2018年。社会人5年目の年です。
ここまで私学教員を続けてきました。
1年目~3年目は,専任講師(常勤講師)として働きました。
4年目職場(学校)を変えて,非常勤講師として働き始めました。
4年目の途中から急遽産休代理で専任講師(常勤講師)になりました。
5年目も継続して専任講師(常勤講師)で働いています。
1校目に比べて,2校目は随分のんびりした学校ですが,
教員同士の権利・領域に厳しい学校と感じました。
1校目と同じことは,トコトン関わる先生は生徒に関わるし,
関わらない先生は関わらない。楽をしようと思えば,トコトン楽をし始める学校。
けど,これは学校に限らずどの社会でもそうなのかなって思う今日このごろ。
みんな楽して生きていたいんだなあ~って思います。
仕事に楽しさを感じる人は,この世には少ないのかも知れません。
僕は,この『教員』という仕事で楽しさを感じるから続けてきましたが,
あまりにも周りに邪魔をされてしまうこともあって,この学校・教育現場で生きていくのも辛いなあと最近思います。
そんなことを考え始めたのが10月・11月。
まだ教育現場…という気持ちもありながら,転職活動を始めてみました。
『何かを作る』という企業には興味があまりなく,
『誰かを支援する』という立場へ興味を持って活動を始めてみました。
具体的には,学校事務などです。自分が今いる教育を支えることを目標に働くのも良いなと思い始めてみました。
なかなか30歳で『初めての学校事務』は敷居が高く,落とされまくっていますが…。
違う学校に移るか,違う仕事に就くか…そんなイイカゲンな転職活動です。
やれることをやってみて,ダメだったらまた考えます。
楽しくないことを続けることは考えたくないな~って思うそんなこの頃です。
ひとつ,本当に嫌だな~って思うのは,教員側が生徒に求めることで当たり前のこと。
例えば,「出会った人に挨拶をする」こと。
生徒には口うるさく言う教員側が,教員と会っても挨拶をしない環境。
目すら合わせない教員。本当に『糞』だな~~~って思いました。
また,年明け記事がかけるか分かりませんが,こういうことはもっと残していかないといけないなと思いました。
数学の教育に関してもそうだなと思います。
難しいことばかり望む教員。平均点が低く,例年より『バカな生徒たち』とレッテルを貼る。本当に『糞』ですよ。
生徒を『見れている』のでしょうかね。と感じます。
2018年12月25日火曜日
2016年12月29日木曜日
お久しぶりですね
お久しぶり…というも何も決まった読者がいるわけではないので,
自分のための記録がだいぶ途絶えてしまったのが残念…。
さて,教員歴も3年の終わりに近づきました。
ひとつの節目ですね。
1年目は,副担任としていろいろと学ばせて貰いました。
2年目は,担任を初めて経験しました。
なかなか思うようにいかない…というのは,授業もそうでしたが,
クラス運営も同じでした。
いろんなことを考え,大変疲れたのが昨年度でした。
3年目は,のんびりと過ごせたかなと思います。
特に余裕が出来たのか,部活動に積極的に関われたような気がしています。
部活動,もっと言えば,高体連の役員というのは,
サービス精神が無いとやっていけませんね。
(ボランティア…というのか?)
ボクはたまたま良い部活動の良い環境に携われたので,
この競技を盛り上げたいなと思う反面,
こういう環境に恵まれない限り,その競技は盛り上がらないのだろうなと思います。
どこの学校もそうだと思いますが,
ラクをしようと思えば,トコトン楽ができるのが教員かなと思います。
生徒の学習もそうですが,学校の雰囲気や,部活動を盛り上げるのは,
教員の意識にあるように思います。
(ボクはそこまで持っていませんでしたが,所属した環境に恵まれたのでしょう。)
楽しい3年間になったなあと思います。
しかし,それでもまあ,私立学校と言うのは,理事長・校長の考えというのが
学校の指針になります。
それに疑問を感じることもあります。
自分としては,楽しい学校でも,それを違う方向にもっていこうとすることもあるのが,
私立学校でしょう。
その分の楽しさはあると思います。
異動も無いので,教員と生徒間の交流は公立よりも続くのではないかと思っています。
3年という節目。今の学校に『これからも勤める…というのは?』
と考え始めました。
年末年始,たっぷり考えて,部活動にも精を出してきます。
今年度の休日は50日にも満たないと思いますが,
休みと引き換えに,楽しさを感じています。
もちろん,そうじゃなきゃやってられないのが教員だとも思っています。
(そういう人が少ないのも残念だと感じていますが…。)
それでは,また2,3月に人生の方向を…!
自分のための記録がだいぶ途絶えてしまったのが残念…。
さて,教員歴も3年の終わりに近づきました。
ひとつの節目ですね。
1年目は,副担任としていろいろと学ばせて貰いました。
2年目は,担任を初めて経験しました。
なかなか思うようにいかない…というのは,授業もそうでしたが,
クラス運営も同じでした。
いろんなことを考え,大変疲れたのが昨年度でした。
3年目は,のんびりと過ごせたかなと思います。
特に余裕が出来たのか,部活動に積極的に関われたような気がしています。
部活動,もっと言えば,高体連の役員というのは,
サービス精神が無いとやっていけませんね。
(ボランティア…というのか?)
ボクはたまたま良い部活動の良い環境に携われたので,
この競技を盛り上げたいなと思う反面,
こういう環境に恵まれない限り,その競技は盛り上がらないのだろうなと思います。
どこの学校もそうだと思いますが,
ラクをしようと思えば,トコトン楽ができるのが教員かなと思います。
生徒の学習もそうですが,学校の雰囲気や,部活動を盛り上げるのは,
教員の意識にあるように思います。
(ボクはそこまで持っていませんでしたが,所属した環境に恵まれたのでしょう。)
楽しい3年間になったなあと思います。
しかし,それでもまあ,私立学校と言うのは,理事長・校長の考えというのが
学校の指針になります。
それに疑問を感じることもあります。
自分としては,楽しい学校でも,それを違う方向にもっていこうとすることもあるのが,
私立学校でしょう。
その分の楽しさはあると思います。
異動も無いので,教員と生徒間の交流は公立よりも続くのではないかと思っています。
3年という節目。今の学校に『これからも勤める…というのは?』
と考え始めました。
年末年始,たっぷり考えて,部活動にも精を出してきます。
今年度の休日は50日にも満たないと思いますが,
休みと引き換えに,楽しさを感じています。
もちろん,そうじゃなきゃやってられないのが教員だとも思っています。
(そういう人が少ないのも残念だと感じていますが…。)
それでは,また2,3月に人生の方向を…!
2013年9月28日土曜日
過ごしやすい季節になりました
秋ですね.
子どもの頃から季節の中では秋が一番好きでした.
それは太っていたこともあって, 涼しい秋が一番だと感じていたような気がします.
今はそれに加えて, 紅葉が楽しめる年齢(?)になったような気がしています.
ただ, 去年はそれで寂しさも感じ, いろいろどうでも良くなり始めたのが10月中旬から後半.
(9月末にはちょっと精神的にきて, 病院に行ったのもありましたね.)
今年はそんなことのないように, しっかり目の前のことを見て頑張っていきたい.
さてさて, 9月の感想です.
初旬に胃腸風邪を引いたり, 下旬には移動の疲れもたたって昨日まで頭が痛くて倒れていました.
身体が弱くなったのかな...?
あとは, 珍しく9月に帰省していました.(岡山での交流会と, 愛媛の学会の合間に)
それ以外は就職活動をちょこちょこやっていたぐらいです.
まずは, 9月に参加したものについて書いておきます.
第9回教育改善学生交流フォーラムi*See 2013 (9月15, 16日)(参照:岡山大学教育開発センター)
大学生が主体的に学ぶためにはどうすればよいのか, という主題に対してティーチング, ラーニングチップスを考えようというフォーラムでした.
このチップスと言うのが私は初耳だったことと, 私自身は『主体性は中学・高校から養われて大学生でいきなり変わるのなんて無理じゃないか...』という考えがあったので参加してきました.
(チップスについては, 名古屋大学のティップス先生というのが初めてだそうです.)
参加するときは, 私に年齢が近い方々が多いのかなと思っていたのですが(学部3年~M2ぐらいかと), 実際に行くと学部1, 2年生が大半でした.
運営のほとんども学部1, 2年生がやっていたのですが, いい加減な部分もなく進んで良かったと思いました.
しかし, 欲を言えば最後にまとめの発表があったのですが, ほとんどチップスの発表で終わり, 事後報告まとめにもチップスを羅列しただけで終わるのは如何なものかと思いました.
そのチップスが生まれた経緯と, そのチップスによってどのような方向に向けたいのかが一部しか取り上げられずに終わるのでは, それを大学に持ち帰って実践すると言うのは難しい気がします.
また, 運営もスムーズに学部生が出来ているので, 意見交換も本当は学生だけでいいのではないかと思いました.
もちろん, 教員側や職員側からの意見も欲しいとは思いますが, 今回感じたのは, お偉い先生が何人か居て, その人たちの意見が絶対になりつつあると感じました.
交流と言うよりは, その人の中では答えが決まっていると言う雰囲気を感じて, 少し残念に思えました.
来年以降もタイミングが合えば参加してみたいですが, その際には少しその辺を調整できないかと思います.(今回は初参加だったので, 懇親会でもあまりその先生方の意見を聞きにいけなかったので...)
日本数学会 2013粘土秋季分科会 (9月24日)
これは代数学分科会と, 教育シンポジウムに参加をしてきました.
教育シンポジウムでは, 教養教育としての数学の魅力を感じました.
これは高校にも応用出来るでしょう.
ただ, 内容が少し難しいのもあるので, その辺をどう変えるのか.
あと, 実践している大学の代表2つがICUと大阪府立大学であったので, やはりそれなりのレベルが無ければ難しいのかなと思います.(教室の勉強への意識の差など.)
第40回 名古屋大学数学教育セミナー (9月28日)
前半 "江戸の数学塾に学ぶ数学教育" 小川束先生.
後半 "江戸の数学文化を現代に活用した教育実践" 牧下英世先生.
今回は, 数学史, 特に和算に着目したセミナーでした.
前半の話題をまずは箇条書きにしてみます.
次に後半のものを箇条書きにします.(牧下先生は, 過去に筑駒で教員をされていたそうで, そのときの体験談として話してくださいました.)
---
では, 9月の反省です.
教員採用に向けた勉強と活動:
書類選考の通り具合は, 最近少し上がって半分ぐらいは通るようになった気がします.
やはり時期によって, 求める人材が異なるのかなとも思います.
面接などを幾つか受けてきました.
そのときに感じたのは, やはりある程度の学歴社会なんだろうなと言うこと.
その面接会場で, 私以外は東京理科大学というのがありました.
帰りが一緒になったので, いろいろと情報交換をしてきました.
その人が他の試験を受けた時も, ほとんど同じ大学(理科大)の人だったとも聞きました.
有名私立と言いますか, ある程度名と伝統のあるところは書類も多く来るでしょうし, 仕方のないことだと思います.
さてさて, 問題の筆記試験なのですが, 複素数の軌跡なんかが出てきて結構危ういです.
その一方, 楕円の方程式や行列なんか出されたりと, よく範囲が分かりませんね.
対策しても無駄だとは言いませんが, たくさん問題演習するよりも苦手な部分を減らす方向がいいですね. (私学適性の時と同じ.)
[これは大体筆記で, 穴埋めではないので論理を正しく書いておけばそれほど大きな失敗にならないと感じるので]
数学について:
計算が進みません. と言うよりも, 参考にする元の論文の場合分けについていけていません.
早く読み終われば, 後は真似するだけの計算なので, 終わらせたいのですが...
なにせ就職活動の準備(履歴書や小論文, あとは模擬授業の準備...)が大変...
10月には, この簡単な計算問題は終わらせて, 次の本質的に意味がありそうな問題にチャレンジしたいのですが...
どうなることやら...
そしてまだ中間報告書を書き始めていないので, マズいです.
ダイエットについて:
帰省した際に, 近くの大学まで自転車で20分かけて行ったりして運動を全くしない日はほとんど無かった気がします.(体調を崩して寝ていた日以外)
かなり順調に体重も減っていて, 久しぶりの84kg台を見ました.
ウォーキング用に買ったウェスト・ショルダーバッグのおかげかもしれません.(笑)
さて, いつもの統計データです. (9月28日12:00頃)
8月比較(counts, ranking): push-ups(843, 290up), sit-ups(834, 399up), squats(719, 80up)
あまりサボらなかったですね. この調子で, ひと月900台-1000台に行きたい.
生活習慣(総括):
9月は体調不良もあって, なんだかいっぱいやることあったのに出来なかった.
友達にあったり, 実家に帰省したりと, 結構休息も楽しめたので, 10月はその分頑張っていきたい.
11月までには就職も数学もある程度落ち着くといいなあ...
子どもの頃から季節の中では秋が一番好きでした.
それは太っていたこともあって, 涼しい秋が一番だと感じていたような気がします.
今はそれに加えて, 紅葉が楽しめる年齢(?)になったような気がしています.
ただ, 去年はそれで寂しさも感じ, いろいろどうでも良くなり始めたのが10月中旬から後半.
(9月末にはちょっと精神的にきて, 病院に行ったのもありましたね.)
今年はそんなことのないように, しっかり目の前のことを見て頑張っていきたい.
さてさて, 9月の感想です.
初旬に胃腸風邪を引いたり, 下旬には移動の疲れもたたって昨日まで頭が痛くて倒れていました.
身体が弱くなったのかな...?
あとは, 珍しく9月に帰省していました.(岡山での交流会と, 愛媛の学会の合間に)
それ以外は就職活動をちょこちょこやっていたぐらいです.
まずは, 9月に参加したものについて書いておきます.
第9回教育改善学生交流フォーラムi*See 2013 (9月15, 16日)(参照:岡山大学教育開発センター)
大学生が主体的に学ぶためにはどうすればよいのか, という主題に対してティーチング, ラーニングチップスを考えようというフォーラムでした.
このチップスと言うのが私は初耳だったことと, 私自身は『主体性は中学・高校から養われて大学生でいきなり変わるのなんて無理じゃないか...』という考えがあったので参加してきました.
(チップスについては, 名古屋大学のティップス先生というのが初めてだそうです.)
参加するときは, 私に年齢が近い方々が多いのかなと思っていたのですが(学部3年~M2ぐらいかと), 実際に行くと学部1, 2年生が大半でした.
運営のほとんども学部1, 2年生がやっていたのですが, いい加減な部分もなく進んで良かったと思いました.
しかし, 欲を言えば最後にまとめの発表があったのですが, ほとんどチップスの発表で終わり, 事後報告まとめにもチップスを羅列しただけで終わるのは如何なものかと思いました.
そのチップスが生まれた経緯と, そのチップスによってどのような方向に向けたいのかが一部しか取り上げられずに終わるのでは, それを大学に持ち帰って実践すると言うのは難しい気がします.
また, 運営もスムーズに学部生が出来ているので, 意見交換も本当は学生だけでいいのではないかと思いました.
もちろん, 教員側や職員側からの意見も欲しいとは思いますが, 今回感じたのは, お偉い先生が何人か居て, その人たちの意見が絶対になりつつあると感じました.
