別と戦う、どう逃げるか、耐えぬくか。
さらに面白い話。

一本の直線を引いてください。その次に、直線の真上に円を描いてください。

この2つの情報から描かれる図、唯一には定まりませんよね。
もちろん、似た人が多くなる図はあります。
このときの少人数の人たちの気持ち。情報が少なすぎるのに、先入観を持ってはいけない。

手助けする必要ないのに…。おせっかい、「してあげよう」と言う意識はいけない。

---
次に、名東区でありました講演会『夢を諦めない』参考:こちら(pdf注意)についてです。

色々な不遇にも遭いながら、オリンピックを目指し、その夢を叶えたある選手のお話でした。


  • 口から食事することが生きる力である
  • 挫折があったから頑張れた
  • 『自分が出来ない、乗り越えたから、頑張れと言える』


かなり元気を貰いました。
諦めちゃダメなんですよね。
実は、この公演のせいでくよくよ迷うことにもなったのですが、よいキッカケでした。
ありがとうございました。
2012年11月、12月に参加した数学教育関係の講座、セミナーなどについて簡単にまとめておきます。

第36回 名古屋大学数学教育セミナー (参考:こちら)
前半 大平徹先生『バランス制御から集団追跡と逃避』
後半 青山和裕先生『高等学校数学科での統計指導について』

前半について

  • 指一本で指し棒のバランスを取る.このときに,片方の手では何かを振ってもらうとバランスが取りやすい.
  • 確率共鳴:ノイズを適度に加えることで,聞こえなかった情報を見えるようにする.
  • このノイズの強さをチューニングする.
  • 視力;目を瞑って,立っているだけでも1分経てばフラフラしだす.
  • これは身体の重心を見れば分かる.
  • 身体にテキトウな振動を与えると重心が良い方向に.
後半について

  • 教育現場(高等学校)からの疑問と不安の声
  • これを高校の数学でやる必要はあるのか.
  • 入試ではどのように出るのか.
  • 「ペーパーテストではかれるものか」...ここに数学教育の問題がある
  • 必要なのは使い方であって,問題解決能力を育てることにある.
  • 受験向け過ぎない授業を行う必要.
  • 統計の導入は,日本が一番遅れている.(初めに導入した国とは20年の遅れ)
他に、学校の現場で使える教材を幾つか紹介してもらいました。
(あと、統計の嘘について簡単に話しておられました)
教材の紹介;
Bowland Japan,まなぼう統計,統計活用授業のための教材サイト,センサス@スクール


数学教育学会『数学教育の緊急的課題に対する総合的研究会』(参考:こちら)
明治大学リバティータワーに行って来ました。
(会場案内がいい加減だったのがちょっと不満…。図書館の守衛さんありがとう)

  • 寛容な数学的精神(純粋数学にこだわり過ぎない)
  • 統計を利用して,数学の便利さを伝えよう.
  • 医療も医者も統計的なものを磨いている.(過去の患者などを参考にする)
  • 統計と数学の違いは,物理と数学の違いに似ているのかも知れない(現れる現象から帰納的に定義されるのか,演繹的に定義するのか.)
  • ゆとり教育がダメだったとは,マスコミの言葉である.(日本数学会や,教育委員会ではそのような見解は無い)
  • 数学者でも統計的なミスを犯す.(「今の若者(の全体)は数学が出来ない」→実際は,批判している人たちの多くが数学が出来た人の集合であるので比較参考にできない.)
  • 部分積分,置換積分は容量的にもハードではないか.昔は高校には無かった.(八木先生)
  • 昔の生物には単元としてDNAは無かった.生物科の先生方は勉強をしたのだ.ならば数学科も統計を勉強すべきだ.
  • 数学の二面性:数学的思考と手段.
  • 実は統計の授業を情報の授業で学んでいることもある.
  • たくさん時間のある高校,例えば付属高校で進学先がほぼ決まっている高校においては,理想的な数学教育は出来るが...
  • 入試制度の問題はいつも取り巻く.
  • 意見を述べさせる教育.(イギリス,フィンランド)
  • データに対して適切なグラフの種類を選ぶことが出来ない.(実用的ではない現状の数学教育の表れ)
  • 統計教育の一応の基準も存在している.(海外);こちら
長岡先生や、八木先生、藤田先生を(遠くから)見ることが出来て、感動...!!

お偉いさんは何を考えているか分からない、自分たちがお金を稼げればいいと思っている、などとよくやり玉にあげられたりしますが。
ここ最近、色んな数学教育を考える集まりにいらっしゃる先生方は、皆さん、真面目に教育を考えており、理想を追求しようとしているのを感じます。
それは、多分生活的、精神的に余裕がある方々だからなのかも知れませんね。

まだ私が会ったことのないのは、文部科学省の人たちぐらいでしょうかね。

現場は大変かも知れませんが、日本の未来を考えるためにも頑張ってもらいたい。
もちろん、私もその現場に飛び込む気があるので、無責任な応援のつもりはありません。

2012年11月25日日曜日

講演会と散歩

どうも、また月末の更新になってしまいました。
本当は、毎月の初めに先月分を振り返ろうとしていたのですが…。
(25日締めみたいにしていきますか(笑))

さて、先月10月末には初めて研究集会に連日で参加しました。
前回の分科会での失敗(聞き方というか、捉え方)を活かすことが出来たように感じます。

11月に入ってからは、なんとなくぼーっと過ごしたりする日が増え、弛んでしまったように思います。
しかし、M2の先輩方への恩返し(もてなしゴハン?)も出来、年末の予定も大体決まり、紅葉も十分に楽しんだ11月でもあります。

講演会にいくつか参加をしたのですが、実は来週末にもセットである。ということで、これについては12月の頭!(これはしっかり!!(笑))に書きます。

今回は、名古屋市が開催している『なごやの公園スタンプラリー』(参考:こちら)で撮った写真をいくつか載せ、年末の予定を書いて(いい加減な)日記としておきます(苦笑)

2月の冬の日以来の東山動植物園。
今回は生憎の雨でしたが、水車が動いてました。

 初めての徳川園。
日本庭園。池がかなり広かった。セミナー前の息抜きに来てました。

都会に侵食されているのは、どこもそうなんだな…。


こちらは白鳥庭園(しろとりていえん)。
家から近くなので、鶴舞公園と同じく頻繁に行く(無料開園日しか行ったこと無いけど(笑))

今回は、夜のライトアップも見られるらしいので、昼と夜に分けて2回行って来ました。
コンデジだとやはり、夜景がそれほど綺麗に撮れないのですが、頑張って比較を作ろうとしたので載せておきます。

この位置は、夜は立入禁止になっていたので…無いです…。


対比


 対比

別アングル

ライトアップされた紅葉ってこんなに綺麗なんだねえ…(写真は残念ですが)


そして、やっと念願かなって揃いました。
楽しみです。


さて、年末12月の予定です。

12月15日(土)に東京にて『数学教育学会の『数学教育の緊急的課題に対する総合的研究会』http://www.mes-j.net/pdf/20121215mtg.pdfが開催されるようなので、これに参加してきます。
ついでながらに、学部時代の友達と食事したり、セミナーしたりしてきたいと思っています。
(もう少し余裕があれば、アルバイトの時に仲が良かった人たちとも食事が出来ればな…と。)

その後、12月27日まで大学院で予定があるので、12月28日から帰省するつもりです。
香川の友人と会えるかも…と言った感じです。

年始は、1月3日か、4日頃に、京都に一度寄ってブラブラしてから帰ってきたいと思ってます。

以上です。

それでは、12月の頭に講演会のまとめをたくさん書きたいと思います(苦笑)

2012年10月20日土曜日

数学活用、心理学について

2件ほどセミナーと講習会に参加してきたことをメモ書きしておきます。

まず簡単に…数学活用と、心理学に対する考えを述べておきます。

・数学活用とは、今年から高校数学の新課程として新しく入った内容です。
今まであった数学基礎をさらに生活の上で数学(の考え方)がどのように役に立っているか、そしてちょっぴり数学史の要素も入ったと言う感じです。

・心理学に対する、私自身の意識付け。
大切な学問で、何かを考えるためのちょっとしたキッカケを作るだけであって、心理学によってすべての状況(欝、いじめ、差別など)が改善されるわけではないと思っています。
ただ、自分の中に「こういうことも考えられるのではないか」と言う基準と、冒してはならない「タブーの領域」を見極めるために必要と考えています。

それでは、以下に参加したセミナーと講習会の紹介と、簡単に内容を振り返っておきたいと思います。

第35回 名古屋大学数学教育セミナー (参考:こちら)
・数学における相対性と相補性(大沢健夫先生)
・『数学活用』という教科書(根上生也先生)

今回は、数学活用の方だけ少し書くことにします。

根上先生は、実は友人の指導教官と言うことで一方的に知っていて、またFacebookで発言を公開していらっしゃるので、購読もしていたので、講演の始まりから最後まで、大体イメージしていた通り…と言った先生でした。
巧みな話術でとても引き込まれる講演で、さすがテレビに出たこともある人だな~と感じたりもしました。
「なるほどなるほど」と思うこともあり、教員が反省し変えていくべきことと、マスコミや、学生や生徒の両親がもっと教育に関わってくるような社会になることを願います。
(特にマスコミに対する上手い扱いをしている根上先生みたいな方が増えるのであれば、大賛成です。マスコミに踊らされ、ピエロのように扱われるような某先生方は…と、)

数学活用の内容についてですが、かなりよく考えられているみたいです。
進学校以外でも「問題を解く」ことが数学では重要になっていますが、それに警鐘を鳴らし、「解くために何を考えるのか」と言う数学が社会でどのように「役に立っているか」を強調するような教科書にしたかったのだと。
文系だからと言って、数学が必要ではないのかと言えばそうではないとも言っていたかと思います。

この「数学」と言うものの本質の考えは、前にも名古屋大学数学教育セミナーにおいて、浪川先生が仰ったことにもありますし、私自身も、そして私の周りの人にもそう考えている人が多く居ましたが…。
もちろん、そう考えていない先生が居て、さらにその先生が歳を取っていれば、さらに問題になります…。

根上先生も仰っていましたが、私達教員も現場を見て変わって行かなければなりませんと。
大学生の質が悪くなったと、嘆くばかりではなく、それを変えるために何を出来るか考え、数学活用の教科書作成にも携わったということでした。
ここで感じたのは、大学教員は(特に数学関係?)現状の教育をかなり心配している人が多いということです。
数学が蔑ろにされていることもやはり問題なのでしょう…。

私は思うのですが、「数学が出来る」という言葉を無くすか、共通の意識を持つための定義を何か作るべきでしょう…ね(苦笑)

平成24年度 後期 天白区生涯学習センター 講座 
「知らず知らずのうちに偏見や差別をしていませんか?」 (参考:こちら)
第1回 偏見や差別はなぜ生まれてしまうのか? 人を見る心のメカニズム

愛知淑徳大学心理学部の斎藤和志先生による講習会でした。

人間の基本的欲求(特に、対人関係における)は、理解、予測、統制があるそうです。

この理解は、自分のことを理解することと、自分の周りを理解することで、自分を守ることに繋げたいと思っていて、この理解によって、「この人なら~してくれそうだ。」などの予測に基づいた行動(統制)によって、快適な生活環境を作りたいと思うのが、人間の基本的欲求にあるそうだ。

予測は例えて言えば、「この人なら私の意見に賛成してくれそうだ。」「この人ならお金を貸してくれそうだ。」などがそうです。

そして、人間は奥底には、(自分の興味ないことに対してだと思いますが)「あまり頭を使わないようにしたい…見ただけで分かるようにしたい」という思いがある、認知的倹約家であるそうだ。
(自動的な判断をすることで負担を減らす)

この部分に、偏見や差別の背景にある心理的メカニズムがあるそうだ。

また、「人を見かけで判断してはいけない」とよく小学校や中学校では言うが、大人でも知らず知らずにしているし、むしろそれは悪いことではない。

例えば、知らない場所で道を訪ねたり、時間を聞いたり、カメラを預けて写真を撮って貰ったりする行為も、対象を忙しくなさそうな人、親切そうな人(強面、サングラスなどしてないなど)にしている。

