2011年4月24日日曜日

私は、数学が好きです。

中学校までは、特にそういう気はあまり無かった。

とにかく数学・理科は、好きだったのは覚えている。

国語が苦手だったのは、問題の意図を理解していなかったからだ。

選択肢には、想像を膨らませば、その可能性もあるし、その可能性の中でも最も重要であろうものを選び解答していた。

もちろん、それでは、合わない。国語は限られた文章の中から、「確実に言えること」を選ぶのであって、可能性を考える問題ではなかったからだ。

それに気づいたのは、浪人した時に霜栄先生の本を読んで、やっと気づいたのだが…。

未だに思うのは、高校までに「勘」で解いている人は、「可能性」は考えない人たちなのかなと思う。

そこが理系との差なのだと思う。

私は若干理系であるからか、「ありえるだろうすべての可能性」を考えながら、その問題に取り組む。

その可能性はもちろん、私が考える事に限られてしまうのだが…。

物理では、どうしても先に現象を認めてしまわなければならないこともある。

そこから理論を組み立てていく。(数学にも似たように、予想をし、その予想が正しいのかどうかを考えることはあるが、その予想と現象を認めることは、少し異なるように思える。)

数学はしばしば、拡張して考えることをする。自然数を整数に、整数を有理数に、有理数を実数に、実数を複素数に。これは数学で一番初歩的な拡張であろう。

さらに言えば、2次元ベクトルを3次元へ、4次元へ、...、n次元へ。

数学ではあらゆる可能性を考え、それが成り立つのか・拡張できるのかを考えていく。

そんなことを実際、肌に感じたのは、学部2年生になる直前だった。

ちょっと話を戻し、私が数学と言うものに惹かれていった経緯を書いていこう。


私は因数分解は嫌いだった。だから数Ⅰの最初、数と式はつまらなくてどうしようもなかった。

数学なんてものが好きになるなんてこの時は微塵も感じ無かった。

私の高校は、工業高校だったため、1年次には数学Ⅰのみ、2年次に数学Ⅱ・A、3年次に数学Ⅲ・Bを習うのが普通で、それでも進学希望者だけで、それ以外は、数学ⅡとAまでしか習わなかった。

高校2年に上がった時、大学進学すると決めることになり、数学を授業と放課後補習と、塾に通うことにした。

その塾が私にとって、天国だった。先生は数学科出身で、私に数学というものをどう捉えるべきか、初歩的なことを感じさせてくれた。

それからは、公式・定理・あらゆる証明に興味を持ち、モノグラフ(公式集)を暇なときはペラペラめくり、読んで唸り、さらに教科書を読んでいたりした。

それからどんどん数学が好きになり、教員も目指すことになる。

だから教育学部数学科を考え、受験する。だが、失敗する。

もちろん合格した大学はあったが、自分が進学したいと思えるところではなかった。

そして、浪人し、大学への数学と出会った。この時に、モノグラフ(公式集)に興奮していた私は、まだまだ数学の凡人で、それ以上の数学に興奮を覚える内容がそこにあった。

それからは、教育学部数学科ではなく、理学部数学科を目指すことになった。

浪人も完全なる成功にはならなかった。が、同じ数学を好きだと言う人にも出会うことが出来た。

また、最近では、活動も広がり、もっと数学が好きな人との空間を共有することが増えた。

それに感化された部分もあり、私は数学を学ぶために大学院進学を考えた。

そして今に至る。

また、私がこれを通して伝えたい事は、自分が真に好きなことは、長く色々とこなせば見つかるのだと思う。

単純に大学進学したときに、○○学科だったから、それを学ぶしか無いのだと思うのでは勿体無い。

私はたまたま数学科に行くことで、自分が真に学びたい・好きであることが分かった。

学問が苦手なら、大学の勉強以外にも打ち込めることはたくさんある。それをすればいいと思う。

そこで、自分のしたいことが見つかればいい。だけど、いい加減な決め方としてはいけない。

それが本当に好きなのか、そうではないのか。それは自分が熱心にそれに打ち込み、ちゃんと学び・感じなければ分からない。

なんとなくで決めては、もしかすると取り返しのつかないことになるかも知れない。

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