交流と言うよりは, その人の中では答えが決まっていると言う雰囲気を感じて, 少し残念に思えました.
来年以降もタイミングが合えば参加してみたいですが, その際には少しその辺を調整できないかと思います.(今回は初参加だったので, 懇親会でもあまりその先生方の意見を聞きにいけなかったので...)
日本数学会 2013粘土秋季分科会 (9月24日)
これは代数学分科会と, 教育シンポジウムに参加をしてきました.
教育シンポジウムでは, 教養教育としての数学の魅力を感じました.
これは高校にも応用出来るでしょう.
ただ, 内容が少し難しいのもあるので, その辺をどう変えるのか.
あと, 実践している大学の代表2つがICUと大阪府立大学であったので, やはりそれなりのレベルが無ければ難しいのかなと思います.(教室の勉強への意識の差など.)
第40回 名古屋大学数学教育セミナー (9月28日)
前半 "江戸の数学塾に学ぶ数学教育" 小川束先生.
後半 "江戸の数学文化を現代に活用した教育実践" 牧下英世先生.
今回は, 数学史, 特に和算に着目したセミナーでした.
前半の話題をまずは箇条書きにしてみます.
- ヨーロッパでも, どこでも数学史は"高度な"数学に話が限られていく(注目される.). もう少し違う方面で考えてみる.
- 例えば, 江戸時代には数学を趣味とした人たちが塾に入門したりした.
- それぞれ流派があり, 今回は"至誠賛化流"という古川氏清先生が創ったものに着目.
- "淇澳集(きおうしゅう)"(東北大学のホームページ上で見られるらしい?)という問題集を作ったことで知られる.
- これには算額の作法も書かれていた.
- 例えば, "問題の作成も解答も他人の力を借りてはならない."
- 個人, または全体へ問いかけるのか. また, その解答を待つのには一ヶ月から二ヶ月が適当など.
- 解法の方法で与える点数を変えること. (これは免許のランクに関係する.)
- 免許のランクは, 初伝, 一伝, ..., 四伝とあるが, 四伝は非常に高級だったため, 大体は三伝までの人たちで楽しんでいたそうだ.
- 所謂初等幾何の問題が多いが, 特殊なものが多くある.
- そのため, 当時のベストセラーである"精要算法"を土台としないと解くのは難しい.
- お互いに指摘しあっている. 問題の設定に誤りがある場合もあったりした.
- 一般には, 分からない問題は先生について習うか, 解説本を読むしかなかった.(今回のこの問題集には問題が約2600個ほどあるが, 解説本は無い.)
- 現代の子ども(生徒, 学生)が分からない, 躓く箇所は, 大体歴史的にも難しいものであった.
次に後半のものを箇条書きにします.(牧下先生は, 過去に筑駒で教員をされていたそうで, そのときの体験談として話してくださいました.)
- 総合的な学習が導入された.(平成12年ころ)
- そこで"数学を発見する" ということを"地域研究(修学旅行や遠足のこと)"としてまとめてきた.
- 和算の館で写真が見られる. 実際に行ってみる.
- その算額で, 術文が正しいのかを確かめる. また問題作りを体験してみる. (課題学習)
- 問題作りをしたときは, 是非生徒全員に公開し, お互いに切磋琢磨できる環境を作る.
- 江戸時代の数学の公式集であった"算法助術"が近々解説付き(?)で発売される.
- この公式集にあったもの(術文)が正しいかを確かめることも良い.
- その際に昔の数学の言葉を学ぶことが必要だろう.
- 例えば, "三角"は正三角形の意味で, "三斜"のことが一般の三角形であったり, "商"はルートのことだったりと色々特殊.
- 円周率の近似に\( \frac{a}{b} < \frac{c}{d} ならば \frac{a}{b} < \frac{a+c}{b+d} < \frac{c}{d} \)の事実を使う. これはペル方程式, 連分数と関係していて, \( \frac{22}{7} \)も出てくる.
- この事実を使っている問題もあり, 非常に興味深く, 初等幾何に限られた話題ではないことに注意.
- 西洋と東洋の違いを数学史からも感じられる. 例えば, 円周率の近似をするのにアルキメデスは\( 3 \times 2^n \)角形を用いたが, 松村茂清は\( 2^n\)角形を用いたとか.
- "和算を普及する会"というものもあるそうだ.
---
では, 9月の反省です.
教員採用に向けた勉強と活動:
書類選考の通り具合は, 最近少し上がって半分ぐらいは通るようになった気がします.
やはり時期によって, 求める人材が異なるのかなとも思います.
面接などを幾つか受けてきました.
そのときに感じたのは, やはりある程度の学歴社会なんだろうなと言うこと.
その面接会場で, 私以外は東京理科大学というのがありました.
帰りが一緒になったので, いろいろと情報交換をしてきました.
その人が他の試験を受けた時も, ほとんど同じ大学(理科大)の人だったとも聞きました.
有名私立と言いますか, ある程度名と伝統のあるところは書類も多く来るでしょうし, 仕方のないことだと思います.
さてさて, 問題の筆記試験なのですが, 複素数の軌跡なんかが出てきて結構危ういです.
その一方, 楕円の方程式や行列なんか出されたりと, よく範囲が分かりませんね.
対策しても無駄だとは言いませんが, たくさん問題演習するよりも苦手な部分を減らす方向がいいですね. (私学適性の時と同じ.)
[これは大体筆記で, 穴埋めではないので論理を正しく書いておけばそれほど大きな失敗にならないと感じるので]
数学について:
計算が進みません. と言うよりも, 参考にする元の論文の場合分けについていけていません.
早く読み終われば, 後は真似するだけの計算なので, 終わらせたいのですが...
なにせ就職活動の準備(履歴書や小論文, あとは模擬授業の準備...)が大変...
10月には, この簡単な計算問題は終わらせて, 次の本質的に意味がありそうな問題にチャレンジしたいのですが...
どうなることやら...
そしてまだ中間報告書を書き始めていないので, マズいです.
ダイエットについて:
帰省した際に, 近くの大学まで自転車で20分かけて行ったりして運動を全くしない日はほとんど無かった気がします.(体調を崩して寝ていた日以外)
かなり順調に体重も減っていて, 久しぶりの84kg台を見ました.
ウォーキング用に買ったウェスト・ショルダーバッグのおかげかもしれません.(笑)
さて, いつもの統計データです. (9月28日12:00頃)
8月比較(counts, ranking): push-ups(843, 290up), sit-ups(834, 399up), squats(719, 80up)
あまりサボらなかったですね. この調子で, ひと月900台-1000台に行きたい.
生活習慣(総括):
9月は体調不良もあって, なんだかいっぱいやることあったのに出来なかった.
友達にあったり, 実家に帰省したりと, 結構休息も楽しめたので, 10月はその分頑張っていきたい.
11月までには就職も数学もある程度落ち着くといいなあ...
2013年3月28日木曜日
3月とこれから
3月はなんだかんだと事務手続きや帰省なんかで,あまり自分の数学を進めることが出来ず...
(忙しさに言い訳してたこともありました,こんなんで大丈夫か?)
大きくは,お疲れ様会,M1の最終セミナー,日本数学会2013年度会,登山家の特別講演.
それぞれについて少し書いてから,今後の進路,目標を書いていきます.
・お疲れ様会
3月中旬には,研究室の先輩方と先生で,M2の修論打ち上げが研究室として出来ました.
久しぶりのボウリングに,インドネシア料理,その後の早朝までの数学以外の様々な話.
かなり充実しました.
M2の先輩は4名居ましたが,それぞれに飛び抜けた特徴があり,とても1年間面白かった.
いろんな相談にも乗ってもらって感謝です.かなり助かりました.
次は自分たちがM2として,M1の方の相談に乗ることもあるのかな?と思うとなんだか複雑な気分.
それほどの知識があるとも思えないので,しばらくは怯え,逃げてる気がする(苦笑)
・M1の最終セミナー
12月から就活が始まったのもあり,なかなか予定通り組めずのM1のセミナー.
そのため予定していた箇所までの輪講がまだまだ終わっていません.
実は,この3月30日で,とりあえずの区切りがつけそうだったのですが,それも無理なことに.
Riemann-zeta関数のzero-free領域上の評価を用いて,素数定理に関係する$\psi(x)-x$のさらによい評価を得ようとしています.
最後はゼロ点分布に関わる$N(T)$について,少し学び終わります.
・日本数学会2013年度会
分科会には参加出来なかった(日程的な理由で.)ので,今回は昨年から大きな話題となった
「大学生数学基本調査」についての最終報告に参加して来ました.
正式には,教育委員会主催教育シンポジウム
「数学を通じて論理力を培うには--第一回大学生基本調査最終報告--」(詳細:こちら)
12月に参加した明治大学で行われた統計導入の話のときにお見かけした先生方も多く参加されていました.
いろいろと裏事情なども話していたので,あまりここでは細かいことは書きません.
しかし,数学教育はこうやって真面目に未来を考えている方が多くいて,シンポジウムを開き意見交換をする場を設けてくださる集まりがあることからも明るい未来だと,私は感じました.
ここで生まれた認識や意見が,日本中,もとい教育長,文部科学省に正しく,広く伝われば,もっと数学は重要な分野として認知されるのかなと思います.
(今気づきましたが,『日本 教育』で調べると,日本数学教育学会の方が上に来るのですね.
)
・登山家の特別講演
本でも有名な,「人生は8合目からがおもしろい」を書かれた登山家:田部井淳子さんのお話を聞いて来ました.
(名古屋市のページが削除されたみたいなので,簡単に説明すると
1時間は田部井さんのトーク,30分はスライドショーの計1時間30分の講演でした.)
僕は特に登山が趣味であるわけではなく,このタイトルになんとなく共感出来るところもあればそうでないところもあるなと思い,聞いてみようと思って参加しました.
会場は,女性会館ということもあってなのか,女性の割合が少し高めで(いや,こういう講演会に参加される人は女性の方が多い気が最近思う.),年齢層も高かったです.
20代,30代は両手で数える程度だったように思います.(満員で抽選だったので,抽選方式が分かりませんが...)
さて,内容ですが.多分本に書かれたことが多かったのでしょう.
先生のことを知っている人は,「そうだったわね」と言うような反応が多く,最初は「え,なんだか内輪話されると困るぞ...」と思いつつ聞いていました.
そこら辺は,話が上手でしたので,どれも想像できる良い話が聞けました.(会場よりワンテンポぐらい遅れることもありましたが...)
ただ,題名である「人生は8合目からがおもしろい」という部分に直接的に触れることはなく,先生の最近の活動経験から得たものがたくさんあると言うこと,新しく始めることへの最初の熱の話が具体的な事柄から感じれました.
具体的に8合目としているのは,先生の年齢的な意味であって,一般的な何かに対して言っているわけではないのだなと思いました.
(聞く前は,勉強や,数学の証明の話とか,そういうものにも結びつけているのかなと思っていました.)
---
最近は,高校の科目:英語の授業進行を英語で行うことを義務付けたり,大学受験にTOEFLを義務付けようとしたり,東京大学が推薦入試を導入しようとしていたりと,教育はいつもいろんな方向に爆発しそうな問題を抱えていますね.
これらについては,英語教育に詳しい人達と話す機会があまりないので,その方々と話してから自分の意見も固めて行きたいと思っています.
(幸い,関東地方にそのような知り合いが何名か.)
私自身の進路もそろそろ考えるべきなのだろうなと思い,最近やっとまとめました.
昨年11月ぐらいから悩み,何人かの先生にも相談したり,経験を話して頂いたりもしました.
とりあえず,私にはお金がありません.それが第一の理由になるのは,本当は良くないことですが...
私の夢,目標は数学で論文を書くことです.
その夢のためには,時間とお金が必要です.
お金を稼ぎつつ,最新の研究に追いつく.そのために異動もなく,いくらか融通も効くであろう,私立高校の教員を今は進路として希望しています.
一番良いのは,どこかの私立大学の付属高校かなと思ってます.
また,教員1,2年目は忙しいと思うので,博士課程ではなくどこかの研究生として,施設を利用させていただこうと思っています.
なので,ある程度大きな大学に通うことの出来る地区の私立高校を考えています.
(今は,東京,千葉,埼玉,名古屋,北海道,京都,海外.)
この選択が一番良いと今は思っています.
これはまだ思いぐらいですが,35歳までに何も結果が出せなかったら,諦めるというわけではないですが,他の方面での活動を考えないといけないかなと思っています.
数学的な目標は,まだまだなので,早く書けるように頑張ります.
それでは,また.
(3月19日 高知城の桜.)
(3月19日 高知城のヤマブキ)
(3月20日 為松公園のツバキ)
(3月22日 鴨川の手前:ピンク雪柳と奥:雪柳)
(3月20日 四万十市の菜の花畑)
3月はなんだかんだと事務手続きや帰省なんかで,あまり自分の数学を進めることが出来ず...
(忙しさに言い訳してたこともありました,こんなんで大丈夫か?)
大きくは,お疲れ様会,M1の最終セミナー,日本数学会2013年度会,登山家の特別講演.
それぞれについて少し書いてから,今後の進路,目標を書いていきます.
・お疲れ様会
3月中旬には,研究室の先輩方と先生で,M2の修論打ち上げが研究室として出来ました.
久しぶりのボウリングに,インドネシア料理,その後の早朝までの数学以外の様々な話.
かなり充実しました.
M2の先輩は4名居ましたが,それぞれに飛び抜けた特徴があり,とても1年間面白かった.
いろんな相談にも乗ってもらって感謝です.かなり助かりました.
次は自分たちがM2として,M1の方の相談に乗ることもあるのかな?と思うとなんだか複雑な気分.
それほどの知識があるとも思えないので,しばらくは怯え,逃げてる気がする(苦笑)
・M1の最終セミナー
12月から就活が始まったのもあり,なかなか予定通り組めずのM1のセミナー.
そのため予定していた箇所までの輪講がまだまだ終わっていません.
実は,この3月30日で,とりあえずの区切りがつけそうだったのですが,それも無理なことに.
Riemann-zeta関数のzero-free領域上の評価を用いて,素数定理に関係する$\psi(x)-x$のさらによい評価を得ようとしています.
最後はゼロ点分布に関わる$N(T)$について,少し学び終わります.
・日本数学会2013年度会
分科会には参加出来なかった(日程的な理由で.)ので,今回は昨年から大きな話題となった
「大学生数学基本調査」についての最終報告に参加して来ました.
正式には,教育委員会主催教育シンポジウム
「数学を通じて論理力を培うには--第一回大学生基本調査最終報告--」(詳細:こちら)
12月に参加した明治大学で行われた統計導入の話のときにお見かけした先生方も多く参加されていました.
いろいろと裏事情なども話していたので,あまりここでは細かいことは書きません.
しかし,数学教育はこうやって真面目に未来を考えている方が多くいて,シンポジウムを開き意見交換をする場を設けてくださる集まりがあることからも明るい未来だと,私は感じました.
ここで生まれた認識や意見が,日本中,もとい教育長,文部科学省に正しく,広く伝われば,もっと数学は重要な分野として認知されるのかなと思います.