これは、「人を見かけで判断していること」である。

さらにもっと言えば、それを利用したものもあり、漫画「ドラえもん」の主人公であるのび太は、優秀そうではないし、ドラえもんは道具を悪用するようなキャラクターには見えないや、水戸黄門の悪役は大体相場がつくなどがある。

似たものに、血液型や生まれた季節によって性格判断をすることがある。
これは、人間が「自動的な判断を行える」という意味で、「やっぱりこの人は~だから」という判断材料として非常に良いカテゴリー分けができるからだそうだ。
血液型も生まれた季節も4つという非常に良い数字だからだそうで、星座になると自分の星座は分かっても、自分の前後の星座すら知らない人が多いのが特徴だそうだ。

(血液型はほぼ関係ないだろうが、季節の場合は、両親の養育態度が関係することがあるので、性格に関係することもあるみたいだ。例えば、第一子で、さらに冬に生まれた子と、第三子の春なら全く違う育て方をするだろうし、それが性格に関わることもあるということだ)

心理学では、その「人を見かけで判断すること」で否定的な態度に対していうことを偏見といい、特に行動的な側面を強調した場合は差別と呼ぶのだそうだ。
また、ステレオタイプは「人を見かけで判断すること」で肯定的とみられる場合をも含むことに対して使うそうです。

最後に、「心のメカニズム」を知ることでブレーキの位置と掛け方を知ろうと、仰ってました。
(これは、イジメ問題の話を名古屋市教育委員会のシンポジウムで聞いた時と同じような…)

また、この講習会で面白そうな、簡単な本を教えて貰ったので、今度読んでその感想を今度書いてみましょう。


---
なかなか数学が(?)忙しくて、教育書もあまり読めてませんが、今後もこういう講習会などには参加していきたいですね。
教育書はいずれ時間を取れば読めますが、講習会は一度限りかも知れませんからね。

2012年10月7日日曜日

後期の予定

後期も始まって、明日でちょうど一週間です。
昨日は、毎月(?)恒例の数学教育セミナーを受けてから、久しぶりの宅飲み鍋パーティーでした。
グズグズした感じではなく、とても楽しく有意義でしたね~。
(数学教育セミナーについては、今手元に資料がないので、後日書くことにします。)

さて、後期の動きも決まってきたので、書いておきます。
  1. 講義
  2. セミナー
  3. 研究計画
  4. その他
1.講義
後期は、現在8単位分取ることにしています。

・数理科学展望(オムニバス形式)
・社会数理概論(オムニバス形式)
・グラフ理論入門
・フーリエ解析入門

修了には、残り6単位で良いので、力尽きてどれか1つ取りやめるかも…知れませんが(苦笑)
それぞれの大まかな内容と、取った理由もメモしておきます。

・数理科学展望(オムニバス形式)
オムニバス形式で、3つの分野を簡単に知ることが目標です。
分野は、「フラクタルと複素力学系入門」「保型形式」「行列式とパフィアン」の3つです。
受講者の9割5分が学部3年生で、受講者も割りと多いので、一番受講継続を諦めそうな科目ですね…。
(単位が簡単に取れて、学部3年生は4単位分らしいので、そりゃ人気ですわね…)

諦めたとしても、保型形式は受けると思いますが。

・社会数理概論(オムニバス形式)
これもオムニバス形式で、
「クラウドの仕組み」「ビジネス上の数学的アルゴリズム」「ハードウェアとLinux」の3分野を社会人の方が講義してくれます。
前期よりも興味がありそうな項目だったので、受講してみてます。
働いていた人からの面白い話も含めて、今後も結構楽しみです。

・グラフ理論入門
グラフ理論の簡単な入門講義。少しだけ学部3年の時に学んだのですが、
定義、単語が多くてごっちゃごっちゃで、真面目にやらなかったこともあったので
もう一度勉強しなおしてみようと受講してみてます。
毎回課題があるので、良い指標にもなって、今後もしっかり復習・課題をやっていこうと思ってます。

・フーリエ解析入門
フーリエ解析は、実はちゃんと勉強したこと無いので、これも学部3年生に混じって学んできます。
途中の(偏)微分方程式の話が少し怖いですが(微分方程式はそんなにやったことが…)…。
頑張って行きましょう。

2.セミナー
M1 セミナーと、M2 セミナーにも参加してみます。
(割りといっぱいいっぱいです…。)
自分のための勉強もちゃんとやるには…と言うことで、夏ぐらいから始まった保型形式のセミナーは、今後どうしようかなと…。
発表をする準備をするのが中々…。
僕はあまり頭が良くないので、マルチタスクしすぎると結局何も得られそうにないので、ちゃんとやるべきことを見据えてやっていきたいですね。
そんなこんなで…

3.研究計画(大雑把に)
今僕は、Ekkehard Kratzel先生のLattice Pointsを読んでいます。
全部で300ページぐらいなのですが、格子点問題の基礎となるexponential sumの評価などが
Chapter2の100ページ分ぐらいです。
最悪そこまでを今年の12月までに読みたい…!
欲を言えば、平面領域のadditive問題(格子点問題の簡単なところ)Chapter3の150ページ分を読み終えたい…。

この本を読み終えたら、Double-zetaとの関係を見ていきたいと考えているので、本当に早ければ早いほど良いんですけどね…(そりゃ当たり前か)

中々、計算が多くて大変です。行間がほとんど計算なので、易しいと言えば易しいのですが、大変と言えば大変ですね。
(まぁ論理的な飛躍がないだけマシです…)
来年2013年2月までには、Chapter4(高次元のadditive問題)の途中まで読めると、修論への光が見えるんですけどね…。
良い例を考えるための資料と言うか、エキスは、Chapter4まで読めば何となく開けそうな気がしてるので…。

4.その他
教員採用については、2月終わるまでとりあえず無視で!
教育については、今後もセミナーに参加したり、地下鉄移動の時の読書でちょこちょこ蓄えて行きましょう。
前期より、気持ち的には楽な状態なので、もっと数学を頑張っていきます。

明日は、東山一万歩ウォーキングに参加してセミナーしてきます!!
うっひょー!

2012年9月30日日曜日

夏の終わり

まだまだ日中は暑かったりしますが、朝晩はめっきり涼しくなりましたね。
昨日から猛威を振るっているこの台風17号が日中の暑さも連れて行ってくれることを願っていますね。

さてさて、夏季休業と呼ばれる夏休みみたいなものも一応今日で終わりで、明日から後期授業が始まります。

僕は前期あまり単位を取ってなかったので、後期も相変わらずの忙しさになりそうですね。
とりあえず、2月までは数学をしまくろうと思います。
教員採用といいますか、就職関係はそれ以降にでも考えようと思います。
(一般就職は考えてませんし、影響はあんまりない…はず…)

もちろん、数学をすると言っても、ただ闇雲にやっても仕方ないといいますか、教員採用試験を受けるのだから、そのためにもなるべく来年2月までに修論のための形をある程度作っておきましょう。

読む本は、決まりましたし、それなりに内容も濃いみたいなので、頑張りましょう。

また、10月始まって1週間ぐらい経ったら、具体的な受講する講義や、セミナーについて書くとします。

---
9月は、色々得るものもありましたが、精神的に参ってしまったこともあって、ちょっと病院に通うことにもなりそうです。それについては、自分のためにも、ある程度は残して書いていこうと思っています。

2012年8月24日金曜日

教育シンポジウムと講演会

8月に入ってからかなり(無駄に)ブログを更新しているように思えますが、区切りがいいので書いておきます。

今回は、8月22日に行われた「第二回教育シンポジウム」と、8月24日に行われた「金出武雄先生の講演」について書いておきたいと思います。
(しばらくパソコンに触れる環境から離れるので…)

第二回 教育シンポジウム (8月22日 詳細)

第一回も参加しました、名古屋市教育委員会が開いている教育シンポジウム。
今回は、「名古屋市立高校」に関するものでした。
(どうでもいいことですが、私は「市立高校」を『いちりつこうこう』と読みますね。)

前半では、市立高校についての魅力を。後半では、前回と同じで、意見交換会でした。

前半、市立高校生の司会とプレゼン資料で魅力を伝えてくれました。
出身も何も違うので、すごく新鮮でした。(先入観なしに見て聞くことができますね)

驚いたのは、定時制で昼間高校の存在です。(中央高校)
無学年・無学級制で、単位制。倍率も2倍と高めで、注目が集まる高校みたいです。
ただし、不登校生も多いのが問題だそうです。

市立高校は、それぞれが自由らしく、授業時間を取っても珍しい「46分7限授業」、「65分5限」、「55分6限」などバラバラです。

SSHや、SELHiに指定される高校もあるようですが、名古屋市としては「大学への合格実績」よりも「本当に学ぶこと」「将来に繋がること」に対しての取り組みが大きいようです。

度々「キャリア教育」などの言葉を聞きましたし、「大学などとの連携単位制」の説明も「より高度なものを学ぶ」のではなく、「自分が好きなものは何なのかを見つけよう」とさせる仕組みに感じました。

そして「生徒に選択させる」ことを大きな目標にしてるみたいです。

これは確かに大切だと思うのですが、「誤った考えによる、誤った選択」をしないための教育(例えば、苦手だからやりたくない、あの先生が嫌だからあの授業は受講しないなど)は、どこでするのだろうと感じもしました。
(個人的な意見としては、それは小・中でしっかり土台を作らないといけないことですが…高校生は、義務教育でもないですし、立派な大人として見てあげるべきです)

前半の残りは、市立高校出身で現在各界で活躍している、俳優、プロゴルファー、小説家、映画監督、音楽家の5名が談話。
司会者は、俳優方だったのですが、これが酷かった…。話の振り方、ペースがあまり上手ではなく、多分渡されてるであろう進行表に沿った内容で進めないといけない風になってしまい、せっかくの談話が談話にならず、ただの質疑応答。

そして、挙句の果てに、小説家の方が良い話をしてる最中に、「それは、この後喋る内容に被るので…」みたいなことを言って遮り終わらせる。

こういう談話の時は、講演の少し前か、前日に5名で少し話をしたりしなかったのだろうか。
初対面で、お互いどこまで踏み込んでしゃべろうか躊躇していて、いい話がもっと出てきそうだったのにもったいなかった。

正直、途中に仕切りだそうとしていた(?)プロゴルファーの方の方がいい司会者になれたのではないだろうかと感じたり…。

1時間半か2時間ぐらいだったと思うのですが、途中でちょっとムカムカしてました。

とりあえず、一番心に残って、生徒のためにもなるであろう言葉があったので紹介しておきます。

「習ったことは、いつか自分のものになることもある。」(小説家)

つまり、全てが全て自分のものになるわけではないが、時には役に立ったりもすると。
逆に言えば、習わなかったらその機会は存在していない。

また、点数化・視覚化の問題と、教員と家庭との間の信頼関係の無さの問題もあがっていました。

正直、プロゴルファー、小説家、映画監督、音楽家のそれぞれは個性がとてもハッキリしていて、個人個人が話す度に引き込まれることが多かった内容だったので、司会者の下手さが本当にもったいなかったです。。

後半の意見交換会。今回は、市立高校特集ということもあってか、高校生やPTAの方が多かった。結局今回多かった意見としては、「お金をどうにかしてくれ!」ということでしたね(苦笑)

部活や、工業高校の設備など、援助をお願いしますと言う声ばかりだった気がします。
世知辛い。

金出武雄先生『アメリカの大学院と日本の大学院と研究をすることとは』 (8月24日 詳細

題名は、メモをし忘れたので勝手に要約しました。

昨今の日本の未来を心配して(?)、日本としてどう取り組んでいくべきかということを大学院の現状から考え・変えようと言った感じでした。

先生は終始言っておられた、研究することで一番大切なのは

「負けず嫌いであること。」

だと言っておられました。
先生自身も「あれぐらいのことなら、もっとよくできるのではないか」と思い、人が先にやっていたことでさえも、興味があれば挑戦してみるという姿勢だったそうです。

だから、先生の研究してきた内容は、「moment of fame」だそうです。
日本語訳にはし難いそうですが、要は気分で、その時々のよさそうなものに食いついたと言う感じみたいです。

