『期待』と『裏切り』
私は、色んな人の色んな活動に『期待』をします。
『期待』をし、それで私はその人たちの行動を見つめます。
その途中で、『裏切られる』思いをいつも感じる。
特に、最近の学生団体や、学生ベンチャーに興味があるなどをTwitterのアカウント紹介分や、mixiのプロフィールに書いている人たち。
夢や理想、目標を掲げるだけで終わるなんて、勿体無いし、かっこ悪くないですか。
その過程・途中が美しいのだと私は思っているんです。
『何頑張ってんの(笑)』ぐらいの気持ちを持ってる人が多く、頑張っている人を軽視したり、侮辱したりする人が居ますね。
それはとても残念に私は思いますが、今回言いたいこととは、ちょっとずれるので置いておきます。
本題に戻ると、そういう掲げるだけ、チラつかせるだけで終わってる人が多い。
終っていない人は、その理想・目標について真剣に考えていて、いつも頑張っている。
そして、その話をすると活き活きして、話してくれる。本当に考えてるんだなぁと感じる。
確かにこれは主観なのかも知れない。
よく私は、厳しいことを言い過ぎるとか、言われます。けど、それには、『期待』が込められているからです。
私だって、誰にでも言いません。特に年齢を絞れば、高校2年生以上ぐらいにしか厳しいことを直接的に言いません。
高校生以下は、大体私たちの『期待』を裏切ります。
小さいことを言えば、『宿題をやってこない』。これは、1つの期待です。
私は、宿題を出す時に、大体ここぐらいまでは解けて、此処から先は分からないだろうぐらいの予測(期待)をしています。
(けど、これは大体の塾の先生は、それを考えて宿題を出しているでしょう。塾の指導範囲内のことだけやってる人は少ないはず、私もそう思い、最近2年ぐらいは、自作プリントなどを良く使うようにしている。)
そこで、「なんでやってこないの!!」と発狂する人も居ますが、ビックリしますね。あなただって、高校生2年生ぐらいの時は宿題をやらなかったことだってあるでしょ、と。
塾における、最大の期待は、誰しもが持つであろう、志望校への合格でしょう。
特に大学受験に絞れば、その受験が一生を決めるのではないかと思っている人は、多いのかも知れません。
その時に、再度「勉強法」「復習法」などを教えられたりします。
復習がどれだけ大事か、それは分からないかも知れないから、「復習が一番大切だ」ということを教えられる。
だけど、その復習の仕方は習わないし、特に私は、復習の王道や、万人共通の復習の方法なんてないのではないかと思う。
同じように、「勉強法」も1つに定まらないだろう。
色んなやり方(せいぜいその科目に対して5種類も無いだろう)を経て、自分で体得するしかない。
その時に、その科目の真髄をある程度見れるのではないだろうか。
国語・英語だって、単語さえ分かればどうにでもなるわけではないし、数学や物理も公式を覚えているだけじゃどうしようもない。
それを気づかせるために、私は受験生になったとき(3年生だとは限らない)に、ある程度厳しいことは言う。
自分で気づくこと、これが一番大切じゃないのかな。何がいけないとか、何が足りないとか、そういう事を自分で常に考えて、探していかないと。
私たち、先生・講師が出来ることは、その材料を与えたりすることだろう。
答えをすぐに教えたり、復習法・勉強法はコレだと1つに決めたりすることは、やるべきじゃない。
そんな可能性を無くす教育は、しちゃいけない。どうやって間違えるのか、どうやって決めるのか。その子を見てください。
さて、教育論にまで話がずれましたが、これを私は同い年・同じ世代には、思いません。むしろ、同じぐらい生きているのだから、それぐらい考えて生きているだろうと私は思っています。
だから、厳しいことを言っているように聞こえるのかも知れません。
言い訳なんて、もっての外ですよ。そりゃ得意・不得意はあるだろうけどもね。
「私は、苦手なので、ダメでした。」とか言われたら、もう『裏切り』・『失望』ですよ。
苦手なりにでもこうやってみた、ダメなところは見つかった・見つからない、アドバイスをください。
そういう姿勢で居るべきでしょうね。私自身にもそれは言えます。
ちょっと何を言いたいか、分からなくなりましたね。
こちらから、ちょっとブログをまとめようと思いましたが、上手くまとまりませんでした。
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