(今気づきましたが,『日本 教育』で調べると,日本数学教育学会の方が上に来るのですね.
)
・登山家の特別講演
本でも有名な,「人生は8合目からがおもしろい」を書かれた登山家:田部井淳子さんのお話を聞いて来ました.
(名古屋市のページが削除されたみたいなので,簡単に説明すると
1時間は田部井さんのトーク,30分はスライドショーの計1時間30分の講演でした.)
僕は特に登山が趣味であるわけではなく,このタイトルになんとなく共感出来るところもあればそうでないところもあるなと思い,聞いてみようと思って参加しました.
会場は,女性会館ということもあってなのか,女性の割合が少し高めで(いや,こういう講演会に参加される人は女性の方が多い気が最近思う.),年齢層も高かったです.
20代,30代は両手で数える程度だったように思います.(満員で抽選だったので,抽選方式が分かりませんが...)
さて,内容ですが.多分本に書かれたことが多かったのでしょう.
先生のことを知っている人は,「そうだったわね」と言うような反応が多く,最初は「え,なんだか内輪話されると困るぞ...」と思いつつ聞いていました.
そこら辺は,話が上手でしたので,どれも想像できる良い話が聞けました.(会場よりワンテンポぐらい遅れることもありましたが...)
ただ,題名である「人生は8合目からがおもしろい」という部分に直接的に触れることはなく,先生の最近の活動経験から得たものがたくさんあると言うこと,新しく始めることへの最初の熱の話が具体的な事柄から感じれました.
具体的に8合目としているのは,先生の年齢的な意味であって,一般的な何かに対して言っているわけではないのだなと思いました.
(聞く前は,勉強や,数学の証明の話とか,そういうものにも結びつけているのかなと思っていました.)
---
最近は,高校の科目:英語の授業進行を英語で行うことを義務付けたり,大学受験にTOEFLを義務付けようとしたり,東京大学が推薦入試を導入しようとしていたりと,教育はいつもいろんな方向に爆発しそうな問題を抱えていますね.
これらについては,英語教育に詳しい人達と話す機会があまりないので,その方々と話してから自分の意見も固めて行きたいと思っています.
(幸い,関東地方にそのような知り合いが何名か.)
私自身の進路もそろそろ考えるべきなのだろうなと思い,最近やっとまとめました.
昨年11月ぐらいから悩み,何人かの先生にも相談したり,経験を話して頂いたりもしました.
とりあえず,私にはお金がありません.それが第一の理由になるのは,本当は良くないことですが...
私の夢,目標は数学で論文を書くことです.
その夢のためには,時間とお金が必要です.
お金を稼ぎつつ,最新の研究に追いつく.そのために異動もなく,いくらか融通も効くであろう,私立高校の教員を今は進路として希望しています.
一番良いのは,どこかの私立大学の付属高校かなと思ってます.
また,教員1,2年目は忙しいと思うので,博士課程ではなくどこかの研究生として,施設を利用させていただこうと思っています.
なので,ある程度大きな大学に通うことの出来る地区の私立高校を考えています.
(今は,東京,千葉,埼玉,名古屋,北海道,京都,海外.)
この選択が一番良いと今は思っています.
これはまだ思いぐらいですが,35歳までに何も結果が出せなかったら,諦めるというわけではないですが,他の方面での活動を考えないといけないかなと思っています.
数学的な目標は,まだまだなので,早く書けるように頑張ります.
それでは,また.
(3月19日 高知城の桜.)
(3月19日 高知城のヤマブキ)
(3月20日 為松公園のツバキ)
(3月22日 鴨川の手前:ピンク雪柳と奥:雪柳)
(3月20日 四万十市の菜の花畑)
2012年12月27日木曜日
2012年11月から12月に参加した、数学教育関係以外のものを簡単にまとめてみました。
まずは、天白区が開いていました、公開講座についてまとめておきます。
『知らず知らずのうちに偏見や差別をしていませんか?』参考:こちら(pdf注意)
この講座の一回目『偏見や差別はなぜ生まれてしまうのか』(心理学からのアプローチ)については、少し前にまとめていました。
なので、今回は参加した三回目、六回目についてまとめておきます。
三回目『うつで悩む人の気持ちを考えて -偏った見方をしていませんか-』
実際に、うつ病診療をしている先生のお話でした。ほとんどが、患者さんのお話でしたので、書けることが少ないですが…。
一般的に、うつ病患者に対して「頑張れ」などの言葉を使ってはいけないとよく聞きますが、そうではないことの方が多かったりもするとか。
もちろん、無責任に「頑張れ」などと言ってはいけませんとは言っていました。
がしかし、大体うつ病になって悩む人が相談する人は、信頼が他の人よりも厚いのだから、その理由を考えれば、そのような「無責任な」人に対して相談するうつ病の人は少ないのではないかと…。
また、季節によってうつ病の度合いが変わる人も多くいるみたい。
働く期間と働けない期間があるとか…。
- 偏見を持つ人もいるが、『持っている』と思い込む鬱病者も存在する
- ストレスには、良い(適度な知的好奇心を促す)ストレスと悪いストレスが素材
- ストレスに弱いにも関わらず何故か(やっかいごと、火中の栗を拾うようなことなどに)手を出す
- 鬱病の人でも好きなことに対しては行動的な人も多くおり、その場合が鬱病の非難や偏見の原因になることが多い
- 昔は鬱病には2種類しか存在しなかった
- 内依性(遺伝的なもの)と心依性(外依性)
- 鬱病の基準が変化して増えることになった(いじめの件数と似たもの)
- バブル時期に育てられた子ども、ゆとり教育など、組織が変わり、遊びが減り、効率化、システム化されたことが原因になったりも
- 鬱病とは、活動性が低下することをいう(記憶力や集中力)
- 気分的には回復していても、頭が(脳が)回復していないことが多くあり、それが原因で鬱病の回復を遅らせている
- 脳が回復するには一年半はかかるとされる。
- しかし途中で一回でも復帰し(たと勘違いをして)てしまうと打ち切られ、また元からやりなおすことになる。
- 会社と上司、周りの環境はなかなか変わるものではないので、自分が変わる必要がある
六回目『正しい理解から互いを大切にする世の中にするには -実例をもとに行動化に向けて-』
これまでのまとめも含めて、どれほどの先入観を持って生きているのかが分かる講座でした。
- ランドセルの色、集団の中で性別を特徴付けてしまう。(小学生でさえ、そのような思い込み、先入観がある)
- 当たり前だと思うことを褒められる→つまりは一般的に当たり前ではない。(障害者の複雑な気持ち)
- 差別と戦う、どう逃げるか、耐えぬくか。
さらに面白い話。
一本の直線を引いてください。その次に、直線の真上に円を描いてください。
この2つの情報から描かれる図、唯一には定まりませんよね。
もちろん、似た人が多くなる図はあります。
このときの少人数の人たちの気持ち。情報が少なすぎるのに、先入観を持ってはいけない。
手助けする必要ないのに…。おせっかい、「してあげよう」と言う意識はいけない。
---
次に、名東区でありました講演会『夢を諦めない』参考:こちら(pdf注意)についてです。
色々な不遇にも遭いながら、オリンピックを目指し、その夢を叶えたある選手のお話でした。
かなり元気を貰いました。
諦めちゃダメなんですよね。
実は、この公演のせいでくよくよ迷うことにもなったのですが、よいキッカケでした。
ありがとうございました。
色々な不遇にも遭いながら、オリンピックを目指し、その夢を叶えたある選手のお話でした。
- 口から食事することが生きる力である
- 挫折があったから頑張れた
- 『自分が出来ない、乗り越えたから、頑張れと言える』
かなり元気を貰いました。
諦めちゃダメなんですよね。
実は、この公演のせいでくよくよ迷うことにもなったのですが、よいキッカケでした。
ありがとうございました。
2012年11月、12月に参加した数学教育関係の講座、セミナーなどについて簡単にまとめておきます。
第36回 名古屋大学数学教育セミナー (参考:こちら)
前半 大平徹先生『バランス制御から集団追跡と逃避』
後半 青山和裕先生『高等学校数学科での統計指導について』
前半について
(あと、統計の嘘について簡単に話しておられました)
教材の紹介;
Bowland Japan,まなぼう統計,統計活用授業のための教材サイト,センサス@スクール
- 指一本で指し棒のバランスを取る.このときに,片方の手では何かを振ってもらうとバランスが取りやすい.
- 確率共鳴:ノイズを適度に加えることで,聞こえなかった情報を見えるようにする.
- このノイズの強さをチューニングする.
- 視力;目を瞑って,立っているだけでも1分経てばフラフラしだす.
- これは身体の重心を見れば分かる.
- 身体にテキトウな振動を与えると重心が良い方向に.
- 教育現場(高等学校)からの疑問と不安の声
- これを高校の数学でやる必要はあるのか.
- 入試ではどのように出るのか.
- 「ペーパーテストではかれるものか」...ここに数学教育の問題がある
- 必要なのは使い方であって,問題解決能力を育てることにある.
- 受験向け過ぎない授業を行う必要.
- 統計の導入は,日本が一番遅れている.(初めに導入した国とは20年の遅れ)
(あと、統計の嘘について簡単に話しておられました)
教材の紹介;
Bowland Japan,まなぼう統計,統計活用授業のための教材サイト,センサス@スクール
数学教育学会『数学教育の緊急的課題に対する総合的研究会』(参考:こちら)
明治大学リバティータワーに行って来ました。
(会場案内がいい加減だったのがちょっと不満…。図書館の守衛さんありがとう)
(会場案内がいい加減だったのがちょっと不満…。図書館の守衛さんありがとう)
- 寛容な数学的精神(純粋数学にこだわり過ぎない)
- 統計を利用して,数学の便利さを伝えよう.
- 医療も医者も統計的なものを磨いている.(過去の患者などを参考にする)
- 統計と数学の違いは,物理と数学の違いに似ているのかも知れない(現れる現象から帰納的に定義されるのか,演繹的に定義するのか.)
- ゆとり教育がダメだったとは,マスコミの言葉である.(日本数学会や,教育委員会ではそのような見解は無い)
- 数学者でも統計的なミスを犯す.(「今の若者(の全体)は数学が出来ない」→実際は,批判している人たちの多くが数学が出来た人の集合であるので比較参考にできない.)
- 部分積分,置換積分は容量的にもハードではないか.昔は高校には無かった.(八木先生)
- 昔の生物には単元としてDNAは無かった.生物科の先生方は勉強をしたのだ.ならば数学科も統計を勉強すべきだ.
- 数学の二面性:数学的思考と手段.
- 実は統計の授業を情報の授業で学んでいることもある.
- たくさん時間のある高校,例えば付属高校で進学先がほぼ決まっている高校においては,理想的な数学教育は出来るが...
- 入試制度の問題はいつも取り巻く.