アメリカの大学では、大学院生は「研究において重要なスタッフ」と認識されていることから、日本の大学とは全く違うそうです。
「考えが凝り固まっていない学生の方がとても大切である」という考え方が表にちゃんと出てきていますね。(日本だと口だけ…)

なので、アメリカでは大学院はお金を出して通うところではないそうで、特に工学部はその傾向が強いそうです。
文系だと事情が違い、払ってでも通う人が多いそうです。また、学位も取ろうと思えば、簡単に取れて、お金を払うだけで取れるところもあったりするそうです。(もちろん世間からはそれなりの評価しか得られませんが)

また、指導教官が学生を「雇う」と考えているそうで、お金もちゃんと研究所を通して(ここでほとんどが学生の授業料に消えるそうです)支払われるみたいです。
日本では、教授が個人で行うことがあるので、それだと「教授によって差がでる」ことになるのが問題だと、先生は仰られておりました。
つまり、アメリカの大学の研究所は、日本のそれよりもちゃんと働いていると言うことですね(苦笑)

研究に対する姿勢で、「役に立つことを追求すること」が大切だと仰っていました。
数学をやっていると、純粋に基礎だけでいいじゃないとも思っていたのですが、先生の説明を聞いて、なるほどと思いました。

つまり、「何か役に立つこと」とは、論理的や基礎的研究であっても「何かのキッカケ」で生まれており、それが描くStory(これが使えれば・分かればどういうことに影響する・しそうだと言う夢)を想像できるはずであると。
よく分からないけど何かできたものに対して「質の高いものが得られた」などと誤魔化すような研究者は、全く良い研究者になっていないと先生はおっしゃっておりました。

確かにそうです。数学においても、これが分かればコレが分かって…と言うのがあるから勉強・研究していますね。
数学は、役に立たないと言われることが多くあるので、それを甘んじて受けて言葉のままに居ましたが、そうではなかった。

現実世界において役に立つかどうかはさほど関係無いようです。

工学の研究であっても、20年前に完成していた理論をようやく最近になって応用し、商品に使っていこうということもあるそうです。

なんだかホッとしましたね。工学も数学も似た所はあるんですね。

また、先生は指導教官がちゃんと学生を育てる(手取り足取り教えると言う事ではない)ことが大切だと仰っており、中でもプレゼン(セミナー)における心得として

Overwhelm the audience by scales, quantities, and details.

や、「質問者が、これは何の役に立つのか?と言う質問をしたのなら、君の発表はまだまだであって、本当に良い発表であれば、これはいくらで買える?と聞くだろう」など、工学方面からではあるが、確かにと思えることはあった。

数学においては、似た分野でなければ中々セミナーの内容は分からないと思うので、また事情は少し違うだろう。

しかし、同じ本を輪講している時には、「これが何に使えそうだ。」など考えられたらベストで、「どういう意味…?」とギャップが多すぎる内容になれば、最悪なセミナーだろう。
(最近それを感じることがあったりします…ただ本を和訳したり、内容を述べるだけ…流れがわかりづらかったりします…)

話を戻して、また先生は学生に対して遠慮しない・妥協をしないこととも仰っておりました。
(アメリカと言うか、世界では、指導教官の良さは、どういう学生をいくら多く輩出したかが凄く影響するそうです。)

そのために、

最後までの見通しを立てるための例題、易しい問題、極端過ぎる例、人に話すこと

を学生にしなさいと言い、自ら質問するときも、「本当か?」「それならこれは?この場合は?」「もっと!」などというそうです。
(こんな質問が飛んできたら、発表者としてはかなり嬉しい気がしますね。ちゃんと準備・考えていればの話ですが)

2時間という長く感じそうな時間も、かなり短く感じるぐらい上手い講演会でした。
とても楽しかった。

2012年8月18日土曜日

『食うものと食われるものの数学』(著作:山口昌哉)

2010年に新しく(?)刊行された、

何故、新しい本を読まなかったのかと言われると、「大学の図書館に無かった」と言う理由です。

この本を知るキッカケになったのは、tamamiさんの『TETRA'S MATH 数学と数学教育』と言うブログの記事です。
そちらの記事も是非読んでみてください。

まずは、私個人の感想とまとめを簡単に書きます。

この本は、大きな2部構成になっています。
前半は「数学という考え方」について書いてあります。これだけでも十分、数学と言うものが何かと言う大枠は捉えられます。

むしろ後半のメインテーマである「食うものと食われるものの数学」は実際に数学を用いた話が多くあり、著者の専門分野(非線形偏微分方程式)の初歩(だと思われる)微分方程式の話がたくさん出てきますが、正直微分方程式とあまり仲良く無かった私からすると読むのが大変でしたので、一般の社会人が読むには、ちょっと無理があるのではと。
(実際、私も流し読みしたところ多いですし…)

ただ、経済学部などで、微分方程式を扱ったりしているのに、何をしているか(連立微分方程式など)、何が始まりか分からない人にとっては、かなり良い話が書かれていると思いました。

後半の言葉で、「非論理的なものに対して、反論する意味は無い」という言葉は、かなり極端だけども正論だなと感じました。
また、「数学が苦手と言うだけで、文系を選択すること」

ジャムの話もとても面白かったし、これは高校生の等比無限級数の導入に良いと思えました。
(収束・発散、そしてどれほど食べればジャムは残るか、残らないか。)

少し、前半のことを詳しく書いておきます。

数学の2つの見方、「数学のあらさ」と「数学の几帳面さ」を遠くに見える木にいる鳥が何羽居るのかを例にあげて導入して行きました。

確かに、数学では似たものを同一と見ることもありますね。(位相幾何学における、ドーナツ・浮き輪・1つの取ってがあるコーヒーカップなど)

しかし、そこにもしっかりとした「定義」が組み込まれていると。

時には大雑把に、時には几帳面にという2つの面があることを色々な例を交えつつ書いてくれています。

ふと、昨日考えたのですが。

例えば、「円の定義」を導入するとき、既に私たちは「円」というものが何なのか日常的生活から知っていることが多いです。

しかし、その「円」も大雑把に見ていることが多いのです。

例えば、人が輪になった時、上から見れば円ですが、この円には内に何もありません。
しかし、10円玉や、浮き輪なども円だと認識することがあります。

これが、山口先生の言うところの一種の「あらさ」(大雑把な)数学になるのではないかと思います。

この2つの円(円内(中身)が詰まっている、詰まっていない)も、円周が大切であることは自然と分かるはずです。

というところで、円周があるものを「円と定義」するのが普通に思える。
(これが円の定義を導入する時に、良い話になるのではないかと思いました。)

この「定義」するところが「数学らしさ」なのでしょう。

数学の本を読むと、いかにも「定義」が先にありますが、ほとんどのことは「定義より先に例がある」はずです。

なので、私は極力その本にある例は解いていました。(今は時間がないという理由で、飛ばすことが多いのですが、本当は良くない)



少し話がずれました。

他には、公理主義・実在主義・経験主義と言った3つの立場を説明し、その繋がりを感じさせてくれましたね。

また、「数学が役に立つのか」というある意味永遠(?)のテーマに対しては、技術者(数学を使う専門職の人)に対して、「数学がためになるかどうか」と問うことと、「数学が必要ですか」と問うことの反応の違いから、導いていたりします。

話が前後しますが、1部のセクション2には、「数学が分かった」と言える基準を1つ例として(数学者の話)出して、研究におけることにつなげています。


この本は、数学をある程度学んだ人でも十分楽しめると思います。

もっと詳しいことを知りたい人は、是非読んでみてください。

---
「見える学力、見えない学力」を読み始めました。
これもかなりいい本で、1970,80年代からの教育崩壊の歴史や、どうするべきかを色々な見方から考えてくれています。
これは、教員・教員志望に限らず、子どもを持つ親御さんに読んでもらいたい本に感じます。
そうすれば、もう少し良い方向に今の「教育委員会叩き」が変わるのではないかと思います。

ではでは。後日、「興味を持った分野:格子点問題」の話もまとめてみたいと思います。

2012年8月13日月曜日

ロンドンオリンピック

NHKのロンドンオリンピック総集編を見つつ、このオリンピックから考えられることを書いて行きましょう。

ついに終わりましたね。17日間ですか…7月27日から8月12日。
正直、スポーツがとても好きな人間ではないので、7月末からのロンドンオリンピック特番や、開催中の番組のロンドンオリンピック中継や録画放送が、普段見ていた番組を『邪魔』する存在ぐらいにしか感じていませんでした。

特に、開催前にあった、いろんな番組による、『金メダルをいくつ取るか。』という考察番組は、「ひどい放送だ」と思いましたね。

民放の「ひるおび!」もですが、これはNHKでも同様にありました…。
(NHKでは、オッズとか言って、倍率まで出してました…酷い放送だった。)

もちろん、そういう放送から得られるものもありました。国の政策として、オリンピックで金メダルを15個取ることが掲げられていたりするのも、そこで知りましたからね…。

さて、番組・放送に対する不満はこれぐらいにして、良かった部分を。

やはり、選手たちの『精一杯やり切ったと言う表情・ガッツポーズ』がグッと来ますね。
(リアルタイムで見たのは、なでしこジャパンの決勝だけだったので、ダイジェスト版や総集編でしか知りませんが…)

ちなみに同じ理由で、『高校野球の夏の甲子園』が好きだったりします。

よく知らない選手であっても、表情と言葉、会場の雰囲気を感じて、おじさんうるうるしちゃいましたね。

話をちょっと戻して…
『精一杯やった』と言うのは、もちろん当事者しか分かりませんから、こちらが勝手に画面越しに見て感じるだけですね。

この『精一杯やった』を自分自身が経験することは、非常に難しそうです。が、それに挑戦することは簡単・単純でしょう。

19:30からのNHKロンドンオリンピック特集の最初に出てきた、ジョン・レノンの言葉です。(ちょっとうろ覚え…)

「一度泳ぎ方を覚えたら後は泳ぐだけだ、自分の夢は自分で作る」

これに似たフレーズがググっても見つからないので、少々不安ですが…

大凡、これであってるとして、何を伝えたいのかの大枠はつかめる気がします。

中高生も、このロンドンオリンピックで感動をしたなら、やるべきことは簡単でしょう。
何か見つけて頑張ること。

「努力・一生懸命になることが、かっこ悪い・ダサい」と言う風潮がこれで無くなればいいですけどね…。それを根本から変えるには、教育ももっと変わらなければなりませんね。
(今は、悪い意味での、閉鎖的な教育の影響が大きすぎる気がします…。)

---
また別の話ですが、立秋を迎え、朝方も大分涼しくなりました。
定期試験後、暑さもあり、グダグダ・だらだらした生活が続いたりしましたが、前の生活を思い出すように、しっかりリズムを整えていきます。
(実は、そのせいでちょっとリバウンド…)

来週、ちゃんと生活リズムを改善できたことを報告できるよう頑張ります。

また、教育書も一冊ようやく、読み終わったので、その内容もまとめましょう。

では、週末まで、頑張りましょう!