- 意見を述べさせる教育.(イギリス,フィンランド)
- データに対して適切なグラフの種類を選ぶことが出来ない.(実用的ではない現状の数学教育の表れ)
- 統計教育の一応の基準も存在している.(海外);こちら
お偉いさんは何を考えているか分からない、自分たちがお金を稼げればいいと思っている、などとよくやり玉にあげられたりしますが。
ここ最近、色んな数学教育を考える集まりにいらっしゃる先生方は、皆さん、真面目に教育を考えており、理想を追求しようとしているのを感じます。
それは、多分生活的、精神的に余裕がある方々だからなのかも知れませんね。
まだ私が会ったことのないのは、文部科学省の人たちぐらいでしょうかね。
現場は大変かも知れませんが、日本の未来を考えるためにも頑張ってもらいたい。
もちろん、私もその現場に飛び込む気があるので、無責任な応援のつもりはありません。
ラベル:
セミナー,
教育論,
数学教育,
名大数学教育セミナー
2012年10月20日土曜日
数学活用、心理学について
2件ほどセミナーと講習会に参加してきたことをメモ書きしておきます。
まず簡単に…数学活用と、心理学に対する考えを述べておきます。
・数学活用とは、今年から高校数学の新課程として新しく入った内容です。
今まであった数学基礎をさらに生活の上で数学(の考え方)がどのように役に立っているか、そしてちょっぴり数学史の要素も入ったと言う感じです。
・心理学に対する、私自身の意識付け。
大切な学問で、何かを考えるためのちょっとしたキッカケを作るだけであって、心理学によってすべての状況(欝、いじめ、差別など)が改善されるわけではないと思っています。
ただ、自分の中に「こういうことも考えられるのではないか」と言う基準と、冒してはならない「タブーの領域」を見極めるために必要と考えています。
それでは、以下に参加したセミナーと講習会の紹介と、簡単に内容を振り返っておきたいと思います。
第35回 名古屋大学数学教育セミナー (参考:こちら)
・数学における相対性と相補性(大沢健夫先生)
・『数学活用』という教科書(根上生也先生)
今回は、数学活用の方だけ少し書くことにします。
根上先生は、実は友人の指導教官と言うことで一方的に知っていて、またFacebookで発言を公開していらっしゃるので、購読もしていたので、講演の始まりから最後まで、大体イメージしていた通り…と言った先生でした。
巧みな話術でとても引き込まれる講演で、さすがテレビに出たこともある人だな~と感じたりもしました。
「なるほどなるほど」と思うこともあり、教員が反省し変えていくべきことと、マスコミや、学生や生徒の両親がもっと教育に関わってくるような社会になることを願います。
(特にマスコミに対する上手い扱いをしている根上先生みたいな方が増えるのであれば、大賛成です。マスコミに踊らされ、ピエロのように扱われるような某先生方は…と、)
数学活用の内容についてですが、かなりよく考えられているみたいです。
進学校以外でも「問題を解く」ことが数学では重要になっていますが、それに警鐘を鳴らし、「解くために何を考えるのか」と言う数学が社会でどのように「役に立っているか」を強調するような教科書にしたかったのだと。
文系だからと言って、数学が必要ではないのかと言えばそうではないとも言っていたかと思います。
この「数学」と言うものの本質の考えは、前にも名古屋大学数学教育セミナーにおいて、浪川先生が仰ったことにもありますし、私自身も、そして私の周りの人にもそう考えている人が多く居ましたが…。
もちろん、そう考えていない先生が居て、さらにその先生が歳を取っていれば、さらに問題になります…。
根上先生も仰っていましたが、私達教員も現場を見て変わって行かなければなりませんと。
大学生の質が悪くなったと、嘆くばかりではなく、それを変えるために何を出来るか考え、数学活用の教科書作成にも携わったということでした。
ここで感じたのは、大学教員は(特に数学関係?)現状の教育をかなり心配している人が多いということです。
数学が蔑ろにされていることもやはり問題なのでしょう…。
私は思うのですが、「数学が出来る」という言葉を無くすか、共通の意識を持つための定義を何か作るべきでしょう…ね(苦笑)
平成24年度 後期 天白区生涯学習センター 講座
「知らず知らずのうちに偏見や差別をしていませんか?」 (参考:こちら)
第1回 偏見や差別はなぜ生まれてしまうのか? 人を見る心のメカニズム
愛知淑徳大学心理学部の斎藤和志先生による講習会でした。
人間の基本的欲求(特に、対人関係における)は、理解、予測、統制があるそうです。
この理解は、自分のことを理解することと、自分の周りを理解することで、自分を守ることに繋げたいと思っていて、この理解によって、「この人なら~してくれそうだ。」などの予測に基づいた行動(統制)によって、快適な生活環境を作りたいと思うのが、人間の基本的欲求にあるそうだ。
予測は例えて言えば、「この人なら私の意見に賛成してくれそうだ。」「この人ならお金を貸してくれそうだ。」などがそうです。
そして、人間は奥底には、(自分の興味ないことに対してだと思いますが)「あまり頭を使わないようにしたい…見ただけで分かるようにしたい」という思いがある、認知的倹約家であるそうだ。
(自動的な判断をすることで負担を減らす)
この部分に、偏見や差別の背景にある心理的メカニズムがあるそうだ。
また、「人を見かけで判断してはいけない」とよく小学校や中学校では言うが、大人でも知らず知らずにしているし、むしろそれは悪いことではない。
例えば、知らない場所で道を訪ねたり、時間を聞いたり、カメラを預けて写真を撮って貰ったりする行為も、対象を忙しくなさそうな人、親切そうな人(強面、サングラスなどしてないなど)にしている。
これは、「人を見かけで判断していること」である。
さらにもっと言えば、それを利用したものもあり、漫画「ドラえもん」の主人公であるのび太は、優秀そうではないし、ドラえもんは道具を悪用するようなキャラクターには見えないや、水戸黄門の悪役は大体相場がつくなどがある。
似たものに、血液型や生まれた季節によって性格判断をすることがある。
これは、人間が「自動的な判断を行える」という意味で、「やっぱりこの人は~だから」という判断材料として非常に良いカテゴリー分けができるからだそうだ。
血液型も生まれた季節も4つという非常に良い数字だからだそうで、星座になると自分の星座は分かっても、自分の前後の星座すら知らない人が多いのが特徴だそうだ。
(血液型はほぼ関係ないだろうが、季節の場合は、両親の養育態度が関係することがあるので、性格に関係することもあるみたいだ。例えば、第一子で、さらに冬に生まれた子と、第三子の春なら全く違う育て方をするだろうし、それが性格に関わることもあるということだ)
心理学では、その「人を見かけで判断すること」で否定的な態度に対していうことを偏見といい、特に行動的な側面を強調した場合は差別と呼ぶのだそうだ。
また、ステレオタイプは「人を見かけで判断すること」で肯定的とみられる場合をも含むことに対して使うそうです。
最後に、「心のメカニズム」を知ることでブレーキの位置と掛け方を知ろうと、仰ってました。
(これは、イジメ問題の話を名古屋市教育委員会のシンポジウムで聞いた時と同じような…)
また、この講習会で面白そうな、簡単な本を教えて貰ったので、今度読んでその感想を今度書いてみましょう。
---
なかなか数学が(?)忙しくて、教育書もあまり読めてませんが、今後もこういう講習会などには参加していきたいですね。
教育書はいずれ時間を取れば読めますが、講習会は一度限りかも知れませんからね。
人間の基本的欲求(特に、対人関係における)は、理解、予測、統制があるそうです。
この理解は、自分のことを理解することと、自分の周りを理解することで、自分を守ることに繋げたいと思っていて、この理解によって、「この人なら~してくれそうだ。」などの予測に基づいた行動(統制)によって、快適な生活環境を作りたいと思うのが、人間の基本的欲求にあるそうだ。
予測は例えて言えば、「この人なら私の意見に賛成してくれそうだ。」「この人ならお金を貸してくれそうだ。」などがそうです。
そして、人間は奥底には、(自分の興味ないことに対してだと思いますが)「あまり頭を使わないようにしたい…見ただけで分かるようにしたい」という思いがある、認知的倹約家であるそうだ。
(自動的な判断をすることで負担を減らす)
この部分に、偏見や差別の背景にある心理的メカニズムがあるそうだ。
また、「人を見かけで判断してはいけない」とよく小学校や中学校では言うが、大人でも知らず知らずにしているし、むしろそれは悪いことではない。
例えば、知らない場所で道を訪ねたり、時間を聞いたり、カメラを預けて写真を撮って貰ったりする行為も、対象を忙しくなさそうな人、親切そうな人(強面、サングラスなどしてないなど)にしている。
これは、「人を見かけで判断していること」である。
さらにもっと言えば、それを利用したものもあり、漫画「ドラえもん」の主人公であるのび太は、優秀そうではないし、ドラえもんは道具を悪用するようなキャラクターには見えないや、水戸黄門の悪役は大体相場がつくなどがある。
似たものに、血液型や生まれた季節によって性格判断をすることがある。
これは、人間が「自動的な判断を行える」という意味で、「やっぱりこの人は~だから」という判断材料として非常に良いカテゴリー分けができるからだそうだ。
血液型も生まれた季節も4つという非常に良い数字だからだそうで、星座になると自分の星座は分かっても、自分の前後の星座すら知らない人が多いのが特徴だそうだ。
(血液型はほぼ関係ないだろうが、季節の場合は、両親の養育態度が関係することがあるので、性格に関係することもあるみたいだ。例えば、第一子で、さらに冬に生まれた子と、第三子の春なら全く違う育て方をするだろうし、それが性格に関わることもあるということだ)
心理学では、その「人を見かけで判断すること」で否定的な態度に対していうことを偏見といい、特に行動的な側面を強調した場合は差別と呼ぶのだそうだ。
また、ステレオタイプは「人を見かけで判断すること」で肯定的とみられる場合をも含むことに対して使うそうです。
最後に、「心のメカニズム」を知ることでブレーキの位置と掛け方を知ろうと、仰ってました。
(これは、イジメ問題の話を名古屋市教育委員会のシンポジウムで聞いた時と同じような…)
また、この講習会で面白そうな、簡単な本を教えて貰ったので、今度読んでその感想を今度書いてみましょう。
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なかなか数学が(?)忙しくて、教育書もあまり読めてませんが、今後もこういう講習会などには参加していきたいですね。
教育書はいずれ時間を取れば読めますが、講習会は一度限りかも知れませんからね。
ラベル:
セミナー,
教育論,
名大数学教育セミナー
2012年8月24日金曜日
教育シンポジウムと講演会
8月に入ってからかなり(無駄に)ブログを更新しているように思えますが、区切りがいいので書いておきます。
今回は、8月22日に行われた「第二回教育シンポジウム」と、8月24日に行われた「金出武雄先生の講演」について書いておきたいと思います。
(しばらくパソコンに触れる環境から離れるので…)
第二回 教育シンポジウム (8月22日 詳細)
第一回も参加しました、名古屋市教育委員会が開いている教育シンポジウム。
今回は、「名古屋市立高校」に関するものでした。
(どうでもいいことですが、私は「市立高校」を『いちりつこうこう』と読みますね。)
前半では、市立高校についての魅力を。後半では、前回と同じで、意見交換会でした。
前半、市立高校生の司会とプレゼン資料で魅力を伝えてくれました。
出身も何も違うので、すごく新鮮でした。(先入観なしに見て聞くことができますね)
驚いたのは、定時制で昼間高校の存在です。(中央高校)
無学年・無学級制で、単位制。倍率も2倍と高めで、注目が集まる高校みたいです。
ただし、不登校生も多いのが問題だそうです。
市立高校は、それぞれが自由らしく、授業時間を取っても珍しい「46分7限授業」、「65分5限」、「55分6限」などバラバラです。
SSHや、SELHiに指定される高校もあるようですが、名古屋市としては「大学への合格実績」よりも「本当に学ぶこと」「将来に繋がること」に対しての取り組みが大きいようです。
度々「キャリア教育」などの言葉を聞きましたし、「大学などとの連携単位制」の説明も「より高度なものを学ぶ」のではなく、「自分が好きなものは何なのかを見つけよう」とさせる仕組みに感じました。
そして「生徒に選択させる」ことを大きな目標にしてるみたいです。
これは確かに大切だと思うのですが、「誤った考えによる、誤った選択」をしないための教育(例えば、苦手だからやりたくない、あの先生が嫌だからあの授業は受講しないなど)は、どこでするのだろうと感じもしました。
(個人的な意見としては、それは小・中でしっかり土台を作らないといけないことですが…高校生は、義務教育でもないですし、立派な大人として見てあげるべきです)
前半の残りは、市立高校出身で現在各界で活躍している、俳優、プロゴルファー、小説家、映画監督、音楽家の5名が談話。
司会者は、俳優方だったのですが、これが酷かった…。話の振り方、ペースがあまり上手ではなく、多分渡されてるであろう進行表に沿った内容で進めないといけない風になってしまい、せっかくの談話が談話にならず、ただの質疑応答。
そして、挙句の果てに、小説家の方が良い話をしてる最中に、「それは、この後喋る内容に被るので…」みたいなことを言って遮り終わらせる。
こういう談話の時は、講演の少し前か、前日に5名で少し話をしたりしなかったのだろうか。
初対面で、お互いどこまで踏み込んでしゃべろうか躊躇していて、いい話がもっと出てきそうだったのにもったいなかった。
正直、途中に仕切りだそうとしていた(?)プロゴルファーの方の方がいい司会者になれたのではないだろうかと感じたり…。
1時間半か2時間ぐらいだったと思うのですが、途中でちょっとムカムカしてました。
とりあえず、一番心に残って、生徒のためにもなるであろう言葉があったので紹介しておきます。
「習ったことは、いつか自分のものになることもある。」(小説家)
つまり、全てが全て自分のものになるわけではないが、時には役に立ったりもすると。
逆に言えば、習わなかったらその機会は存在していない。
また、点数化・視覚化の問題と、教員と家庭との間の信頼関係の無さの問題もあがっていました。
正直、プロゴルファー、小説家、映画監督、音楽家のそれぞれは個性がとてもハッキリしていて、個人個人が話す度に引き込まれることが多かった内容だったので、司会者の下手さが本当にもったいなかったです。。
後半の意見交換会。今回は、市立高校特集ということもあってか、高校生やPTAの方が多かった。結局今回多かった意見としては、「お金をどうにかしてくれ!」ということでしたね(苦笑)
部活や、工業高校の設備など、援助をお願いしますと言う声ばかりだった気がします。
世知辛い。
金出武雄先生『アメリカの大学院と日本の大学院と研究をすることとは』 (8月24日 詳細)
題名は、メモをし忘れたので勝手に要約しました。
昨今の日本の未来を心配して(?)、日本としてどう取り組んでいくべきかということを大学院の現状から考え・変えようと言った感じでした。
先生は終始言っておられた、研究することで一番大切なのは
「負けず嫌いであること。」
だと言っておられました。
先生自身も「あれぐらいのことなら、もっとよくできるのではないか」と思い、人が先にやっていたことでさえも、興味があれば挑戦してみるという姿勢だったそうです。
だから、先生の研究してきた内容は、「moment of fame」だそうです。
日本語訳にはし難いそうですが、要は気分で、その時々のよさそうなものに食いついたと言う感じみたいです。
アメリカの大学では、大学院生は「研究において重要なスタッフ」と認識されていることから、日本の大学とは全く違うそうです。
「考えが凝り固まっていない学生の方がとても大切である」という考え方が表にちゃんと出てきていますね。(日本だと口だけ…)
なので、アメリカでは大学院はお金を出して通うところではないそうで、特に工学部はその傾向が強いそうです。
文系だと事情が違い、払ってでも通う人が多いそうです。また、学位も取ろうと思えば、簡単に取れて、お金を払うだけで取れるところもあったりするそうです。(もちろん世間からはそれなりの評価しか得られませんが)
また、指導教官が学生を「雇う」と考えているそうで、お金もちゃんと研究所を通して(ここでほとんどが学生の授業料に消えるそうです)支払われるみたいです。
日本では、教授が個人で行うことがあるので、それだと「教授によって差がでる」ことになるのが問題だと、先生は仰られておりました。
つまり、アメリカの大学の研究所は、日本のそれよりもちゃんと働いていると言うことですね(苦笑)
研究に対する姿勢で、「役に立つことを追求すること」が大切だと仰っていました。
数学をやっていると、純粋に基礎だけでいいじゃないとも思っていたのですが、先生の説明を聞いて、なるほどと思いました。
つまり、「何か役に立つこと」とは、論理的や基礎的研究であっても「何かのキッカケ」で生まれており、それが描くStory(これが使えれば・分かればどういうことに影響する・しそうだと言う夢)を想像できるはずであると。
よく分からないけど何かできたものに対して「質の高いものが得られた」などと誤魔化すような研究者は、全く良い研究者になっていないと先生はおっしゃっておりました。
確かにそうです。数学においても、これが分かればコレが分かって…と言うのがあるから勉強・研究していますね。
数学は、役に立たないと言われることが多くあるので、それを甘んじて受けて言葉のままに居ましたが、そうではなかった。
現実世界において役に立つかどうかはさほど関係無いようです。
工学の研究であっても、20年前に完成していた理論をようやく最近になって応用し、商品に使っていこうということもあるそうです。
なんだかホッとしましたね。工学も数学も似た所はあるんですね。
また、先生は指導教官がちゃんと学生を育てる(手取り足取り教えると言う事ではない)ことが大切だと仰っており、中でもプレゼン(セミナー)における心得として
Overwhelm the audience by scales, quantities, and details.
や、「質問者が、これは何の役に立つのか?と言う質問をしたのなら、君の発表はまだまだであって、本当に良い発表であれば、これはいくらで買える?と聞くだろう」など、工学方面からではあるが、確かにと思えることはあった。
数学においては、似た分野でなければ中々セミナーの内容は分からないと思うので、また事情は少し違うだろう。
しかし、同じ本を輪講している時には、「これが何に使えそうだ。」など考えられたらベストで、「どういう意味…?」とギャップが多すぎる内容になれば、最悪なセミナーだろう。
(最近それを感じることがあったりします…ただ本を和訳したり、内容を述べるだけ…流れがわかりづらかったりします…)
話を戻して、また先生は学生に対して遠慮しない・妥協をしないこととも仰っておりました。
(アメリカと言うか、世界では、指導教官の良さは、どういう学生をいくら多く輩出したかが凄く影響するそうです。)
そのために、
最後までの見通しを立てるための例題、易しい問題、極端過ぎる例、人に話すこと
を学生にしなさいと言い、自ら質問するときも、「本当か?」「それならこれは?この場合は?」「もっと!」などというそうです。
(こんな質問が飛んできたら、発表者としてはかなり嬉しい気がしますね。ちゃんと準備・考えていればの話ですが)
2時間という長く感じそうな時間も、かなり短く感じるぐらい上手い講演会でした。
とても楽しかった。
2012年8月18日土曜日
『食うものと食われるものの数学』(著作:山口昌哉)
2010年に新しく(?)刊行された、
『数学が分かるということ 食うものと食われるものの数学』の元となった本です。
何故、新しい本を読まなかったのかと言われると、「大学の図書館に無かった」と言う理由です。
この本を知るキッカケになったのは、tamamiさんの『TETRA'S MATH 数学と数学教育』と言うブログの記事です。
そちらの記事も是非読んでみてください。
まずは、私個人の感想とまとめを簡単に書きます。
この本は、大きな2部構成になっています。
前半は「数学という考え方」について書いてあります。これだけでも十分、数学と言うものが何かと言う大枠は捉えられます。
むしろ後半のメインテーマである「食うものと食われるものの数学」は実際に数学を用いた話が多くあり、著者の専門分野(非線形偏微分方程式)の初歩(だと思われる)微分方程式の話がたくさん出てきますが、正直微分方程式とあまり仲良く無かった私からすると読むのが大変でしたので、一般の社会人が読むには、ちょっと無理があるのではと。
(実際、私も流し読みしたところ多いですし…)
ただ、経済学部などで、微分方程式を扱ったりしているのに、何をしているか(連立微分方程式など)、何が始まりか分からない人にとっては、かなり良い話が書かれていると思いました。
後半の言葉で、「非論理的なものに対して、反論する意味は無い」という言葉は、かなり極端だけども正論だなと感じました。
また、「数学が苦手と言うだけで、文系を選択すること」
ジャムの話もとても面白かったし、これは高校生の等比無限級数の導入に良いと思えました。
(収束・発散、そしてどれほど食べればジャムは残るか、残らないか。)
少し、前半のことを詳しく書いておきます。
数学の2つの見方、「数学のあらさ」と「数学の几帳面さ」を遠くに見える木にいる鳥が何羽居るのかを例にあげて導入して行きました。
確かに、数学では似たものを同一と見ることもありますね。(位相幾何学における、ドーナツ・浮き輪・1つの取ってがあるコーヒーカップなど)
しかし、そこにもしっかりとした「定義」が組み込まれていると。
時には大雑把に、時には几帳面にという2つの面があることを色々な例を交えつつ書いてくれています。
ふと、昨日考えたのですが。
例えば、「円の定義」を導入するとき、既に私たちは「円」というものが何なのか日常的生活から知っていることが多いです。
しかし、その「円」も大雑把に見ていることが多いのです。
例えば、人が輪になった時、上から見れば円ですが、この円には内に何もありません。
しかし、10円玉や、浮き輪なども円だと認識することがあります。
これが、山口先生の言うところの一種の「あらさ」(大雑把な)数学になるのではないかと思います。
この2つの円(円内(中身)が詰まっている、詰まっていない)も、円周が大切であることは自然と分かるはずです。
というところで、円周があるものを「円と定義」するのが普通に思える。
(これが円の定義を導入する時に、良い話になるのではないかと思いました。)
この「定義」するところが「数学らしさ」なのでしょう。
数学の本を読むと、いかにも「定義」が先にありますが、ほとんどのことは「定義より先に例がある」はずです。
なので、私は極力その本にある例は解いていました。(今は時間がないという理由で、飛ばすことが多いのですが、本当は良くない)
少し話がずれました。
他には、公理主義・実在主義・経験主義と言った3つの立場を説明し、その繋がりを感じさせてくれましたね。
また、「数学が役に立つのか」というある意味永遠(?)のテーマに対しては、技術者(数学を使う専門職の人)に対して、「数学がためになるかどうか」と問うことと、「数学が必要ですか」と問うことの反応の違いから、導いていたりします。
話が前後しますが、1部のセクション2には、「数学が分かった」と言える基準を1つ例として(数学者の話)出して、研究におけることにつなげています。
この本は、数学をある程度学んだ人でも十分楽しめると思います。
もっと詳しいことを知りたい人は、是非読んでみてください。
---
「見える学力、見えない学力」を読み始めました。
これもかなりいい本で、1970,80年代からの教育崩壊の歴史や、どうするべきかを色々な見方から考えてくれています。
これは、教員・教員志望に限らず、子どもを持つ親御さんに読んでもらいたい本に感じます。
そうすれば、もう少し良い方向に今の「教育委員会叩き」が変わるのではないかと思います。
ではでは。後日、「興味を持った分野:格子点問題」の話もまとめてみたいと思います。
(実際、私も流し読みしたところ多いですし…)
ただ、経済学部などで、微分方程式を扱ったりしているのに、何をしているか(連立微分方程式など)、何が始まりか分からない人にとっては、かなり良い話が書かれていると思いました。
後半の言葉で、「非論理的なものに対して、反論する意味は無い」という言葉は、かなり極端だけども正論だなと感じました。
また、「数学が苦手と言うだけで、文系を選択すること」
ジャムの話もとても面白かったし、これは高校生の等比無限級数の導入に良いと思えました。
(収束・発散、そしてどれほど食べればジャムは残るか、残らないか。)
少し、前半のことを詳しく書いておきます。
数学の2つの見方、「数学のあらさ」と「数学の几帳面さ」を遠くに見える木にいる鳥が何羽居るのかを例にあげて導入して行きました。
確かに、数学では似たものを同一と見ることもありますね。(位相幾何学における、ドーナツ・浮き輪・1つの取ってがあるコーヒーカップなど)
しかし、そこにもしっかりとした「定義」が組み込まれていると。
時には大雑把に、時には几帳面にという2つの面があることを色々な例を交えつつ書いてくれています。
ふと、昨日考えたのですが。
例えば、「円の定義」を導入するとき、既に私たちは「円」というものが何なのか日常的生活から知っていることが多いです。
しかし、その「円」も大雑把に見ていることが多いのです。
例えば、人が輪になった時、上から見れば円ですが、この円には内に何もありません。
しかし、10円玉や、浮き輪なども円だと認識することがあります。
これが、山口先生の言うところの一種の「あらさ」(大雑把な)数学になるのではないかと思います。
この2つの円(円内(中身)が詰まっている、詰まっていない)も、円周が大切であることは自然と分かるはずです。
というところで、円周があるものを「円と定義」するのが普通に思える。
(これが円の定義を導入する時に、良い話になるのではないかと思いました。)
この「定義」するところが「数学らしさ」なのでしょう。
数学の本を読むと、いかにも「定義」が先にありますが、ほとんどのことは「定義より先に例がある」はずです。
なので、私は極力その本にある例は解いていました。(今は時間がないという理由で、飛ばすことが多いのですが、本当は良くない)
少し話がずれました。
他には、公理主義・実在主義・経験主義と言った3つの立場を説明し、その繋がりを感じさせてくれましたね。
また、「数学が役に立つのか」というある意味永遠(?)のテーマに対しては、技術者(数学を使う専門職の人)に対して、「数学がためになるかどうか」と問うことと、「数学が必要ですか」と問うことの反応の違いから、導いていたりします。
話が前後しますが、1部のセクション2には、「数学が分かった」と言える基準を1つ例として(数学者の話)出して、研究におけることにつなげています。
この本は、数学をある程度学んだ人でも十分楽しめると思います。
もっと詳しいことを知りたい人は、是非読んでみてください。
---
「見える学力、見えない学力」を読み始めました。
これもかなりいい本で、1970,80年代からの教育崩壊の歴史や、どうするべきかを色々な見方から考えてくれています。
これは、教員・教員志望に限らず、子どもを持つ親御さんに読んでもらいたい本に感じます。
そうすれば、もう少し良い方向に今の「教育委員会叩き」が変わるのではないかと思います。
ではでは。後日、「興味を持った分野:格子点問題」の話もまとめてみたいと思います。
2012年8月13日月曜日
ロンドンオリンピック
NHKのロンドンオリンピック総集編を見つつ、このオリンピックから考えられることを書いて行きましょう。
ついに終わりましたね。17日間ですか…7月27日から8月12日。
正直、スポーツがとても好きな人間ではないので、7月末からのロンドンオリンピック特番や、開催中の番組のロンドンオリンピック中継や録画放送が、普段見ていた番組を『邪魔』する存在ぐらいにしか感じていませんでした。
特に、開催前にあった、いろんな番組による、『金メダルをいくつ取るか。』という考察番組は、「ひどい放送だ」と思いましたね。
民放の「ひるおび!」もですが、これはNHKでも同様にありました…。
(NHKでは、オッズとか言って、倍率まで出してました…酷い放送だった。)
もちろん、そういう放送から得られるものもありました。国の政策として、オリンピックで金メダルを15個取ることが掲げられていたりするのも、そこで知りましたからね…。
さて、番組・放送に対する不満はこれぐらいにして、良かった部分を。
やはり、選手たちの『精一杯やり切ったと言う表情・ガッツポーズ』がグッと来ますね。
(リアルタイムで見たのは、なでしこジャパンの決勝だけだったので、ダイジェスト版や総集編でしか知りませんが…)
ちなみに同じ理由で、『高校野球の夏の甲子園』が好きだったりします。
よく知らない選手であっても、表情と言葉、会場の雰囲気を感じて、おじさんうるうるしちゃいましたね。
話をちょっと戻して…
『精一杯やった』と言うのは、もちろん当事者しか分かりませんから、こちらが勝手に画面越しに見て感じるだけですね。
この『精一杯やった』を自分自身が経験することは、非常に難しそうです。が、それに挑戦することは簡単・単純でしょう。
19:30からのNHKロンドンオリンピック特集の最初に出てきた、ジョン・レノンの言葉です。(ちょっとうろ覚え…)
「一度泳ぎ方を覚えたら後は泳ぐだけだ、自分の夢は自分で作る」
これに似たフレーズがググっても見つからないので、少々不安ですが…
大凡、これであってるとして、何を伝えたいのかの大枠はつかめる気がします。
中高生も、このロンドンオリンピックで感動をしたなら、やるべきことは簡単でしょう。
何か見つけて頑張ること。
「努力・一生懸命になることが、かっこ悪い・ダサい」と言う風潮がこれで無くなればいいですけどね…。それを根本から変えるには、教育ももっと変わらなければなりませんね。
(今は、悪い意味での、閉鎖的な教育の影響が大きすぎる気がします…。)
---
また別の話ですが、立秋を迎え、朝方も大分涼しくなりました。
定期試験後、暑さもあり、グダグダ・だらだらした生活が続いたりしましたが、前の生活を思い出すように、しっかりリズムを整えていきます。
(実は、そのせいでちょっとリバウンド…)
(実は、そのせいでちょっとリバウンド…)
来週、ちゃんと生活リズムを改善できたことを報告できるよう頑張ります。
また、教育書も一冊ようやく、読み終わったので、その内容もまとめましょう。
では、週末まで、頑張りましょう!
2012年7月6日金曜日
第1回教育シンポジウム(名古屋市)
名古屋市で開催されている、教育シンポジウムの第1回目に参加してきました。
今後も開かれるので、できる限り参加していこうと思います。
詳細については、名古屋市のページをご覧ください。
場所は、自宅から近かったので、散歩も兼ねる予定だったのですが、当日は生憎の雨模様だったので、仕方なく電車で移動しました。
当日、雨にも関わらず、予想以上の人が参加しており驚きました。
また、参加者は、老若男女問わない感じでした。学生もいくらか参加している様子でした。
では内容についてですが、3部構成でした。
今回は(A)曽山和彦氏の基調講演、(B)意見聴衆(意見・提案会)について、書いていこうと思います。
(A)基調講演:「不登校の子どもを支える親の役割」曽山和彦氏
当日の資料は、「学校におけるカウンセリングを考える会」のskill upにありますので、興味がある人は是非読んでください。
最初、機械トラブルがありましたが、そこは慣れている(と思える)曽山先生。
上手く間を繋いでいました。余裕があるのは、経験の量でしょうね。
簡潔に書いて行きたいと思います。
・小学生から大学生を教えてきたが、それぞれに対して「かける言葉の違い」がある。
・適応指導教室の存在を教えてあげよう。
・大人も子どもも危ない、3つのスクリーン「携帯、パソコン、テレビ」
・強い子は、相手をいじめる。(弱い子ではなくて!)優しい子は、自分が消える(不登校)
・糸を切らさず、絶えず見ている必要はあるが、助けすぎず、黒子に徹する。
・「約束」によって不安を煽ることがある。「約束を破った私はダメな子」
・声掛けの注意。「あなた(それ)は、良い(悪い)。」では、ただの上から目線の評価でしかない。これでは、上下関係の下にある「子ども」が相手に対して使えない言葉。
「私が(にとって)、嬉しい(助かった、悲しい)。」なら子ども同士でも、子どもから親や先生にも使える!
・「褒めて育てる落とし穴」。褒める人が居ないと、何もやらなくなる。自発的ではなくなる。
・子どもの生活リズムを作るのは、親!親もしっかり早く寝て、早く起きるべき。
・10才までは、教える(人との付き合い方!)。10才からは、考えさせる。質問・提案の仕方。
・言葉は、馴染むもの。気持ちと「ありがとう」が一致出来ずに悩んでいるのなら、いつでも「ありがとう」を使うようにすればいい。携帯電話で、相手が見ていないのに頷く(頭を下げる)のは、そういうクセが馴染んでいるから。
などなど。その通り!や、感動した!ものを集めました。特に色を変えたところは、感動しました。
(B)意見聴衆(意見・提案会)
教育委員会の6名に対して、参加者が様々な意見や提案をする時間でした。
今回のテーマ「不登校」だけに限らなかったように思えます。
あまり発言者も無く、1時間の枠を取る必要も無いのではと思っていましたが、そんなことは無く、むしろ1時間では足りない程でした。
それでは、その意見・提案の中からいくつか印象に残ったものを取り上げていきます。
(一応、似たようなものについてはまとめてみました。)
(1)フリースクールについての情報が公立学校から積極的に得られない。
(2)先生の忙しさ・質、情報共有
(3)カウンセラーの人数・質
(4)サポート・通信制校の支援
他にもたくさんありましたが、今回はこの4つについて、大まかな意見・提案内容と、それに対する私個人の考え(まとめて最後に)を書いていきます。
(1)フリースクールについて
<不登校だった、現在大学生より>
通ったフリースクールには、大変お世話になった。フリースクールがあったから、今の自分がある。
しかし、その「フリースクールについて」は、自分で調べた。
僕は、たまたまそのような情報に出会えた。なぜ学校・教師は、教えてくれないのか?
(2)先生の忙しさ・質、情報共有
<生徒の母親を中心として>
(i)知的障害者の生徒に対して:普通の公立学校に通うのではなく、特別支援学校などに通われてはいかがと言われた。いじめられる可能性があるからなどと言われたが、納得出来ない。
(ii)小学校において:この6年間で、校長先生・教頭先生が3度、4度も変わった。いじめなどの対策は長期的なものであるのに、毎回変わるたびに再度状況の説明をしなければならなくなり、環境は良くならない。人事の面、または違反をしないような先生を選別すべきだ。
(iii)担任が変わるとクラスが変わりすぎる。先生の質に差が大きい!クラス情報の引き継ぎができてないのでは?
(iv)いじめは学校と家庭が協力することが必要条件と言うが、学校からの情報が少なすぎる!
番外編ですが、ひどいと思ったので
<孫が公立校に通う祖父より>
最近は、平日ばかりに催し物(文化祭や、体育祭)を行うことが多いのでしょうか?