2012年8月11日土曜日

2.LaTeXをスッキリ記述するために
$\label{i} \tag{i} 相互参照を使う$
$\label{ii} \tag{ii} 定理環境を使う$
$\label{iii} \tag{iii} 番号を整理する$
$\label{iv} \tag{iv} 外部ファイルを読み込む$
$\label{v} \tag{v} マクロを使う$

($\ref{i}$) 相互参照を使う
まず、相互参照を使う目的を少しまとめてみます。

それほどページ数が多くない、または式や図などがあまり含まれない場合は、そのまま付けられた番号などを入力すれば良いのですが、ページ数が多くなり、かつ式や節・章などを参照することが多くなれば、どの番号だったか、どのページにあったのかを一々調べるか、覚える必要が出てきます。
また、節・章や式を挿入、削除した場合、それらを全て修正する必要が出てきます。

この参照を手動ではなく、自動でやってくれるのが、\label と \ref (\pageref)です。
(また参考文献の場合は、\bibitem と \citeを用います。)

どのように使うのかは、こちらのページ(A),(B)を参考にしてみてください。

\labelに付ける名前は、番号を入れない方が良いでしょう。
何故なら、その番号も変更することになれば、意味が無いからです。
(参考にしている本などのページと式番号を\labelに使うのであれば大丈夫ですが…。)

また、上で参考に上げたページにもあるように、2回コンパイルをしないとちゃんと相互参照されません。

それでも、全部数字などを直すよりは、手間は無いので良いと思います。
後、余談ですが、式番号などを独自のものにしておきたい(このページの最初の部分がそうですが)場合は、\tag{X}などとすることで、式番号を変更できます。

($\ref{ii}$) 定理環境を使う
使う目的を少しまとめましょう。

これは、定理環境と言っていますが、定理以外の定義・補題・注意にも使えます。そのそれぞれを繋げた通し番号を作れたりできます。これは実際に使ってみる方が分かりやすいですね。
(さらに定義・定理などを一覧でまとめることが出来たりもするみたいです。こちらを参照してください。)


定理・補題・注意は通し番号にして、定義は別にしています。

ソースは、以下のようになります。これを参考に説明していきます。
---
\documentclass[12pt,a4j]{jarticle}
\usepackage{amsmath}
\usepackage{amssymb}
\usepackage{amsthm}
\newtheorem{theorem}{Theorem}
\newtheorem{lemma}[theorem]{Lemma}
\theoremstyle{definition}
\newtheorem{definition}{Definition}
\theoremstyle{remark}
\newtheorem{remark}[theorem]{Remark}

\begin{document}
\section{最初の章}
\subsection{最初の節}
\begin{theorem}[XXX's Theorem]
定理
\begin{equation}
a+b=c
\end{equation}
\end{theorem}

\begin{lemma}[XXX's Lemma]
補題
\begin{equation}
A+B=C
\end{equation}
\end{lemma}

\begin{definition}[XXX's Definition]
定義

\begin{equation}
1+1=2
\end{equation}
\end{definition}

\begin{remark}[XXX's Remark]
注意
\end{remark}

\begin{proof}[Proof of XXX's Theorem]
証明
\begin{equation}
a+b=c
\end{equation}
\end{proof}

\subsection{2つ目の節}

\begin{theorem}[YYY's Theorem]
定理
\begin{equation}
a+b=c
\end{equation}
\end{theorem}

\begin{lemma}[YYY's Lemma]
補題
\begin{equation}
A+B=C
\end{equation}
\end{lemma}

\begin{proof}[Proof of YYY's Theorem]
証明は省略
\end{proof}

\section{2章}

\begin{theorem}[ZZZ's Theorem]
定理
\begin{equation}
a+b=c
\end{equation}
\end{theorem}

\begin{definition}[ZZZ's Definition]
定義

\begin{equation}
1+1=2
\end{equation}
\end{definition}

\begin{remark}[ZZZ's Remark]
注意
\end{remark}

\begin{proof}[Proof of XXX's Theorem]
証明
\begin{equation}
a+b=c
\end{equation}
\end{proof}

\end{document}
---
赤文字の部分が定理環境を整えています。
1行目:\newtheorem{theorem}{Theorem}
これによって、\begin{theorem}が使えるようになります。もちろん、theoremを他に置き換えても良く、theoteiriにすることでもっと簡易にできます。
Thoremは、数字の前・先頭に表示させる部分です。

試しに、thoremteiriに、Theorem定義にしてみると...(最後にまとめます

2行目:\newtheorem{lemma}[theorem]{Lemma}
[theorem]の部分以外は、1行目と同じです。この[theorem]の部分が、theoremと通し番号を付ける意味になっています。

試しに、この[theorem]の部分を削除してみると...(最後にまとめます

3行目:\theoremstyle{definition}
\theoremstyle は、3つの形式、plain,definition,remarkを指定できます。
plain:見出し太字本文斜体
definition:見出し太字、本文斜体ではない
remark:見出し斜体、本文斜体ではない
となります。これを3行目で宣言することによって

4行目:\newtheorem{definition}{Definition}
definitionは、見出しが太字になり、本文は斜体ではなくなっています。

5行目、6行目は、今までのことから
remarkは、theoremと通し番号を付けて、見出しは斜体で、本文は斜体ではなくなっています。

また、使用するときは


\begin{theorem}[見出し]
本文
\end{theorem}

とするだけです。もちろん、他にも『系』や『例』も定理環境で整えて使うことが可能です。
捕捉として、proof環境があり、よく使う、白抜き四角を最後に付け加えてくれるものがあります。
(Q.E.Dにしたり、黒四角にしたりと、色々変更も可能みたいです。各自の好みで)

最後にまとめて赤文字の部分を以下のように変更した場合

\newtheorem{teiri}{定理}
\newtheorem{hodai}{補題}
\theoremstyle{definition}
\newtheorem{definition}{定義}
\theoremstyle{remark}
\newtheorem{tyuui}[teiri]{注意}


このようになります。さらに加えて、この通し番号などをもっと整理してみましょう。

($\ref{iii}$) 番号を整理する
何のためにこれをするのかと言うと、見栄えを良くするためです。
章や節毎に、番号が整理されている方が見やすいですし、そのような本・論文が多いように思います。
例えば、2章の3番目の定理(最初から5番目)は、『定理 2.3』 と言った表示をすることで、普通に書いた場合の『定理 5』よりも見栄えがよく感じます。同じく、式番号にも。

まず最初に、定理環境を使って、定義・定理などの見出し番号を整理してみましょう。

先ほどの赤文字の部分を、以下の様に書き換えます。
---

\newtheorem{theorem}{Theorem}[subsection]
\newtheorem{lemma}[theorem]{Lemma}
\theoremstyle{definition}
\newtheorem{definition}{Definition}[section]
\theoremstyle{remark}
\newtheorem{remark}[theorem]{remark}
---
すると、以下のように出力されます。


おかしな部分がありますが、その前に書き換えた部分の説明をしましょう。

1行目:\newtheorem{theorem}{Theorem}[subsection]
4行目:\newtheorem{definition}{Definition}[section]

それぞれ加えられた部分が見出し番号に関係しています。
[subsection]とすると、subsection毎に、番号が振り分けられます。(2.3.1 のように...)
同様に、[section]とすると、section毎に、番号が振り分けられます。(2.3 のように...)

(正直、subsection毎にするほど細かくすることは、あまり無い(例・演習問題とかを別にするならありかも…?)ので、ほとんど[section]で問題ないと思います。)

さて、ここで出力されたものを見直すと、2章の最初の定理が2.0.3になってしまっています。
(それにしたがって、その後ろの注意も2.0.4になってしまっています...)

本来なら2.0.1になって欲しいのです。(2章0節の最初の定理だから)

こういう、番号が思ってたものとズレることは多々あります。\setcounterを使います。
---
\setcounter{theorem}{0}
---

\section{2章}から\begin{theorem}の間に挿入すればこの場合は大丈夫です。
(theoremのカウンターを0にすることで、次が1になることで回避できます。)

またこのとき、定理環境で定義したものが多い場合。どれに何を割り振ったのか分からなくなることを防ぐために、他の行で割り振ることも可能です。(\numberwithin)
つまり、赤文字の部分に加えて、以下の2行を追加することは同じになります。
---
\numberwithin{theorem}{subsection}
\numberwithin{definition}{section}
---
そして、これを使って、式番号にもsection毎に番号を振り分けることもできます。
---
\numberwithin{equation}{section}
---
を追加した場合、以下が出力されます。

これでかなり番号も整理されますね。
ちなみに、定理環境のものなどに番号をつけたくない場合は、\renewcommandを使います。
これについては、こちらを参照してください。

($\ref{iv}$) 外部ファイルを読み込む
これは、長くなるorよく使うものをまとめて、どこかに保存・共有し、メインのファイルをスッキリ見やすくすることが出来ます。
例えば、マクロや、定理環境など、書く人の気分が変わらない限り、ほぼ変わることがないものは、まとめて置いたりできます。
また、章や節毎に保存して置くことで毎年の教科書(レジュメ)内容を簡単に変更できたりします。

学校の先生や塾講師の方に取って良い使い方は、例えば演習問題の出題順序を変えたりするのに毎回コピペすることが無いように、問題ファイルを作り、そのファイルを読み込むことで、演習問題を作成することができます。

実際にやってみましょう。

(今まで使った)定理環境の定義など
---
\newtheorem{theorem}{Theorem}
\newtheorem{lemma}[theorem]{Lemma}
\theoremstyle{definition}
\newtheorem{definition}{Definition}
\theoremstyle{remark}
\newtheorem{remark}[theorem]{remark}
\numberwithin{theorem}{subsection}
\numberwithin{definition}{section}
\numberwithin{equation}{section}
---
これだけを書いた内容を、(例えば)def-thn.texとして保存します。
そして、今まで上の内容を書いていた部分に
---
\input{def-thn.tex}
---
と、これだけ書けばよくなります。

使う部分は、あまりないかも知れませんが、最初に書いたことをスムーズ・スマートに行う場合には最適だと思うので、工夫して使うことをオススメします。
(しかし全部の章・節を別々のtexで保存するのは、逆に面倒です…コンパイルをそれぞれする必要が出てくるので…)

($\ref{v}$) マクロを使う
これは、知っておかないとめちゃくちゃ大変です。
例えば、ベクトルや、内積などを何度も・多く記述する際に役に立ちます。

簡単なものだけですが、紹介していきます。

\newcommand{\R}{{\mathbb{R}}}
\newcommand{\vec}[1]{{\overrightarrow{#1}}}
\newcommand{\norm}[1]{{\|{#1}\|}}
\newcommand{\inn}[2]{{\langle{#1},{#2}\rangle}}
\newcommand{\integ}[4]{{\int_{#1}^{#2} {#3} {#4}}}

これで、マクロが定義されます。何をしてるか簡単に言うと、『青字部分の代わりにオレンジ部分を使うことが出来るよ!』と言っています。

1行目が簡単なので、それを説明しましょう。Rは、普通に打つと$R$となります。
実数の集合を表す時に、良く白抜き文字にしますが、それは$\mathbb{R}$(\mathbb{R})を使います。

しかし、毎回\mathbb{R}と打つのは面倒臭い…。そんな時に、マクロで定義することで、単に\Rと打つだけで、白抜き文字が表示されるようになります。

まだ有難味が余りありませんね…。
次に2行目を見てください。
今度は、[1]と言うものがあります。これは、引数が1つあることを指します。

具体的に見ると、ベクトル$\overrightarrow{AB}$(\overrightarrow{AB})。
この{AB}の部分、『{}』が1つあることがここの[1]と関係していると思っておけば大丈夫です。

つまり今まで、\overrightarrow{AB}と書いていた部分を\vec{AB}と書くだけで良くなります。
これは、打ち間違えも減らせますし、ファイルも無駄に大きくなりません。

3行目も引数1つで、これはノルムを表せますね。では、引数を2つにしてみましょう。

4行目は、[2]となっていますから、引数が増えました。
内積$\langle{a},{b}\rangle$(\langle{a},{b}\rangle)は、\inn{a}{b}で表すことが出来るようになります。

5行目は、[4]となって、さらに引数が増えています。
積分$\int_1^{\infty} \frac{1}{x} dx$(\int_1^{\infty} \frac{1}{x} dx)は、\inte{1}{\infty}{\frac{1}{x}} dxとかけます。
(ただの積分だと有難味がないので…同じ積分範囲の物が多数などの場合は使えそうですね。)
(他にいい例が思い浮かばなかったのでこれぐらいにしておきます…。)

さて、この時青の部分に1つ余分に『{}』があるように思いますが、確かにそうです。
しかし、これは色々エラーが起こることを防いでいるので、つけておいて損はありません。

今回は、これで以上になります。





2012年8月6日月曜日

1.Blogで数式を簡単に書く方法

このBlogにおいて当初は、
短い数式などは、GoogleChartCodeAPIをこのブログでは使っていたのですが、毎回imgタグを入力する面倒くささがありました。
(長い数式・文は、実際に作ったものを画像にして貼り付けていた)

今回、このimgタグを打たなくて済むことに気づいたので、それをメモとして残しておきます。

MathJaxを利用

一般的に使う場合、これは簡単で、黒木先生のページを見てください。

Bloggerの場合、テンプレート編集でhtmlの編集が可能です。
(これについては、こちらのページをご覧ください。)
しかし、何故か動的ビューをテンプレートとして採用している場合、htmlの編集が出来ません。

そこで、投稿のhtmlの最初にscriptを埋め込むことで使用ができます。
(<head>タグに入ってないが…何故か使える…?)

しかし、投稿毎にscriptを打ち込むのは、imgタグを入力するより大変です。
なので、投稿テンプレートを使いましょう。

投稿テンプレートの使い方は、Tatsuo Ikuraさんのページを見てください。
(投稿テンプレートには、タグが使えませんので、例えば、黒木先生のページにあるmetaタグなんかは外すことになります。)

これで、よくわかりませんがとりあえず動きます。

\[ \label{ef}
  e^{i \theta} = \cos \theta + i \sin \theta
  \tag{1}
\]

この式$(\ref{ef})$は、オイラーの公式と呼ばれる。
また、式$(\ref{ef})$において$\theta = \pi$を代入した

\[ \label{ee}
  e^{i \pi} = -1
  \tag{2}
\]

 等式$(\ref{ee})$は、オイラーの等式と呼ばれる。

マクロも定義出来て便利である。(空白の行ができてしまうのは改善出来る…?)
$$

 \newcommand{\R}{{\mathbb{R}}} %%実数R
 \newcommand{\norm}[1]{{\|{#1}\|}} %%ノルム
 \newcommand{\inn}[2]{{\langle{#1},{#2}\rangle}} %%内積

$$
実数の集合:$\R$ ノルム:$\norm{f}$  内積:$\inn{\cdot}{\cdot},\inn{f}{g}$
ダイエット

さて、ダイエットを初めて(2011年8月6日)から一年経ちました。経過報告と大雑把に、一年の感想を書いていこうと思います。

まず初めに、この一年の体重の推移をどうぞ。



と、まぁ最初に比べると最近は低迷気味です…。
この6月7月は忙しさもあって、散歩があまり出来ず、さらにストレスからの暴食や、勉強をするからと言う理由で22時回ってからの夜食が増えたのが原因でしょう…。
それも含めて、ちょっと振り返ってみます。

2011年8月6日(初日)

これが初日の記録です。(目標カロリーは、一週間1kgのペースです。)
[※1ヶ月で元の体重5%程度が健康状態を著しく悪くしないペースだそうです]

ここで、ダイエット前の食生活を振り返っておくと…。
  • 一日3合分米を炊く(大体夜には残らない)
  • 洗い物が少なく済む・楽だからと丼飯(丼にご飯とおかずを一緒に入れたりも…)
  • テレビやパソコンで動画を見ながら食事していた
  • 晩酌の時には必ずおつまみがあり、しかも多かった
  • 腹八分目、調度良い空腹感を知らなかった
と言った感じでしょうか。これに加え、ほとんど運動もしなかったので…。今考えると太って当たり前の生活でしたね。
(ちなみに大学学部1年の健康診断で初めて100kgを超えていたことを知りました。)

この初日に誓ったことは
  • 朝・夜に1時間ずつ散歩する
  • 自炊を徹底する(カロリー管理をしっかりする)
  • 空腹感は、水で満たす
  • 酒を飲むときは、おつまみを一切食べないか、野菜にする
ぐらいでしょうか。
誰しもそうだと思うのですが、ダイエットを始めた最初の頃は、「身体を動かすのが妙に楽しい」「空腹感が凄まじい」のコンボから来る、「運動をしたのだからもう少し食べてもいいんじゃないか」と言う悪魔の囁きがあるはずです…。

正直これは、一週間、一ヶ月乗り切ればどうにかなります。一ヶ月乗り切れば、後はほとんど習慣化してくると思うので、気を抜かないことですね。

ただ、あまり気を詰めすぎるのは良くないと思うので、
どの項目に対しても「なるべく」「できるだけ」と言った感じです。

辛くなるのが一番ダメだと思うので、楽しみつつ出来るのが一番です。アスリートを目指すわけではないので、そこら辺は気が楽だと思いましょう。

体重に変化があまり見られなくても、ゆっくり続けていくことが大切です。
一年間続けると、たまに体重がぐっと減る月と、減らない月がありました。
(最近2ヶ月は、反省すべきことなので、参考にはなりませんが…)

2011年8月の体重変化は、126kg->119kg (5.5%減少)

2011年9月の体重変化は、119kg->116kg (2.5%減少)

2011年10月の体重変化は、116kg->109kg (6%減少)

2011年11月の体重変化は、109kg->104kg (4.5%減少)

2011年12月の体重変化は、104kg->101kg (2.8%減少)

2012年1月の体重変化は、101kg->97kg (3.9%減少)

2012年2月の体重変化は、97kg->95kg (2%減少)

2012年3月の体重変化は、95kg->91kg (4.2%減少)

2012年4月の体重変化は、91kg->89kg (2.1%減少)

2012年5月の体重変化は、89kg->85kg (4.4%減少)

2012年6月の体重変化は、85kg->84kg (1.1%減少)

2012年7月の体重変化は、84kg->83kg (1.1%減少)

継続することが大切ですね。これが一番難しい!
友達を作るや、ジムに通うや、何かしら継続できそうな自分にあったものを見つけると楽ですね!

幸い東京(江戸川区)の家の近くには、散歩コースがあったので、散歩はいつでも気軽にできたのが良かったですね。
今の家は、少し遠くまで行かないと散歩コースは無いので…(後時間的に余裕があまりなかった…)

2011年9月から11月にかけて
毎朝の散歩は、徐々に減りました。睡眠時間と、大学の関係でバランスが取れなくなったため…。
そのかわり毎晩の散歩は継続。目標カロリーの70%ぐらいを平均していました。
10月中旬から、鍋用の野菜が安くなったりで、かなり摂取カロリーも減らせてたのが良かった。

2011年12月から2012年1月にかけて
かなり実感できるほどに体重が落ちていたので、たまにジョギングしてみたりしました。
この頃にデジタルカメラ(安いけども)を買って、散歩で遠くまで行くことが楽しくなりつつありました。

2012年2月から3月にかけて
謝恩会など、色々忙しいことが重なって、勝手に体重が落ちていた。ただ3月後半は、前にブログに書いたように、引越しのため家具を名古屋に移していた為に、寝床が良くない、自炊できない、散歩もあまり出来ない…。
いつもやっていたことが出来なくて、かなりストレスが貯まりに貯まって、体重は減りましたが、すべき勉強などが全く出来なかった。

2012年4月から5月にかけて
これも新しい環境で、楽しくもあり、大変だったので体重が勝手に落ちた。
前半は、色々散歩してみたりで良かったのですが、5月の週2ゼミラッシュには、かなり堪えてました…。

2012年6月から7月にかけて
前半の4月5月の反動が勉強の面で来て、それを修正すべく色々やって空回りしたりして、シッチャカメッチャカでした…。
その反動で食い散らかしてしまった感じです。

これから
今後も継続して行きましょう!前期で学んだ反省を生かして、もうちょっと分散できるように頑張ります。
ジムなんかに通う計画は、金銭面と余裕の無さから、崩れ去った気がしてます。
最近の目標カロリーがかなり低くなってきたので、料理のレパートリーも増やしていきたいですね。
後は季節の野菜などをもっと取り入れたり出来るようにしたい…。

毎回きゅうりとレタス、キャベツ、もやし辺りをぐるぐるしていましたしね…。
鶏胸肉を使ったレシピも何か増やせると良いですが、うーんと言った感じです。

とりあえず、学生の本分「数学」を疎かにしないようにしないと…ね(苦笑)

(昨日)2012年8月5日

昨日は、名古屋ビールフェス2012(後日blog書く…かも?)で、終わってから暴食してしまったので…。これは参考にならないと思うので…。

(一昨日)2012年8月4日
大体今はこんな感じです。
毎食500kcal程度に抑えるのは無理ではないと思います…が、続けるのは難しい。
夏季休暇は、それほど詰めて忙しいわけでもないので、散歩もしつつ、運動しつつで、相殺できるように頑張って行きましょう。

2012年8月3日金曜日

前半まとめと夏の予定

無事(?)試験も終わり、一段落したので、前期授業のまとめと反省をして、この夏の予定も書いておこうと思います。
(ダイエットに関しては、ちょうど一年を迎える8月6日辺りに書きます。)

前期反省

まずは、講義科目・セミナー別に書いていきます。

数理科学展望
(前期は、5回一セットの講義で、3名の先生がそれぞれ自分と近いテーマについて簡単な話をしてくれると言う感じの講義です。)
最初の担当の先生が整数論の話をすることと、同じ研究室の子が「とても面白い先生だから受けるべき」と教えてくれたので潜っていました。
ちなみに、講義中はすべて英語で、質問をする場合、された場合も必ず英語で答えるというものでした。
英会話の練習にもなるんじゃないかと思って出ていましたが、ほとんど発言すること無く終わりました。
円周率、πの定義について質問されて、英語で即座に応えられなかったのですが。
他の人に回った時に、「半径1の面積です」答えた人(多分数学科ではない)が居て、ああなるほど、黙りこんでしまうよりも、何かやはり応答した方がいいなと思いました。

「英語で会話すること」を目標・目的に受講していたのに、積極的にならずに居たのは反省ですね。
どちらにせよ、聞き取りが全部しっかり出来て講義を聞けるレベルでも無かったので、「積極的」以前の問題かも知れませんが…。

ガロア理論入門
先生がとても親切・丁寧で、毎回演習問題を与えてくれ、次回には解答もくれると言う講義でした。にも関わらず、「他で忙しい」と思い込んでいたので、あまり演習をこなせず、中間・期末試験やレポート前に焦って演習して、理解が浅いままの答案・レポート内容になってしまいました。
一番反省すべき科目ですね…。
期末試験でも、あまり良い答案を書けなかったことから単位自体危ない科目です。
代数の具体的計算を学部時代にあまりしなかったことが間違いだということを良く知れた科目です。

この「具体的計算」については、後でまとめてみます。

基礎演習
さてさて、実は4月に予備テストなるものがあったのですが、落ちていました。
恥ずかしさと、見栄でここには書いていませんでしたが…。
かなりシビアなレポートを何度も書かされたのが、精神的にきていましたが、7月には色々と理解も予備テスト前より良い形になっていたので、結果的には受けて良かったと思います。
これは「具体的計算」と「論理」が結びつく良いきっかけになりました。
学部の時の知識は、この2つが遠くはなれた所にあったように、今では思います。

関数解析入門
ルベーグ積分の知識があやふやで、フーリエ解析はやったことなくて…それで関数解析入門です!と言った感じで、最初はかなり必死でした。
「学部の時に履修しなかった」を言い訳にしまいと、かなり力を入れて勉強をした…はずなんですが、毎回試験前になり、演習問題を見返すと、「サッパリ」だったりしました。
これは恐らく「具体的計算」との結びつきが、極端に低かったからだと思います。
ルベーグ積分・フーリエ解析がちゃんと定着していないからと言うのもあったでしょう…。

今は論理より「使える」方が重要な部分なので、この夏はしっかり演習問題をこなして、応用できるようにするだけです。
(専門分野は、関数解析のちゃんとした知識が必要な分野ではない…はず…)

有限群の表現論入門
これもイマイチ論理がつかめてない…。既約指標を求めるレポートを最後に提出したのはいいですが、これで何が良くなるのかなどの周辺がまるで分かっていません。
必要になれば、また勉強しようと思ったりはしてますが…。何かと夏にやることは多そうなので、どうしたもんかという感じです。

楕円関数論入門
英語での講義だったのですが、英語かつ初学でもうダメでした。2回ぐらい講義に出ましたが…うーん。背伸びはし過ぎないほうがいいという結果ですね。
そのうち勉強したい分野ではあります。

M1セミナー
5月・7月の週に2回というラッシュは、かなり堪えました…。
ただ今のところ、演習問題のほとんどを飛ばしており、今後も進み具合の関係で飛ばすことになります。
興味がある部分がいくつかあるので、そこは挑戦して解決していきたいですね。
特に、最近やった部分(これについては後で夏のやることに)で、かなり面白そうな箇所があったので、そこは他の本含めて色々学びたい。