地域と触れ合うことが少なくなり、活気が無い気がして、寂しいです。
『?』このとき、確認を取りたいと提案者の男性は言ったのだが、前に座る6人の教育委員会は、お互いに顔を見合わすだけで、何も応えず。この提案者の1,2人後に、解答する。
(3)カウンセラーの人数・質
<子どもが不登校である母親より>
カウンセラーから「親の育て方が悪い」と言われた。いくらなんでも酷いと感じた。そのようなカウンセラーに合う、合わないもある。学校にカウンセラーを1,2名じゃ少ない、もしくは、他の支援方法を考えて欲しい。
(4)サポート・通信制校の支援
<サポート校を運営する団体の代表者より>
お金が足りない。また、生徒数が少ないため、登録が出来ず、生徒たちに対しても学割が適用されない。市に支援して欲しい。
<一般女性>
近くの小規模校の空き教室などを有効に活用して欲しい。もっと地域と関わるようなもの。もしくは、区外から通う等で、いじめからの逃げ場として使ってみてはどうか。
以上
---
私個人の考え(後半ほど愚痴になりつつあるので…いつか修正を)
現場で、1年、2年と働いたことも無く、教育実習とボランティアでしか公立学校の教育に関係したことはありません。
しかし、そこで得られたものは、先生方のほとんどは真面目であり、生徒の事を考えて動いているということです。
もちろん、あまり良くない先生(これについてはそのうち考えをまとめたて書きたいですが…)も少なからず居ます。それを念頭に、書いて行きたいと思います。
(1) フリースクールに関する情報が得られない
これを発言した学生が、中学生のころですので、今から多くて10年前だったりするのですが、その時の日本における「フリースクール」どれほど認知されていたのでしょうか。
もちろん、他の方からも同じような意見はあったので、認知度だけの話ではないのですが…。
実際問題、学校でも情報が多すぎてなのか分かりませんが、そのような情報を持っていない先生も居たりします。
そのような状況を作っているのは、先生の忙しさにあると私は思っています。
今よりも先生を増やせば、分担が出来て時間が取れて、その時間で研修含めた、情報共有の時間がしっかりと取れるのではないでしょうか。
もちろん、これに関係なく、サボっている、楽をしようとしている先生方は存在します。非常に残念です…。
(2)情報共有の問題
忙しさ、質については(1)にも書いてますので、情報共有について書きます。
この「情報共有」は、実は大変厄介な問題です。
例えば、生徒の情報を受け継ぐにしても、知らないふりをすることで、生徒から引き出すと言う手続きで、生徒と先生は近くなります。
逆に、生徒から見て、あまり私と会話をしたこともないのに、私の情報を何でもかんでも知っている先生と言うのは怖すぎますね…。
なので、「あえて知らないふり」をするのは教育現場ではやることです。(もちろん、いじめに対してはやってはだめですよ…)
しばしば、お年を召した先生方にいらっしゃるのですが、生徒の母親に対してもそのような扱いをすることがあります。「自分は先生なのだ」と言う、ちょっと曲がった先生です。(私はとても嫌いです)
そうすると、「共有すべきところ、迅速に対処すべきところ」が見えていない先生になってしまいます。
もちろん、そうした先生じゃない場合もあるのですけどね…。
(2)の後半部分は、「教育委員会に対して」呆れるしかありません。
「何も応えない」と言うのは、どういうことなのでしょうか。
「少し、確認を取ります」の一言も言えない。
また、ここには書きませんでしたが、最後の閉会の言葉では、ほとんど同じ言葉を6つの口から時間差で聞くことになりました。なんて無駄な!!
ただの、教育委員会の仕事してますよアピールの場になるのだったら、非常に勿体無い!!
意見・提案会を見る・聞く限り、みなさん凄く考えているのに…。
と話が少しずれましたが、「教育」に関してはこれぐらいでしょうか。
解決策としては、「先生の質をちゃんと篩にかけられる採用方法を見つけ出す」か
採用したら、永遠と働ける今の状態をどうにか変えるべきでしょう。
3年間の試用期間何かもいいのではないでしょうかね。
あと、年老いた、教育に関して何も考えないような、「金を貪る」教員をどう減らすかですね。
名古屋市で開催されている、教育シンポジウムの第1回目に参加してきました。
今後も開かれるので、できる限り参加していこうと思います。
詳細については、名古屋市のページをご覧ください。
場所は、自宅から近かったので、散歩も兼ねる予定だったのですが、当日は生憎の雨模様だったので、仕方なく電車で移動しました。
当日、雨にも関わらず、予想以上の人が参加しており驚きました。
また、参加者は、老若男女問わない感じでした。学生もいくらか参加している様子でした。
では内容についてですが、3部構成でした。
今回は(A)曽山和彦氏の基調講演、(B)意見聴衆(意見・提案会)について、書いていこうと思います。
(A)基調講演:「不登校の子どもを支える親の役割」曽山和彦氏
当日の資料は、「学校におけるカウンセリングを考える会」のskill upにありますので、興味がある人は是非読んでください。
最初、機械トラブルがありましたが、そこは慣れている(と思える)曽山先生。
上手く間を繋いでいました。余裕があるのは、経験の量でしょうね。
簡潔に書いて行きたいと思います。
・小学生から大学生を教えてきたが、それぞれに対して「かける言葉の違い」がある。
・適応指導教室の存在を教えてあげよう。
・大人も子どもも危ない、3つのスクリーン「携帯、パソコン、テレビ」
・強い子は、相手をいじめる。(弱い子ではなくて!)優しい子は、自分が消える(不登校)
・糸を切らさず、絶えず見ている必要はあるが、助けすぎず、黒子に徹する。
・「約束」によって不安を煽ることがある。「約束を破った私はダメな子」
・声掛けの注意。「あなた(それ)は、良い(悪い)。」では、ただの上から目線の評価でしかない。これでは、上下関係の下にある「子ども」が相手に対して使えない言葉。
「私が(にとって)、嬉しい(助かった、悲しい)。」なら子ども同士でも、子どもから親や先生にも使える!
・「褒めて育てる落とし穴」。褒める人が居ないと、何もやらなくなる。自発的ではなくなる。
・子どもの生活リズムを作るのは、親!親もしっかり早く寝て、早く起きるべき。
・10才までは、教える(人との付き合い方!)。10才からは、考えさせる。質問・提案の仕方。
・言葉は、馴染むもの。気持ちと「ありがとう」が一致出来ずに悩んでいるのなら、いつでも「ありがとう」を使うようにすればいい。携帯電話で、相手が見ていないのに頷く(頭を下げる)のは、そういうクセが馴染んでいるから。
などなど。その通り!や、感動した!ものを集めました。特に色を変えたところは、感動しました。
(B)意見聴衆(意見・提案会)
教育委員会の6名に対して、参加者が様々な意見や提案をする時間でした。
今回のテーマ「不登校」だけに限らなかったように思えます。
あまり発言者も無く、1時間の枠を取る必要も無いのではと思っていましたが、そんなことは無く、むしろ1時間では足りない程でした。
それでは、その意見・提案の中からいくつか印象に残ったものを取り上げていきます。
(一応、似たようなものについてはまとめてみました。)
(1)フリースクールについての情報が公立学校から積極的に得られない。
(2)先生の忙しさ・質、情報共有
(3)カウンセラーの人数・質
(4)サポート・通信制校の支援
他にもたくさんありましたが、今回はこの4つについて、大まかな意見・提案内容と、それに対する私個人の考え(まとめて最後に)を書いていきます。
(1)フリースクールについて
<不登校だった、現在大学生より>
通ったフリースクールには、大変お世話になった。フリースクールがあったから、今の自分がある。
しかし、その「フリースクールについて」は、自分で調べた。
僕は、たまたまそのような情報に出会えた。なぜ学校・教師は、教えてくれないのか?
(2)先生の忙しさ・質、情報共有
<生徒の母親を中心として>
(i)知的障害者の生徒に対して:普通の公立学校に通うのではなく、特別支援学校などに通われてはいかがと言われた。いじめられる可能性があるからなどと言われたが、納得出来ない。
(ii)小学校において:この6年間で、校長先生・教頭先生が3度、4度も変わった。いじめなどの対策は長期的なものであるのに、毎回変わるたびに再度状況の説明をしなければならなくなり、環境は良くならない。人事の面、または違反をしないような先生を選別すべきだ。
(iii)担任が変わるとクラスが変わりすぎる。先生の質に差が大きい!クラス情報の引き継ぎができてないのでは?
(iv)いじめは学校と家庭が協力することが必要条件と言うが、学校からの情報が少なすぎる!
番外編ですが、ひどいと思ったので
<孫が公立校に通う祖父より>
最近は、平日ばかりに催し物(文化祭や、体育祭)を行うことが多いのでしょうか?
地域と触れ合うことが少なくなり、活気が無い気がして、寂しいです。
『?』このとき、確認を取りたいと提案者の男性は言ったのだが、前に座る6人の教育委員会は、お互いに顔を見合わすだけで、何も応えず。この提案者の1,2人後に、解答する。
(3)カウンセラーの人数・質
<子どもが不登校である母親より>
カウンセラーから「親の育て方が悪い」と言われた。いくらなんでも酷いと感じた。そのようなカウンセラーに合う、合わないもある。学校にカウンセラーを1,2名じゃ少ない、もしくは、他の支援方法を考えて欲しい。
(4)サポート・通信制校の支援
<サポート校を運営する団体の代表者より>
お金が足りない。また、生徒数が少ないため、登録が出来ず、生徒たちに対しても学割が適用されない。市に支援して欲しい。
<一般女性>
近くの小規模校の空き教室などを有効に活用して欲しい。もっと地域と関わるようなもの。もしくは、区外から通う等で、いじめからの逃げ場として使ってみてはどうか。
以上
---
私個人の考え(後半ほど愚痴になりつつあるので…いつか修正を)
現場で、1年、2年と働いたことも無く、教育実習とボランティアでしか公立学校の教育に関係したことはありません。
しかし、そこで得られたものは、先生方のほとんどは真面目であり、生徒の事を考えて動いているということです。
もちろん、あまり良くない先生(これについてはそのうち考えをまとめたて書きたいですが…)も少なからず居ます。それを念頭に、書いて行きたいと思います。
(1) フリースクールに関する情報が得られない
これを発言した学生が、中学生のころですので、今から多くて10年前だったりするのですが、その時の日本における「フリースクール」どれほど認知されていたのでしょうか。
もちろん、他の方からも同じような意見はあったので、認知度だけの話ではないのですが…。
実際問題、学校でも情報が多すぎてなのか分かりませんが、そのような情報を持っていない先生も居たりします。
そのような状況を作っているのは、先生の忙しさにあると私は思っています。
今よりも先生を増やせば、分担が出来て時間が取れて、その時間で研修含めた、情報共有の時間がしっかりと取れるのではないでしょうか。
もちろん、これに関係なく、サボっている、楽をしようとしている先生方は存在します。非常に残念です…。
(2)情報共有の問題
忙しさ、質については(1)にも書いてますので、情報共有について書きます。
この「情報共有」は、実は大変厄介な問題です。
例えば、生徒の情報を受け継ぐにしても、知らないふりをすることで、生徒から引き出すと言う手続きで、生徒と先生は近くなります。
逆に、生徒から見て、あまり私と会話をしたこともないのに、私の情報を何でもかんでも知っている先生と言うのは怖すぎますね…。
なので、「あえて知らないふり」をするのは教育現場ではやることです。(もちろん、いじめに対してはやってはだめですよ…)
しばしば、お年を召した先生方にいらっしゃるのですが、生徒の母親に対してもそのような扱いをすることがあります。「自分は先生なのだ」と言う、ちょっと曲がった先生です。(私はとても嫌いです)
そうすると、「共有すべきところ、迅速に対処すべきところ」が見えていない先生になってしまいます。
もちろん、そうした先生じゃない場合もあるのですけどね…。
(2)の後半部分は、「教育委員会に対して」呆れるしかありません。
「何も応えない」と言うのは、どういうことなのでしょうか。
「少し、確認を取ります」の一言も言えない。
また、ここには書きませんでしたが、最後の閉会の言葉では、ほとんど同じ言葉を6つの口から時間差で聞くことになりました。なんて無駄な!!
ただの、教育委員会の仕事してますよアピールの場になるのだったら、非常に勿体無い!!
意見・提案会を見る・聞く限り、みなさん凄く考えているのに…。
と話が少しずれましたが、「教育」に関してはこれぐらいでしょうか。
解決策としては、「先生の質をちゃんと篩にかけられる採用方法を見つけ出す」か
採用したら、永遠と働ける今の状態をどうにか変えるべきでしょう。
3年間の試用期間何かもいいのではないでしょうかね。
あと、年老いた、教育に関して何も考えないような、「金を貪る」教員をどう減らすかですね。
2012年6月24日日曜日
これからの高校教育と大学の在り方について
久しぶりに、時間が取れたのもあり、教育に関係する考えも溜まっていたので、アウトプットしておこうと思い書いてみます。
題名は、ちょっと大袈裟ですが、書いていきます。
まず、ここ最近で参加した、教育関係のセミナーなどを振り返ります。
(何で、参加した毎に書かなかったのか…完全に忙しさとかで、blogの意義を忘れていた…。)
・振り返り
4月28日 数理ウェーブ (参照:こちら)
名古屋大学で、毎月行われている、数学が好きな人へ向けたセミナーです。
参加者は、下は小学生から、上は80歳ぐらいのお爺さん、お婆さんと幅広い。
多かったのは、中年以降の人だった印象です。
開場する30分ぐらい前に行ったのですが、高校生がすでに集まっており、数学の教科書片手に、色々話をしていました。
話の内容を聞いていると、講演の紹介文にある「数学の用語」を復習していました。
そこから、さらに高校で受けた授業や試験の内容(かな?)を思い返していたりしてました。
たまに、間違ったことを言ってたりしたのですが、遠くから見守ることにしました。
間違いに気づくのも大切ですからね。幸い一人が、「うーん、そうだっけ?ちょっと考えてみよう」と言っていたので、多分正解にたどり着いているでしょう。
意外にも(?)、女子高生も含めた、女性は居ましたね。中には、家族で連れてこられたような人も居ましたが、自分の意志で着ているであろう子の方が多かったようです。
素晴らしいですね。
自分が高校生の時には、こういうものに参加しようとはあまりしなかったですし、そういうものがあることも知りませんでしたね…。
ちょっと話がずれますが、数学オリンピックなどを知ったのは、浪人した時ですし、そういうことを「知る機会」が無かったのは、どうしてだろうと思いますね。
自分に積極性が無かった以外にも、理由がある気がします。地方・田舎は、学力面以外にも差があるというのは、こういうことからも考えられそうではあります。
さて、当日の内容ですが…これは数学マニアの人たちに「こういうものがあるんだよ。」と言うのが目的らしいので、少し内容としては楽しめませんでしたね。
しかし、最後には、急激に大学初等レベルになるので、高校生は果たして分かるのだろうか…と。
(テイラー展開で、多項式近似する話をしていましたが、確か図・グラフが無かった…。後コーシーの積分定理なんかも扱ったような…?)