M2セミナー
先輩方が何をやっているかだけ見た・覗いた感じです。5月下旬以降出てません。
ただ、自分が興味を持った部分と、アナロジーがある箇所を専門にしようとしている方がいるので、もしかしたら後期はその日だけ出るかも知れません。

英語セミナー
結局、本を英訳したことを発表することだけに終わった。全く自己表現出来ていない…。今後、参加もしたいのだが、それ以上にやることが多い気がしてどうしようとか思っていたりします。

全体を通して
とても充実した日々でした。ただ、単位は全く卒業のことを考えて取らず、興味のあるものを中心にしましたが、自分の勉強を優先したいなら、さっさと取ったほうがいいようですね。
今更になって少し後悔しています。
色々、勉強の仕方も変えて行かないといけないことが分かったりしたので、かなり収穫があった前期でした。
夏もサボらず頑張って、後期にはもうちょっとそれなりに数学できるようになっていたいですね。

『具体的計算』を通して
学部生の時は、具体的計算をあまりせず、「定理」などを理解したつもりになっていました。
それが、本当に間違ったことだと最近になってようやく理解しました。
基礎演習しかり、ガロア理論入門しかり、関数解析しかり…ですよ。

(もちろん、具体的計算だけではダメですが、真面目にやろうと思えば、具体的計算から「それは何故正しいのか」「これではダメなのか」という疑問が生まれるはずです。そこで論理がつながってくるのだと私は思います。)



詳しくは、黒木玄先生のページ、またはこちらのブログのページ(1.語学としての数学 2.凡人が数学を語学として学ぶ)を見て頂いた方が分かりやすいです。


夏の予定

さて、大きく分けて4つありますが、ここでは数学に限った2つをさらに別けて書いてみます。
(残り2つは、前回の日記にあるような内容とダイエットに関すること(後日))

1.数学そのものの勉強 と 2.数学教育・数学史周辺 の2つがテーマです。
(いつでも数学はこの2つに別けて見てる気がしますが…)

1.数学そのものの勉強

  • 前期報告書作成に伴う復習
  • 他復習すべきことと、学習すべきもの
  • 専門分野:解析数論周辺(修論に向けて方向性を)
この3つに分類しました。
具体的には、

前期報告書(前期で学んだ学習内容をLaTeXを使ってレポートとして提出する)
講義科目に関しては、これを作るために、本来ならば全部復習し、理解することが良いことなのだが、そんなに時間も取れないと思っているので、おおまかな内容などを掴み、重要そうなところはチェックしていこうと思います。
M1のセミナーに関しては、修論にも十分つながってくるので、しっかりとした内容を構築しましょう。
これが一番大変そうですね。リーマンスティルチェス積分なんかは、使うだけ使ってるので、そこら辺もちゃんと埋めておかないと後が怖いですからね。

他復習すべき・学習すべきことですが、『ルベーグ積分』『フーリエ解析』『複素関数論』ですかね。
これは演習中心にやるつもりです。
本は、以下の通り
  • ルベーグ積分入門/吉田先生
  • フーリエ解析/小柳先生 (現代数学レクチャーズ)
  • フーリエ級数とラプラス変換の基礎・基本/樋口先生(理工系数学の基礎・基本)
  • フーリエ解析/Spiegel先生(マグロウヒル大学演習)
  • 関数解析入門/洲之内先生(サイエンス社)
  • 複素解析/アールフォルス先生
  • 複素解析学の基礎・基本/樋口先生(理工系数学の基礎・基本)
  • 関数論演習/藤家先生、岸先生(サイエンス社)
専門分野:解析数論周辺の本は以下の通り
  • 天書の証明
  • 素数の分布/内山先生
  • P-adic number,p-adic analysis,and zeta-function/Koblitz先生;数論セミナー
  • Modular functions and Dirichlet series and in number theory/Apostol先生;M1自主ゼミ
  • リーマン予想/鹿野先生
  • 解析数論/鹿野先生
天書の証明・素数の分布については、どんな問題が転がっているのか、その歴史の周辺を整理するために読むつもりです。
赤字で書いたものは、最近興味を持った「格子点問題」(ディリクレの約数問題・ガウスの円問題)を学ぶ前にその歴史なども整理して、何を勉強していくかと考えるために読もうと思っている本です。

2.数学教育・数学史周辺

これは簡単で…
  • 今まで通り、著名な人たちを含めてBlogやネットニュースチェック
  • 教育シンポジウムに参加
  • 以下の本を読む
  1. 食うものと食われるものの数学/山口先生
  2. 見える学力、見えない学力/岸本先生
  3. どうする「理数力」崩壊:子どもたちを「バカ」にし国を滅ぼす教育を許すな/筒井先生 他
数学をする上での暇潰し程度になっていますが、ちゃんと読んだらBlogに一本ずつ書いていくつもりです。
夏休み中は、電気代節約のためにも院生室に行くと思うので、その移動中などを中心にこの本は読んでいきたいですね。

さてさて、今日はこれからちょっと飲んで、関東から来る優秀な後輩を歓迎してきます。
彼はエイゴリアンなので、色々聞いてみたいですね。

それでは、また数日後に、ダイエット関連の記事を書きます!

2012年7月26日木曜日

漬物系男子

○○系男子/女子(?)に便乗して、今の自分を表現するとこんな感じです。

ついに大学院生活初の試験期間です。
(中間やらなんやらはあったので、初めての試験というわけではないですが)

そんなこんなで、終電を断ち切って大学に来たわけですが、表現論のレポート課題にも目処がつき、集中が少し途切れたのでblogを更新しているわけです。

夏にやりたいな、と思っていることはたくさんあるのですが、それについて書いておこうと思います。

数学に関しては、試験結果(感想)も踏まえつつと思っているので、これは8月の上旬に書くつもりです。

なので、今回は趣味を中心にしたいと思います。

長くこのblogを見てくれている、または当人を知っている人ならば、僕がどのような人間なのか知っているかと思いますが。
僕は、飲酒が好きです。特にビールが好きです。
また、去年2011年の8月からダイエットを始めた影響で、料理もそれなりに興味を持って参りました。
さらに、散歩と、その行った先の風景などを写真として残していくことも好きになりつつあります。

そんなわけで、この夏にやりたいこと。
ゆっくり旅行:帰省したついでに、青春18切符で京都旅行
漬物料理:初歩を独学、京都で漬物体験。留学生にキムチを教えてもらおう!

こんな感じです。
もっと言えば、試験が終われば、Beerfes名古屋に参加したり、自宅で新しいビールやホッピーの具合を確かめたりします。
ビールの資格試験は、もうちょっと詳しく調べて受けようと思っています。

漬物は、塩分過多にならないように、自作して調整したいなと思ったりもしてます。

そして、今は試験対策漬けの人間漬物ってことで、今回はオチにしときます。

では、また8月上旬頃に。

2012年7月7日土曜日

近況報告

七夕です。
もう7月になりました。もう一週間過ぎました。

いやー、早いですね…。
何を得たのだろう、何が出来るようになったんだろうと思ったりしています。

先の不安も、積もり積もって、この6月末から7月頭は落ち着かない感じでした。
とりあえず、目先の期末試験などの単位に関することをどうにかしないとと言う感じですね…。

実は、6月3日から「真面目に、本気で、数学やろう!」と決意していました。

その理想像(スケジュール)を見てください。

5:00 起床,飯,風呂
6:30 大学でRSSチェックと資料コピー
6:45 数学-
11:00(12:00) 飯(弁当),休憩
13:00 数学-
17:00 帰宅,飯(翌日分の仕込み)
19:00 数学-
23:00 休憩
24:00 数学-
2:00 就寝

いかがでしょう、この理想的過ぎるスケジュール。
最初は、これが出来なさそうだから、大学に終電で行って、強制的にやろうとしてました。

が…、どこかでボロが出て崩れる生活になり、6月はなんだかんだボロボロでした。

結局中途半端な感じになっていたりしたので、6月最後の週は以下のスケジュールで乗り切りました。

4:30 起床,飯,風呂
6:30 大学でRSSチェックと資料コピー
6:45 数学-
11:00(12:00) 飯(弁当),休憩
13:00 数学-
17:00 帰宅,飯(翌日分の仕込み)(または仮眠)
21:00 数学-
1:00 就寝

みたいな感じでした。
しわ寄せで、木曜・金曜辺りは、死にそうになってました…。

そして、6月30日に布団を封印しました!!!
これで、寝ることがあまり快適じゃなくなるので、もっと数学できるはずとか思っています。

(8月の予定などなどは、大体構想と決定してますが、8月頭に書くことにします!(試験終わったら!))

7月は、何が何でもやっていきましょう。それでは、6月の写真で、さよならです。






2012年7月6日金曜日

第1回教育シンポジウム(名古屋市)

名古屋市で開催されている、教育シンポジウムの第1回目に参加してきました。



今後も開かれるので、できる限り参加していこうと思います。

詳細については、名古屋市のページをご覧ください。

場所は、自宅から近かったので、散歩も兼ねる予定だったのですが、当日は生憎の雨模様だったので、仕方なく電車で移動しました。

当日、雨にも関わらず、予想以上の人が参加しており驚きました。
また、参加者は、老若男女問わない感じでした。学生もいくらか参加している様子でした。

では内容についてですが、3部構成でした。

今回は(A)曽山和彦氏の基調講演(B)意見聴衆(意見・提案会)について、書いていこうと思います。

(A)基調講演:「不登校の子どもを支える親の役割」曽山和彦氏
当日の資料は、「学校におけるカウンセリングを考える会」のskill upにありますので、興味がある人は是非読んでください。

最初、機械トラブルがありましたが、そこは慣れている(と思える)曽山先生。
上手く間を繋いでいました。余裕があるのは、経験の量でしょうね。

簡潔に書いて行きたいと思います。

・小学生から大学生を教えてきたが、それぞれに対して「かける言葉の違い」がある。
・適応指導教室の存在を教えてあげよう。
・大人も子どもも危ない、3つのスクリーン「携帯、パソコン、テレビ」
・強い子は、相手をいじめる。(弱い子ではなくて!)優しい子は、自分が消える(不登校)
・糸を切らさず、絶えず見ている必要はあるが、助けすぎず、黒子に徹する
・「約束」によって不安を煽ることがある。「約束を破った私はダメな子」
・声掛けの注意。「あなた(それ)は、良い(悪い)。」では、ただの上から目線の評価でしかない。これでは、上下関係の下にある「子ども」が相手に対して使えない言葉。
「私が(にとって)、嬉しい(助かった、悲しい)。」なら子ども同士でも、子どもから親や先生にも使える!
・「褒めて育てる落とし穴」。褒める人が居ないと、何もやらなくなる。自発的ではなくなる。
子どもの生活リズムを作るのは、親!親もしっかり早く寝て、早く起きるべき。
・10才までは、教える(人との付き合い方!)。10才からは、考えさせる。質問・提案の仕方。
・言葉は、馴染むもの。気持ちと「ありがとう」が一致出来ずに悩んでいるのなら、いつでも「ありがとう」を使うようにすればいい。携帯電話で、相手が見ていないのに頷く(頭を下げる)のは、そういうクセが馴染んでいるから。

などなど。その通り!や、感動した!ものを集めました。特に色を変えたところは、感動しました。

(B)意見聴衆(意見・提案会)
教育委員会の6名に対して、参加者が様々な意見や提案をする時間でした。
今回のテーマ「不登校」だけに限らなかったように思えます。
あまり発言者も無く、1時間の枠を取る必要も無いのではと思っていましたが、そんなことは無く、むしろ1時間では足りない程でした。

それでは、その意見・提案の中からいくつか印象に残ったものを取り上げていきます。
(一応、似たようなものについてはまとめてみました。)

(1)フリースクールについての情報が公立学校から積極的に得られない。

(2)先生の忙しさ・質、情報共有

(3)カウンセラーの人数・質

(4)サポート・通信制校の支援

他にもたくさんありましたが、今回はこの4つについて、大まかな意見・提案内容と、それに対する私個人の考え(まとめて最後に)を書いていきます。

(1)フリースクールについて
<不登校だった、現在大学生より>
通ったフリースクールには、大変お世話になった。フリースクールがあったから、今の自分がある。
しかし、その「フリースクールについて」は、自分で調べた。
僕は、たまたまそのような情報に出会えた。なぜ学校・教師は、教えてくれないのか?

(2)先生の忙しさ・質、情報共有
<生徒の母親を中心として>
(i)知的障害者の生徒に対して:普通の公立学校に通うのではなく、特別支援学校などに通われてはいかがと言われた。いじめられる可能性があるからなどと言われたが、納得出来ない。

(ii)小学校において:この6年間で、校長先生・教頭先生が3度、4度も変わった。いじめなどの対策は長期的なものであるのに、毎回変わるたびに再度状況の説明をしなければならなくなり、環境は良くならない。人事の面、または違反をしないような先生を選別すべきだ。

(iii)担任が変わるとクラスが変わりすぎる。先生の質に差が大きい!クラス情報の引き継ぎができてないのでは?

(iv)いじめは学校と家庭が協力することが必要条件と言うが、学校からの情報が少なすぎる!

番外編ですが、ひどいと思ったので
<孫が公立校に通う祖父より>
最近は、平日ばかりに催し物(文化祭や、体育祭)を行うことが多いのでしょうか
地域と触れ合うことが少なくなり、活気が無い気がして、寂しいです。

『?』このとき、確認を取りたいと提案者の男性は言ったのだが、前に座る6人の教育委員会は、お互いに顔を見合わすだけで、何も応えずこの提案者の1,2人後に、解答する。

(3)カウンセラーの人数・質
<子どもが不登校である母親より>
カウンセラーから「親の育て方が悪い」と言われた。いくらなんでも酷いと感じた。そのようなカウンセラーに合う、合わないもある。学校にカウンセラーを1,2名じゃ少ない、もしくは、他の支援方法を考えて欲しい。

(4)サポート・通信制校の支援
<サポート校を運営する団体の代表者より>
お金が足りない。また、生徒数が少ないため、登録が出来ず、生徒たちに対しても学割が適用されない。市に支援して欲しい。

<一般女性>
近くの小規模校の空き教室などを有効に活用して欲しい。もっと地域と関わるようなもの。もしくは、区外から通う等で、いじめからの逃げ場として使ってみてはどうか。

以上
---
私個人の考え(後半ほど愚痴になりつつあるので…いつか修正を)

現場で、1年、2年と働いたことも無く、教育実習とボランティアでしか公立学校の教育に関係したことはありません。
しかし、そこで得られたものは、先生方のほとんどは真面目であり、生徒の事を考えて動いているということです。
もちろん、あまり良くない先生(これについてはそのうち考えをまとめたて書きたいですが…)も少なからず居ます。それを念頭に、書いて行きたいと思います。

(1) フリースクールに関する情報が得られない
これを発言した学生が、中学生のころですので、今から多くて10年前だったりするのですが、その時の日本における「フリースクール」どれほど認知されていたのでしょうか。
もちろん、他の方からも同じような意見はあったので、認知度だけの話ではないのですが…。
実際問題、学校でも情報が多すぎてなのか分かりませんが、そのような情報を持っていない先生も居たりします。
そのような状況を作っているのは、先生の忙しさにあると私は思っています。
今よりも先生を増やせば、分担が出来て時間が取れて、その時間で研修含めた、情報共有の時間がしっかりと取れるのではないでしょうか。

もちろん、これに関係なく、サボっている、楽をしようとしている先生方は存在します。非常に残念です…。

(2)情報共有の問題
忙しさ、質については(1)にも書いてますので、情報共有について書きます。

この「情報共有」は、実は大変厄介な問題です。
例えば、生徒の情報を受け継ぐにしても、知らないふりをすることで、生徒から引き出すと言う手続きで、生徒と先生は近くなります。
逆に、生徒から見て、あまり私と会話をしたこともないのに、私の情報を何でもかんでも知っている先生と言うのは怖すぎますね…。
なので、「あえて知らないふり」をするのは教育現場ではやることです。(もちろん、いじめに対してはやってはだめですよ…)

しばしば、お年を召した先生方にいらっしゃるのですが、生徒の母親に対してもそのような扱いをすることがあります。「自分は先生なのだ」と言う、ちょっと曲がった先生です。(私はとても嫌いです)
そうすると、「共有すべきところ、迅速に対処すべきところ」が見えていない先生になってしまいます。

もちろん、そうした先生じゃない場合もあるのですけどね…。

(2)の後半部分は、「教育委員会に対して」呆れるしかありません。
「何も応えない」と言うのは、どういうことなのでしょうか。
「少し、確認を取ります」の一言も言えない。
また、ここには書きませんでしたが、最後の閉会の言葉では、ほとんど同じ言葉を6つの口から時間差で聞くことになりました。なんて無駄な!!
ただの、教育委員会の仕事してますよアピールの場になるのだったら、非常に勿体無い!!
意見・提案会を見る・聞く限り、みなさん凄く考えているのに…。

と話が少しずれましたが、「教育」に関してはこれぐらいでしょうか。

解決策としては、「先生の質をちゃんと篩にかけられる採用方法を見つけ出す」か
採用したら、永遠と働ける今の状態をどうにか変えるべきでしょう。

3年間の試用期間何かもいいのではないでしょうかね。

あと、年老いた、教育に関して何も考えないような、「金を貪る」教員をどう減らすかですね。

2012年7月1日日曜日

素数日について

7月になりました。
数学をしなきゃいけないことは分かってるんですが、ちょっと現実逃避。
7月はたくさん数学する予定ですし、ちょっとね、逃げても許されるんじゃない?

2012年1月1日に年間の素数をまとめた記事を書きました。
そのうち、これに関係した素数日について書こうと思っていたのですが、忘れていたことに気づいたので、今夜はそれについて書いてみようと思います。

まず『素数日』の定義が必要です。

これは、年(4桁)・月(2桁)・日(桁)をそれぞれ並べて、表記した8桁の数字が素数である時とするのが普通の定義のように感じます。

しかし、ここで問題となるのは、この8桁の並び方が(私の知るところでは)少なくとも3種類あります。

この並び方について、考えましょう。

例えば、今日は2012年7月1日ですが、これは日本式です。

これをスラッシュ(/)を挟んで書くと

2012/07/01

と書きますね。しかし、しばしば、この2012の20の部分を省略して書くこともあります。(あまりないかも…?)
そうすると

12/07/01

となりますね。しかし、この表記。実は3通りの解釈が生まれてしまいます。
(だから、1900年代は19を省略したけど、2000年代に入ってから20を省略するのは少なくなったのかな…?と思ったりします。)

日本では…2012年7月1日
米国では…2001年12月7日
英国では…2001年7月12日

の解釈が出来てしまいます。
つまり、2012年7月1日をスラッシュ(/)を挟んで書くと…

日本…2012/07/01 -> 20120701
米国…07/01/2012 -> 07012012
英国…01/07/2012 -> 01072012

となります。スラッシュ(/)を挟んだ横に、繋げて書いて、8桁表記をしてみました。
すると、すぐに分かるように、「2012年」は、米国・英国表記では、素数日が全く現れない年になってしまいます。
さらに、便宜上8桁で書きましたが、先頭が0になることがある、月・日が先頭に来るのは少しつまらなくもありますね。

なので、『素数日』として、定義する場合は、日本式で表示した8桁の数字について考えるのが良いでしょう。

それでは、1日しか存在しない(年・月・日によって一意に定まる)、『素数日』に対しては、日本式を採用していくことにします。

まとめましょう。

定義(Def) 特定の日が『素数日』であるとは、日本式の表記yyyymmdd(ISO 8601)が素数であるとき

例えば(e.g.) 2012年における素数日は、以下の通り。(緑色が素数日です。)


さて、読者の方には、『では、年を除いた場合はどうなるのか?』と考える方が居るでしょう。

これについても考えていき、これを『年間素数日』(または狭義素数日としましょう。)

これもまず、並び方から採用すべきものを選ぶべきです。

7月1日について、それぞれ書いてみましょう。

日本…07/01 -> 0701
米国…07/01 -> 0701
英国…01/07 -> 0107

となります。つまり、日本式と米国式は同じなので、考えるべきは2通りです。

どちらも面白そうなので、求めてみましょう。

まずは、日本・米国式の年間素数日



総数:59

次に、英国式の年間素数日



総数:53

となりました。59,53と、どちらも素数個ありました!!感動!!
そして、あまり個数に差が無いことにちょっと感動もしましたね。

英国式では、偶数の月は全く素数日が現れませんから、『英国の方が少なくなるのでは?』と直感的には思うかも知れません。

よく見ると、英国式では、右に数字が増えていく**01~**12のパターン。
日本・米国式では、縦に数字が増えていく01**~12**のパターン。

つまり明らかに英国式の方が全体的に見て数が大きいので素数日の個数が少なくなるのは、ある意味正しい。

一応ここで、それぞれの数の総和について考えてみましょう。(大凡の計算をします)

英国式では、横に考えた時に、1列目の平均が106、2列目に206、それ以降306となっていきますので
106*12+206*12+...+2906*12+3006*12=12*(106+206+...+2906+3006)=12*((1+2+...+29+30)*100)=558 000
日本・米国式では、縦に考えた時に1月なら平均が115、それ以降も215、315となっていきますので
((1+2+...+11+12)*100+15)*30=234 450

となります。大凡2倍違いますが、もちろん、総和から全てが判断出来るわけではないです。
ある区間には、素数が多く含まれる場合だってありますからね。
そのある種の重みが、今回の素数の個数の差の少なさになったのではないか…と考えられますね。

次は、どうにか上手い(こじつけを考えて)、その日と素数を結び付けられないかを考えて行きましょう。(実は5月後半から考えてたりする…)

例えば、2月3日は、日本・米国式、英国式の両方で素数ではありませんが、2012年と言うものを頭につけた20120203は素数となります。

1月2日は、いずれの場合でも素数ではありません。

ここで、必ず入れなければならない数字として(その日を結びつける)、mmdd

これに、2012、12、(平成)24などを付け足した物が素数にならないかと考えるわけです…。

しかし、mmddが3の倍数で割り切れるのであれば、12、24をどこにつけたとしてもそれも3の倍数で割りきれてしまいます…。

新しい付け加え方を導入しなければ、1月2日を素数と結びつけることは不可能です。

この新しい付け加え方として、面白そうなものを見つけました。

それがこちらのサイトにあるような方法です。7年前にも、同じようなことを考えている人が居たということは、結構考えてる人がいるんですね…。

これをもうちょっと練って、自分なりに考えてみようと思います。

それでは、また後日、経過報告と共に書くことにします。(来週辺り…?)

2012年6月24日日曜日

これからの高校教育と大学の在り方について

久しぶりに、時間が取れたのもあり、教育に関係する考えも溜まっていたので、アウトプットしておこうと思い書いてみます。
題名は、ちょっと大袈裟ですが、書いていきます。

まず、ここ最近で参加した、教育関係のセミナーなどを振り返ります。
(何で、参加した毎に書かなかったのか…完全に忙しさとかで、blogの意義を忘れていた…。)

・振り返り

4月28日 数理ウェーブ (参照:こちら)

名古屋大学で、毎月行われている、数学が好きな人へ向けたセミナーです。
参加者は、下は小学生から、上は80歳ぐらいのお爺さん、お婆さんと幅広い。
多かったのは、中年以降の人だった印象です。

開場する30分ぐらい前に行ったのですが、高校生がすでに集まっており、数学の教科書片手に、色々話をしていました。
話の内容を聞いていると、講演の紹介文にある「数学の用語」を復習していました。
そこから、さらに高校で受けた授業や試験の内容(かな?)を思い返していたりしてました。

たまに、間違ったことを言ってたりしたのですが、遠くから見守ることにしました。
間違いに気づくのも大切ですからね。幸い一人が、「うーん、そうだっけ?ちょっと考えてみよう」と言っていたので、多分正解にたどり着いているでしょう。

意外にも(?)、女子高生も含めた、女性は居ましたね。中には、家族で連れてこられたような人も居ましたが、自分の意志で着ているであろう子の方が多かったようです。

素晴らしいですね。

自分が高校生の時には、こういうものに参加しようとはあまりしなかったですし、そういうものがあることも知りませんでしたね…。
ちょっと話がずれますが、数学オリンピックなどを知ったのは、浪人した時ですし、そういうことを「知る機会」が無かったのは、どうしてだろうと思いますね。
自分に積極性が無かった以外にも、理由がある気がします。地方・田舎は、学力面以外にも差があるというのは、こういうことからも考えられそうではあります。

さて、当日の内容ですが…これは数学マニアの人たちに「こういうものがあるんだよ。」と言うのが目的らしいので、少し内容としては楽しめませんでしたね。
しかし、最後には、急激に大学初等レベルになるので、高校生は果たして分かるのだろうか…と。
(テイラー展開で、多項式近似する話をしていましたが、確か図・グラフが無かった…。後コーシーの積分定理なんかも扱ったような…?)