今後も機会があれば出たいな、高校生諸君がどう変わるかも観察したいなと思っていましたが、後述する「数学教育セミナー」と毎回かぶることになって、この4月の1回しか参加出来ていません。
5月26日 第33回名大数学教育セミナー(参考:こちら)
これも名古屋大学で、ほぼ毎月行われている、主として現役教員・教育者が意見交換・交流をする場のように思います。
参加者は、学部生は多分0?、院生が2名ほど毎回居る気がします。
その他は、現役教員、退職・退官された元教員が多いですね。
ここには、男性しか(多分)居ませんでした。
愛知県近辺以外からも、割りと参加者が居たりするので、そろそろ自分も意見・質問を出しつつ、色々な話を聞いて行かなければと思っています。
内容については、前半は「新学習指導要領に対してどう捉えていくべきか」と言った内容でした。
後半は、「不確定性原理の反証と新しい定式化」と言う物理の小澤先生のお話でした。
正直後半は、全く分からずだったので(研究者とはどんなものなのかを感じる程度で)、前半の内容のみを少し自分なりにまとめてみます。
「市民的教養としての数学教育を目指して」(浪川先生)
主張は、『数学は言語である。』だと私は思います。
以下、浪川先生の仰った内容を要約しています。(私個人の意見は、赤色にして書きます。)
始まりは、「生きる力」の認識の違いにあった。
80年代に最初に起こった、学校における自殺。また、詰め込み教育の問題であった、落ちこぼれ。
その両方を救う考えとして、「生きる力」という、曖昧な表現を使ってしまった。
ゆえに、認識の違いが起こった。
ゆとり教育の始まり。
何年後かに、TIMSS、PISAなどから明らかになる「学力低下」
その中でも数学において一番問題となっているものとして
「読解力や記述式問題に課題」
(読解力も記述、論述力も、両方国語ではないか!国語力の話についてはまた、後で書きます。)
「数式などを含む、広い意味の言語」とすべきだ。
なぜなら、高校進学率95%である現状、準義務教育として見れる。
さらに、高校では国語・英語・数学(一部)が必修科目としてあるのだから、これは「広い意味での言語科目」だとするべきだ。
特に、数学Ⅰにおける教育では、それ(数学が言語であること)を意識させるべき。
生徒が先生に説明するなものではなく、生徒が同じ生徒に対して説明させる環境が理想だ。
以上
大体このような内容でした。
そして、ちょっと私が気になったことは、中高生に対する数学の意識アンケートの結果です。
「数学への生徒の興味」は低い、しかし「今後の数学(を学ぶこと)」に対しては不安を感じ、「数学を好き」だと言う人の割合は低下している。
ということだ。これは、かなり重い問題だ。特に、最後の「数学を好き」だと言う人が少ないと言うのだ。
これは、「数学が嫌いだ」と言う人が多いことと同値ではない。
この現状を見て、「余裕を持った授業計画」が求められるのは当然であるが、それでは学力が一向に伸びない…。(もちろん大学受験の制度を変えなければ、進学校以外の未来が無くなる…)
あっちに転べば、こっちが問題にと、完全に八方塞がりの状態。
これをどうやって解決していくのか…。
現場の先生は、目の前の生徒で手一杯である。
こんなことを考えているのは、学生や、引退した先生が多い。
そして、その学生や、引退した先生が何か言えば、「現場を知らないから(くせに!!)」となるのだから、もうどうしようもない。
双方の理解と、落ち着いた態度で、どうにか変えて行かなければなりませんね…。
(愚痴でした…)
そういう意味では、この「数学教育セミナー」の集まりと言うのは非常に大切だと思う。
中には、このことも含めた、理想と現場でやることのギャップに悩む現役の教員も何人か参加していらっしゃる様子。そういう人達からも色々学びたい。
(ALL関東教育フェスタなどがあることは、そういう意味では素敵だと思うのだが、何か芯のある、実績のある年配の方が居るのと居ないのでは、大きな差があるだろう。
学生だけの集まりと言うのは、時として自己満足で終わってしまうのです…。)
6月22日 第34回名大数学教育セミナー
前半は、「関孝和先生の和算」について。後半は、2月末から話題になった「第1回大学生数学基礎調査について」。
両方共、お茶の水女子大学の真島先生。
後半についてまとめようかと思いましたが、これは真島先生が言うに、近日修正版とまとめたものがあがるそうなので、載っていないことについていくらか書いていきます。
(詳しい内容に興味がある方は、こちら)
何故このような調査を行ったかと言うと、日本の(数)学力低下に、世間が注目して欲しかったと言うのが本音だそうです(笑)
そのために、世論を味方に、マスコミを味方につけようとしたと、色々工夫がなされていることを聞いて、大変なんだなあと思いました。
(けど、事実ですよね、マスコミに取り上げられなかったら、誰も何も言わなかったし、そんなことはないと思い込んでいたかもしれない…)
記述力つまり、『筆記試験の必要性』を訴えたい。(その背後にも理由があるらしいのですが、ここでは危ないかも知れないので省略(笑))
記述式の筆記試験を受けていなかった学生は、多くが理解が足りていなく、マーク式のみで受験した学生は典型的なミスに陥りやすい傾向が見られた。
マーク式と言うのは、「反応の速さ」を重視するので、「パターン化」することになってしまう。
現役の教員の方も、これについて話をしていた…。やりたくないけど、「大学受験(の実績)」を見ると、どうしてもそうせざるを得ないと。
センター試験を廃止した方がいいのでは?いや、一つの指標として良い問題だと思う。
という話も出たりした。
そして、退官された三宅先生から「日本の国語の授業は、国語の評価をしていない」と仰られた。
仰るとおりだと私も思い、その皮肉さに笑ってしまった。
三宅先生の真後ろに居たのだから、話しかけるかすれば良かったと今更後悔している。
以上で、この3ヶ月ほどで参加したものを振り返りました。
色々書こうと思っていましたが、たくさんありすぎるので、今回は、今読もう、考えようとしていることと、「国語の授業に対する文句(笑)」を書いて終わりにしようと思います。
・今後考えること
私は地下鉄を利用して大学に通っているのですが、その間することが無いので暇である。
6月前半から、教育関係者のブログ記事やらを引っ張ってきて、それを移動中読んでいたりします。
その内容については、他に知ってもらいたいと思えば、Twitterに投稿し、お気に入りに入れています。(清先生のが大半ですが…)
そして、今後もこれを続けます。
さらに、文科省から発表された「大学改革プラン」。これを是非読みたいと考えています。
コピー自体は、もう済ませてるのですが、如何せん長いので、どっかで一気に読まないとと思っています。
・国語の授業に対する文句 (個人的な意見です。全部が全部悪いとも思っていません。)
「試験で国語の点数が低い」と、親や教師から「本を読め、小説を読め」とよく言われたのは、私だけではないはず。
確かに、本を日常的に読んでいる人たちは、国語の点数が高かったような記憶があります。
けれど、そのよく本を読む子のうちにも2種類のタイプが居ると思います。
(A)一般的な本を読む子
(B)ライトノベルや小説を好む子
そして、私の印象では、(A)の子は国語以外も比較的出来る子が多い。(B)については、それほど分かりませんが、あまりいい印象がありません。
この違いは、「論理力」にあると思っています。
センター試験や、大学入試における国語の試験は、どれぐらい論理的に読めて、それを正確に表せるかだと思います。(私は国語の筆記試験を受けたことは、模試でしか無いので、それほど胸を張れませんが…)
これについて、私の大学受験も含めて、お話したいと思います。
私は、高校3年生まで、自分は国語が苦手で、どうやっても点数なんて取れない、センター試験なんて知りませんよ、という感じでした。
(中学でも良い点数を取ったことはありませんでしたしね…思い込みですね。その度に、親に小説を読めと言われたもんです。)
その結果、高校3年生で受けた、センター試験では80点代でした。(国語は200点満点、現文100点、古文50点、漢文50点)
古文、漢文に至っては、勉強をした記憶が無いので、感で埋めました。それでも現文とドッコイドッコイな点数だったはず…(笑)
こんなにひどい点数を取っても、気にせず私立受験し、浪人することになりました。
そして、浪人したんだし、真面目に勉強してみるかと思いました。(4月までは私立一本と迷ったのですが、3月末から4月中旬にかけて、国語の勉強の仕方・正答とはどういうことかが分かったのです!)
そこから私が思ったことは、『「本を読んだこと」が必ず国語力に直結するとは言えない!』
国語の、特に現文では、「書いてある事から正しいことを導け」と言うのが問題だったのです。
私は、この時までそんな事知りませんでした。
それまでの私は「想像できうることで、最も(自分の感性に)合っていること、または正しいと連想できそうなこと」を選んでいました。(そりゃ当たるわけない)
こうだったらいいのにではないですが、こうあるべきだろうとか思うことはよくありますよね、それを試験に持ち込んでいた。「勝手に想像していた」
これがダメな点です。数学ならそれを確かめる術があるので良いですが、国語は想像に間違いとかはありません、それは主観であり、正しいのですから。
国語では、客観的に読めるかどうかが鍛えられてたわけですね。
そんなこと「知っているのが普通だろ」と思う人も多いかも知れませんが、以外に少ないのでは無いでしょうかね…。
理系の子なら、ちゃんとこれを教えてあげれば、「論理力」から比較的簡単に国語の点数も伸びると思います。
これで、私は浪人してからの夏には、120点をウロウロして、秋から冬にかけて140点近辺、本番では、165点とかだったと思います。
センター試験の国語では、時間が足りないと言うことは、あまり起こらないので(少なくとも数学ⅡBのような)、十分に論理性を試される良い試験だと思います。
(古文・漢文は、ちょっと記憶と反応の速さを求められると思いますが…)
そして、この国語、「直感で解ける」というのを良く聞いたりします。
この直感で解ける人たちが、危ない子たちだと私は思っています。
彼ら/彼女らは、論理力どうこうではなく、「与えられたことからのみ思考できる」状態なのではないかと思うのです。(ちょっと極端ですが…)
つまり、何かを想像したりすることをしない、あらゆることを想定しないで、今あるものを信じる。
何かが異変が起こっても、それが変だと思わない、気づかない。
マンガ脳だとか、言うつもりはありませんが、ライトノベルや(携帯)小説にはそういうものが多い…と感じます。
空想の世界なのだからと言いますが、昔の小説は、ある程度決められている世界観があってその範疇に収まっているように感じます。坊ちゃん、羅生門など、不思議なことはあっても、それが綺麗に収まっているように思えます。
---
国語力、論理力をちゃんと鍛えるための授業、定期試験を考えるべきですね。
今の高校・中学では、暗記試験になってしまっています。
和歌を覚えたり、活用を覚えることに意味が無いとまでは言いません。
しかし、その先に何か(活用なら、それを使った品詞分解も見据えるとか、やらせるとか)を置かないと、このままでは、ただの暗記科目であって、理系から煙たがられる科目になるでしょう。
これが三宅先生の仰ったことと私の思ったことの似たところでしょうか。
三宅先生が、私のようなことを思って、そう言ったのかどうかは定かではありません。
次回確かめてきます。
それでは!また、後日近況報告致します!
久しぶりに、時間が取れたのもあり、教育に関係する考えも溜まっていたので、アウトプットしておこうと思い書いてみます。
題名は、ちょっと大袈裟ですが、書いていきます。
まず、ここ最近で参加した、教育関係のセミナーなどを振り返ります。
(何で、参加した毎に書かなかったのか…完全に忙しさとかで、blogの意義を忘れていた…。)
・振り返り
4月28日 数理ウェーブ (参照:こちら)
名古屋大学で、毎月行われている、数学が好きな人へ向けたセミナーです。
参加者は、下は小学生から、上は80歳ぐらいのお爺さん、お婆さんと幅広い。
多かったのは、中年以降の人だった印象です。
開場する30分ぐらい前に行ったのですが、高校生がすでに集まっており、数学の教科書片手に、色々話をしていました。
話の内容を聞いていると、講演の紹介文にある「数学の用語」を復習していました。
そこから、さらに高校で受けた授業や試験の内容(かな?)を思い返していたりしてました。
たまに、間違ったことを言ってたりしたのですが、遠くから見守ることにしました。
間違いに気づくのも大切ですからね。幸い一人が、「うーん、そうだっけ?ちょっと考えてみよう」と言っていたので、多分正解にたどり着いているでしょう。
意外にも(?)、女子高生も含めた、女性は居ましたね。中には、家族で連れてこられたような人も居ましたが、自分の意志で着ているであろう子の方が多かったようです。
素晴らしいですね。
自分が高校生の時には、こういうものに参加しようとはあまりしなかったですし、そういうものがあることも知りませんでしたね…。
ちょっと話がずれますが、数学オリンピックなどを知ったのは、浪人した時ですし、そういうことを「知る機会」が無かったのは、どうしてだろうと思いますね。
自分に積極性が無かった以外にも、理由がある気がします。地方・田舎は、学力面以外にも差があるというのは、こういうことからも考えられそうではあります。
さて、当日の内容ですが…これは数学マニアの人たちに「こういうものがあるんだよ。」と言うのが目的らしいので、少し内容としては楽しめませんでしたね。
しかし、最後には、急激に大学初等レベルになるので、高校生は果たして分かるのだろうか…と。
(テイラー展開で、多項式近似する話をしていましたが、確か図・グラフが無かった…。後コーシーの積分定理なんかも扱ったような…?)