今後も機会があれば出たいな、高校生諸君がどう変わるかも観察したいなと思っていましたが、後述する「数学教育セミナー」と毎回かぶることになって、この4月の1回しか参加出来ていません。

5月26日 第33回名大数学教育セミナー(参考:こちら)

これも名古屋大学で、ほぼ毎月行われている、主として現役教員・教育者が意見交換・交流をする場のように思います。

参加者は、学部生は多分0?、院生が2名ほど毎回居る気がします。
その他は、現役教員、退職・退官された元教員が多いですね。
ここには、男性しか(多分)居ませんでした。
愛知県近辺以外からも、割りと参加者が居たりするので、そろそろ自分も意見・質問を出しつつ、色々な話を聞いて行かなければと思っています。

内容については、前半は「新学習指導要領に対してどう捉えていくべきか」と言った内容でした。
後半は、「不確定性原理の反証と新しい定式化」と言う物理の小澤先生のお話でした。

正直後半は、全く分からずだったので(研究者とはどんなものなのかを感じる程度で)、前半の内容のみを少し自分なりにまとめてみます。

「市民的教養としての数学教育を目指して」(浪川先生)

主張は、『数学は言語である。』だと私は思います。

以下、浪川先生の仰った内容を要約しています。(私個人の意見は、赤色にして書きます。)

始まりは、「生きる力」の認識の違いにあった。
80年代に最初に起こった、学校における自殺。また、詰め込み教育の問題であった、落ちこぼれ。
その両方を救う考えとして、「生きる力」という、曖昧な表現を使ってしまった。
ゆえに、認識の違いが起こった。

ゆとり教育の始まり。
何年後かに、TIMSS、PISAなどから明らかになる「学力低下」

その中でも数学において一番問題となっているものとして
「読解力や記述式問題に課題」

(読解力も記述、論述力も、両方国語ではないか!国語力の話についてはまた、後で書きます。)

「数式などを含む、広い意味の言語」とすべきだ。

なぜなら、高校進学率95%である現状、準義務教育として見れる。
さらに、高校では国語・英語・数学(一部)が必修科目としてあるのだから、これは「広い意味での言語科目」だとするべきだ。

特に、数学Ⅰにおける教育では、それ(数学が言語であること)を意識させるべき。

生徒が先生に説明するなものではなく、生徒が同じ生徒に対して説明させる環境が理想だ。

以上

大体このような内容でした。
そして、ちょっと私が気になったことは、中高生に対する数学の意識アンケートの結果です。

「数学への生徒の興味」は低い、しかし「今後の数学(を学ぶこと)」に対しては不安を感じ、「数学を好き」だと言う人の割合は低下している。

ということだ。これは、かなり重い問題だ。特に、最後の「数学を好き」だと言う人が少ないと言うのだ。
これは、「数学が嫌いだ」と言う人が多いことと同値ではない。

この現状を見て、「余裕を持った授業計画」が求められるのは当然であるが、それでは学力が一向に伸びない…。(もちろん大学受験の制度を変えなければ、進学校以外の未来が無くなる…)

あっちに転べば、こっちが問題にと、完全に八方塞がりの状態。

これをどうやって解決していくのか…。
現場の先生は、目の前の生徒で手一杯である。
こんなことを考えているのは、学生や、引退した先生が多い。
そして、その学生や、引退した先生が何か言えば、「現場を知らないから(くせに!!)」となるのだから、もうどうしようもない。
双方の理解と、落ち着いた態度で、どうにか変えて行かなければなりませんね…。
(愚痴でした…)

そういう意味では、この「数学教育セミナー」の集まりと言うのは非常に大切だと思う。

中には、このことも含めた、理想と現場でやることのギャップに悩む現役の教員も何人か参加していらっしゃる様子。そういう人達からも色々学びたい。

(ALL関東教育フェスタなどがあることは、そういう意味では素敵だと思うのだが、何か芯のある、実績のある年配の方が居るのと居ないのでは、大きな差があるだろう。
学生だけの集まりと言うのは、時として自己満足で終わってしまうのです…。)

6月22日 第34回名大数学教育セミナー

前半は、「関孝和先生の和算」について。後半は、2月末から話題になった「第1回大学生数学基礎調査について」。
両方共、お茶の水女子大学の真島先生。

後半についてまとめようかと思いましたが、これは真島先生が言うに、近日修正版とまとめたものがあがるそうなので、載っていないことについていくらか書いていきます。
(詳しい内容に興味がある方は、こちら

何故このような調査を行ったかと言うと、日本の(数)学力低下に、世間が注目して欲しかったと言うのが本音だそうです(笑)

そのために、世論を味方に、マスコミを味方につけようとしたと、色々工夫がなされていることを聞いて、大変なんだなあと思いました。
(けど、事実ですよね、マスコミに取り上げられなかったら、誰も何も言わなかったし、そんなことはないと思い込んでいたかもしれない…)

記述力つまり、『筆記試験の必要性』を訴えたい。(その背後にも理由があるらしいのですが、ここでは危ないかも知れないので省略(笑))

記述式の筆記試験を受けていなかった学生は、多くが理解が足りていなく、マーク式のみで受験した学生は典型的なミスに陥りやすい傾向が見られた。

マーク式と言うのは、「反応の速さ」を重視するので、「パターン化」することになってしまう。
現役の教員の方も、これについて話をしていた…。やりたくないけど、「大学受験(の実績)」を見ると、どうしてもそうせざるを得ないと。

センター試験を廃止した方がいいのでは?いや、一つの指標として良い問題だと思う。

という話も出たりした。

そして、退官された三宅先生から「日本の国語の授業は、国語の評価をしていない」と仰られた。

仰るとおりだと私も思い、その皮肉さに笑ってしまった。
三宅先生の真後ろに居たのだから、話しかけるかすれば良かったと今更後悔している。

以上で、この3ヶ月ほどで参加したものを振り返りました。

色々書こうと思っていましたが、たくさんありすぎるので、今回は、今読もう、考えようとしていることと、「国語の授業に対する文句(笑)」を書いて終わりにしようと思います。

・今後考えること

私は地下鉄を利用して大学に通っているのですが、その間することが無いので暇である。
6月前半から、教育関係者のブログ記事やらを引っ張ってきて、それを移動中読んでいたりします。
その内容については、他に知ってもらいたいと思えば、Twitterに投稿し、お気に入りに入れています。(清先生のが大半ですが…)

そして、今後もこれを続けます。

さらに、文科省から発表された「大学改革プラン」。これを是非読みたいと考えています。
コピー自体は、もう済ませてるのですが、如何せん長いので、どっかで一気に読まないとと思っています。

・国語の授業に対する文句 (個人的な意見です。全部が全部悪いとも思っていません。)

「試験で国語の点数が低い」と、親や教師から「本を読め、小説を読め」とよく言われたのは、私だけではないはず。

確かに、本を日常的に読んでいる人たちは、国語の点数が高かったような記憶があります。
けれど、そのよく本を読む子のうちにも2種類のタイプが居ると思います。

(A)一般的な本を読む子

(B)ライトノベルや小説を好む子

そして、私の印象では、(A)の子は国語以外も比較的出来る子が多い。(B)については、それほど分かりませんが、あまりいい印象がありません。

この違いは、「論理力」にあると思っています。

センター試験や、大学入試における国語の試験は、どれぐらい論理的に読めて、それを正確に表せるかだと思います。(私は国語の筆記試験を受けたことは、模試でしか無いので、それほど胸を張れませんが…)

これについて、私の大学受験も含めて、お話したいと思います。

私は、高校3年生まで、自分は国語が苦手で、どうやっても点数なんて取れない、センター試験なんて知りませんよ、という感じでした。
(中学でも良い点数を取ったことはありませんでしたしね…思い込みですね。その度に、親に小説を読めと言われたもんです。)

その結果、高校3年生で受けた、センター試験では80点代でした。(国語は200点満点、現文100点、古文50点、漢文50点)
古文、漢文に至っては、勉強をした記憶が無いので、感で埋めました。それでも現文とドッコイドッコイな点数だったはず…(笑)

こんなにひどい点数を取っても、気にせず私立受験し、浪人することになりました。

そして、浪人したんだし、真面目に勉強してみるかと思いました。(4月までは私立一本と迷ったのですが、3月末から4月中旬にかけて、国語の勉強の仕方・正答とはどういうことかが分かったのです!)

そこから私が思ったことは、『「本を読んだこと」が必ず国語力に直結するとは言えない!』

国語の、特に現文では、「書いてある事から正しいことを導け」と言うのが問題だったのです。
私は、この時までそんな事知りませんでした。

それまでの私は「想像できうることで、最も(自分の感性に)合っていること、または正しいと連想できそうなこと」を選んでいました。(そりゃ当たるわけない)

こうだったらいいのにではないですが、こうあるべきだろうとか思うことはよくありますよね、それを試験に持ち込んでいた。「勝手に想像していた」

これがダメな点です。数学ならそれを確かめる術があるので良いですが、国語は想像に間違いとかはありません、それは主観であり、正しいのですから。
国語では、客観的に読めるかどうかが鍛えられてたわけですね。

そんなこと「知っているのが普通だろ」と思う人も多いかも知れませんが、以外に少ないのでは無いでしょうかね…。
理系の子なら、ちゃんとこれを教えてあげれば、「論理力」から比較的簡単に国語の点数も伸びると思います。

これで、私は浪人してからの夏には、120点をウロウロして、秋から冬にかけて140点近辺、本番では、165点とかだったと思います。

センター試験の国語では、時間が足りないと言うことは、あまり起こらないので(少なくとも数学ⅡBのような)、十分に論理性を試される良い試験だと思います。
(古文・漢文は、ちょっと記憶と反応の速さを求められると思いますが…)

そして、この国語、「直感で解ける」というのを良く聞いたりします。
この直感で解ける人たちが、危ない子たちだと私は思っています。

彼ら/彼女らは、論理力どうこうではなく、「与えられたことからのみ思考できる」状態なのではないかと思うのです。(ちょっと極端ですが…)

つまり、何かを想像したりすることをしない、あらゆることを想定しないで、今あるものを信じる。
何かが異変が起こっても、それが変だと思わない、気づかない。

マンガ脳だとか、言うつもりはありませんが、ライトノベルや(携帯)小説にはそういうものが多い…と感じます。
空想の世界なのだからと言いますが、昔の小説は、ある程度決められている世界観があってその範疇に収まっているように感じます。坊ちゃん、羅生門など、不思議なことはあっても、それが綺麗に収まっているように思えます。

---

国語力、論理力をちゃんと鍛えるための授業、定期試験を考えるべきですね。
今の高校・中学では、暗記試験になってしまっています。
和歌を覚えたり、活用を覚えることに意味が無いとまでは言いません。
しかし、その先に何か(活用なら、それを使った品詞分解も見据えるとか、やらせるとか)を置かないと、このままでは、ただの暗記科目であって、理系から煙たがられる科目になるでしょう。

これが三宅先生の仰ったことと私の思ったことの似たところでしょうか。

三宅先生が、私のようなことを思って、そう言ったのかどうかは定かではありません。
次回確かめてきます。

それでは!また、後日近況報告致します!