今後も機会があれば出たいな、高校生諸君がどう変わるかも観察したいなと思っていましたが、後述する「数学教育セミナー」と毎回かぶることになって、この4月の1回しか参加出来ていません。
5月26日 第33回名大数学教育セミナー(参考:こちら)
これも名古屋大学で、ほぼ毎月行われている、主として現役教員・教育者が意見交換・交流をする場のように思います。
参加者は、学部生は多分0?、院生が2名ほど毎回居る気がします。
その他は、現役教員、退職・退官された元教員が多いですね。
ここには、男性しか(多分)居ませんでした。
愛知県近辺以外からも、割りと参加者が居たりするので、そろそろ自分も意見・質問を出しつつ、色々な話を聞いて行かなければと思っています。
内容については、前半は「新学習指導要領に対してどう捉えていくべきか」と言った内容でした。
後半は、「不確定性原理の反証と新しい定式化」と言う物理の小澤先生のお話でした。
正直後半は、全く分からずだったので(研究者とはどんなものなのかを感じる程度で)、前半の内容のみを少し自分なりにまとめてみます。
「市民的教養としての数学教育を目指して」(浪川先生)
主張は、『数学は言語である。』だと私は思います。
以下、浪川先生の仰った内容を要約しています。(私個人の意見は、赤色にして書きます。)
始まりは、「生きる力」の認識の違いにあった。
80年代に最初に起こった、学校における自殺。また、詰め込み教育の問題であった、落ちこぼれ。
その両方を救う考えとして、「生きる力」という、曖昧な表現を使ってしまった。
ゆえに、認識の違いが起こった。
ゆとり教育の始まり。
何年後かに、TIMSS、PISAなどから明らかになる「学力低下」
その中でも数学において一番問題となっているものとして
「読解力や記述式問題に課題」
(読解力も記述、論述力も、両方国語ではないか!国語力の話についてはまた、後で書きます。)
「数式などを含む、広い意味の言語」とすべきだ。
なぜなら、高校進学率95%である現状、準義務教育として見れる。
さらに、高校では国語・英語・数学(一部)が必修科目としてあるのだから、これは「広い意味での言語科目」だとするべきだ。
特に、数学Ⅰにおける教育では、それ(数学が言語であること)を意識させるべき。
生徒が先生に説明するなものではなく、生徒が同じ生徒に対して説明させる環境が理想だ。
以上
大体このような内容でした。
そして、ちょっと私が気になったことは、中高生に対する数学の意識アンケートの結果です。
「数学への生徒の興味」は低い、しかし「今後の数学(を学ぶこと)」に対しては不安を感じ、「数学を好き」だと言う人の割合は低下している。
ということだ。これは、かなり重い問題だ。特に、最後の「数学を好き」だと言う人が少ないと言うのだ。
これは、「数学が嫌いだ」と言う人が多いことと同値ではない。
この現状を見て、「余裕を持った授業計画」が求められるのは当然であるが、それでは学力が一向に伸びない…。(もちろん大学受験の制度を変えなければ、進学校以外の未来が無くなる…)
あっちに転べば、こっちが問題にと、完全に八方塞がりの状態。
これをどうやって解決していくのか…。
現場の先生は、目の前の生徒で手一杯である。
こんなことを考えているのは、学生や、引退した先生が多い。
そして、その学生や、引退した先生が何か言えば、「現場を知らないから(くせに!!)」となるのだから、もうどうしようもない。
双方の理解と、落ち着いた態度で、どうにか変えて行かなければなりませんね…。
(愚痴でした…)
そういう意味では、この「数学教育セミナー」の集まりと言うのは非常に大切だと思う。
中には、このことも含めた、理想と現場でやることのギャップに悩む現役の教員も何人か参加していらっしゃる様子。そういう人達からも色々学びたい。
(ALL関東教育フェスタなどがあることは、そういう意味では素敵だと思うのだが、何か芯のある、実績のある年配の方が居るのと居ないのでは、大きな差があるだろう。
学生だけの集まりと言うのは、時として自己満足で終わってしまうのです…。)
6月22日 第34回名大数学教育セミナー
前半は、「関孝和先生の和算」について。後半は、2月末から話題になった「第1回大学生数学基礎調査について」。
両方共、お茶の水女子大学の真島先生。
後半についてまとめようかと思いましたが、これは真島先生が言うに、近日修正版とまとめたものがあがるそうなので、載っていないことについていくらか書いていきます。
(詳しい内容に興味がある方は、こちら)
何故このような調査を行ったかと言うと、日本の(数)学力低下に、世間が注目して欲しかったと言うのが本音だそうです(笑)
そのために、世論を味方に、マスコミを味方につけようとしたと、色々工夫がなされていることを聞いて、大変なんだなあと思いました。
(けど、事実ですよね、マスコミに取り上げられなかったら、誰も何も言わなかったし、そんなことはないと思い込んでいたかもしれない…)
記述力つまり、『筆記試験の必要性』を訴えたい。(その背後にも理由があるらしいのですが、ここでは危ないかも知れないので省略(笑))
記述式の筆記試験を受けていなかった学生は、多くが理解が足りていなく、マーク式のみで受験した学生は典型的なミスに陥りやすい傾向が見られた。
マーク式と言うのは、「反応の速さ」を重視するので、「パターン化」することになってしまう。
現役の教員の方も、これについて話をしていた…。やりたくないけど、「大学受験(の実績)」を見ると、どうしてもそうせざるを得ないと。
センター試験を廃止した方がいいのでは?いや、一つの指標として良い問題だと思う。
という話も出たりした。
そして、退官された三宅先生から「日本の国語の授業は、国語の評価をしていない」と仰られた。
仰るとおりだと私も思い、その皮肉さに笑ってしまった。
三宅先生の真後ろに居たのだから、話しかけるかすれば良かったと今更後悔している。
以上で、この3ヶ月ほどで参加したものを振り返りました。
色々書こうと思っていましたが、たくさんありすぎるので、今回は、今読もう、考えようとしていることと、「国語の授業に対する文句(笑)」を書いて終わりにしようと思います。
・今後考えること
私は地下鉄を利用して大学に通っているのですが、その間することが無いので暇である。
6月前半から、教育関係者のブログ記事やらを引っ張ってきて、それを移動中読んでいたりします。
その内容については、他に知ってもらいたいと思えば、Twitterに投稿し、お気に入りに入れています。(清先生のが大半ですが…)
そして、今後もこれを続けます。
さらに、文科省から発表された「大学改革プラン」。これを是非読みたいと考えています。
コピー自体は、もう済ませてるのですが、如何せん長いので、どっかで一気に読まないとと思っています。
・国語の授業に対する文句 (個人的な意見です。全部が全部悪いとも思っていません。)
「試験で国語の点数が低い」と、親や教師から「本を読め、小説を読め」とよく言われたのは、私だけではないはず。
確かに、本を日常的に読んでいる人たちは、国語の点数が高かったような記憶があります。
けれど、そのよく本を読む子のうちにも2種類のタイプが居ると思います。
(A)一般的な本を読む子
(B)ライトノベルや小説を好む子
そして、私の印象では、(A)の子は国語以外も比較的出来る子が多い。(B)については、それほど分かりませんが、あまりいい印象がありません。
この違いは、「論理力」にあると思っています。
センター試験や、大学入試における国語の試験は、どれぐらい論理的に読めて、それを正確に表せるかだと思います。(私は国語の筆記試験を受けたことは、模試でしか無いので、それほど胸を張れませんが…)
これについて、私の大学受験も含めて、お話したいと思います。
私は、高校3年生まで、自分は国語が苦手で、どうやっても点数なんて取れない、センター試験なんて知りませんよ、という感じでした。
(中学でも良い点数を取ったことはありませんでしたしね…思い込みですね。その度に、親に小説を読めと言われたもんです。)
その結果、高校3年生で受けた、センター試験では80点代でした。(国語は200点満点、現文100点、古文50点、漢文50点)
古文、漢文に至っては、勉強をした記憶が無いので、感で埋めました。それでも現文とドッコイドッコイな点数だったはず…(笑)
こんなにひどい点数を取っても、気にせず私立受験し、浪人することになりました。
そして、浪人したんだし、真面目に勉強してみるかと思いました。(4月までは私立一本と迷ったのですが、3月末から4月中旬にかけて、国語の勉強の仕方・正答とはどういうことかが分かったのです!)
そこから私が思ったことは、『「本を読んだこと」が必ず国語力に直結するとは言えない!』
国語の、特に現文では、「書いてある事から正しいことを導け」と言うのが問題だったのです。
私は、この時までそんな事知りませんでした。
それまでの私は「想像できうることで、最も(自分の感性に)合っていること、または正しいと連想できそうなこと」を選んでいました。(そりゃ当たるわけない)
こうだったらいいのにではないですが、こうあるべきだろうとか思うことはよくありますよね、それを試験に持ち込んでいた。「勝手に想像していた」
これがダメな点です。数学ならそれを確かめる術があるので良いですが、国語は想像に間違いとかはありません、それは主観であり、正しいのですから。
国語では、客観的に読めるかどうかが鍛えられてたわけですね。
そんなこと「知っているのが普通だろ」と思う人も多いかも知れませんが、以外に少ないのでは無いでしょうかね…。
理系の子なら、ちゃんとこれを教えてあげれば、「論理力」から比較的簡単に国語の点数も伸びると思います。
これで、私は浪人してからの夏には、120点をウロウロして、秋から冬にかけて140点近辺、本番では、165点とかだったと思います。
センター試験の国語では、時間が足りないと言うことは、あまり起こらないので(少なくとも数学ⅡBのような)、十分に論理性を試される良い試験だと思います。
(古文・漢文は、ちょっと記憶と反応の速さを求められると思いますが…)
そして、この国語、「直感で解ける」というのを良く聞いたりします。
この直感で解ける人たちが、危ない子たちだと私は思っています。
彼ら/彼女らは、論理力どうこうではなく、「与えられたことからのみ思考できる」状態なのではないかと思うのです。(ちょっと極端ですが…)
つまり、何かを想像したりすることをしない、あらゆることを想定しないで、今あるものを信じる。
何かが異変が起こっても、それが変だと思わない、気づかない。
マンガ脳だとか、言うつもりはありませんが、ライトノベルや(携帯)小説にはそういうものが多い…と感じます。
空想の世界なのだからと言いますが、昔の小説は、ある程度決められている世界観があってその範疇に収まっているように感じます。坊ちゃん、羅生門など、不思議なことはあっても、それが綺麗に収まっているように思えます。
---
国語力、論理力をちゃんと鍛えるための授業、定期試験を考えるべきですね。
今の高校・中学では、暗記試験になってしまっています。
和歌を覚えたり、活用を覚えることに意味が無いとまでは言いません。
しかし、その先に何か(活用なら、それを使った品詞分解も見据えるとか、やらせるとか)を置かないと、このままでは、ただの暗記科目であって、理系から煙たがられる科目になるでしょう。
これが三宅先生の仰ったことと私の思ったことの似たところでしょうか。
三宅先生が、私のようなことを思って、そう言ったのかどうかは定かではありません。
次回確かめてきます。
それでは!また、後日近況報告致します!
2012年3月1日木曜日
数学力の低下について
これは、かなり頻繁に聞く文句だと感じていますし、実際そう思うことも多々あります。
いやはや、お恥ずかしい話ですが、私も大学の試験勉強において、多少の論理をすっ飛ばして学んだことも多いです。
そして、私の大学は偏差値で言えば、ちょうど真ん中ぐらいに位置する私立大学です。
周りを貶すわけではないのですが、大学教養レベルの線形代数・微積分学でさえ、計算はできても意味を全く理解していない人がとても多いです。
例えば、学部2年生の時にあったやり取りを紹介します。
Aくん「この重積分って正の値になるよね?」
私「(被積分関数が積分区間で常に正だから)そうだね。体積求めてるのと一緒だしね。」
Aくん「分かった。」
(試験後)
Aくん「あの重積分の値がどうしても正にならなかったんだけど??」
私「あれは負の値になるよ。(被積分関数イメージしたら当たり前だろ…)」
Aくん「は?重積分は正になるって言ったじゃん!!」
私「???」
てなんてことがありました。他にも、全微分の意味を知らない、テイラー展開の意味が分からない…。
数学科でさえ、使う公式・利用する道具を意味も分からずに使っている人はたくさん居ます。
彼ら(私も含まれますが)にとって、「論理的に理解をする」ことよりも「単位を取る」ことの方が重要なのです。
しかも、このように論理的に理解をしていなくても、「計算さえ出来れば」優秀な成績が付くこともあります。
そのような状況にあるのだから、ほとんどの大学生は「まともな勉強」をしようとは思いません。
つまり、私が言いたいのは、数学力の低下を嘆くのは良いですが、どこかで壁になるものがあるべきでしょう。
その壁が大学にさえないのに、高校・中学校で、どうやって壁を作るのでしょうか。
まずは、中学校を変えて、高校が変わって、大学が最後に変わることを望んでいるのでしょうか。
それが出来るのなら良いですが…。
私がここ1,2年で感じてきたことですが、高校生は悲惨な状況の人が大半。中学生は、2極化が激しい。(出来る出来ない、ではなく、考えている考えていないのレベルで)
数学力と言うよりも、論理的思考力と自立心がかなり低下していると感じます。
数学をマニュアル化して教えている教師や講師が多いからでしょう、理解しようとしている生徒が少ない。(数学に限りませんが…)
いやはや、彼らが成人して働くことを考えれば、他人ごとではなくなるはずです。
自分の子どもたちが、その人達の影響を受けることにもなりますからね…。
この1,2年は、私も生徒を選んでではありましたが、これ以上の学力低下が無いように、「自分で考えること」を、「何が足りていないのか意識させること」を重視してきたつもりです。
それが合わずに、衝突してしまった生徒も何人か居ましたが、負けてはいけないと思っています。
私が正しいとか、そういう風には思っていませんが、正しくないことは正しくないと伝えていこうと思います。そこから何を考え、自分で答えを出すか見守るのが仕事だと思っています。
と、なんか少し逸れて、偉そうなことを書き始めたので、ここらで終わりたいと思います。
先日、ニュースにも取り上げられました、「大学生の数学力の低下」について書いてみたいと思います。
ニュース記事に書かれていた内容は、少し大袈裟(偏った?)になっているので、元の判断材料となった、日本数学会のページを参考にしつつ、塾講師をしていた立場から見る現役生の状況も考えてみたいと思います。
まずは、日本数学会の『「大学生数学基本調査」に基づく数学教育への提言』を読んでみてください。
細かい内容は、添付文書を読むと分かります。
さて、私は現在大学生であるので、この基本調査に至る経緯における数学の学力低下に当たる世代です。(幅広いですけど…)
経緯にある、心配されていること
(1)読解・表現など国語力 (2) 抽象的・論理的思考力 (3)知識に対する意欲や忍耐力といった、ごく基本的な能力が学生の間で低下しつつある
論理的文章を理解する力、論理を組み立て表現する力が学生から失われつつある
これは、かなり頻繁に聞く文句だと感じていますし、実際そう思うことも多々あります。
いやはや、お恥ずかしい話ですが、私も大学の試験勉強において、多少の論理をすっ飛ばして学んだことも多いです。
そして、私の大学は偏差値で言えば、ちょうど真ん中ぐらいに位置する私立大学です。
周りを貶すわけではないのですが、大学教養レベルの線形代数・微積分学でさえ、計算はできても意味を全く理解していない人がとても多いです。
例えば、学部2年生の時にあったやり取りを紹介します。
Aくん「この重積分って正の値になるよね?」
私「(被積分関数が積分区間で常に正だから)そうだね。体積求めてるのと一緒だしね。」
Aくん「分かった。」
(試験後)
Aくん「あの重積分の値がどうしても正にならなかったんだけど??」
私「あれは負の値になるよ。(被積分関数イメージしたら当たり前だろ…)」
Aくん「は?重積分は正になるって言ったじゃん!!」
私「???」
てなんてことがありました。他にも、全微分の意味を知らない、テイラー展開の意味が分からない…。
数学科でさえ、使う公式・利用する道具を意味も分からずに使っている人はたくさん居ます。
彼ら(私も含まれますが)にとって、「論理的に理解をする」ことよりも「単位を取る」ことの方が重要なのです。
しかも、このように論理的に理解をしていなくても、「計算さえ出来れば」優秀な成績が付くこともあります。
そのような状況にあるのだから、ほとんどの大学生は「まともな勉強」をしようとは思いません。
つまり、私が言いたいのは、数学力の低下を嘆くのは良いですが、どこかで壁になるものがあるべきでしょう。
その壁が大学にさえないのに、高校・中学校で、どうやって壁を作るのでしょうか。
まずは、中学校を変えて、高校が変わって、大学が最後に変わることを望んでいるのでしょうか。
それが出来るのなら良いですが…。
私がここ1,2年で感じてきたことですが、高校生は悲惨な状況の人が大半。中学生は、2極化が激しい。(出来る出来ない、ではなく、考えている考えていないのレベルで)
数学力と言うよりも、論理的思考力と自立心がかなり低下していると感じます。
数学をマニュアル化して教えている教師や講師が多いからでしょう、理解しようとしている生徒が少ない。(数学に限りませんが…)
いやはや、彼らが成人して働くことを考えれば、他人ごとではなくなるはずです。
自分の子どもたちが、その人達の影響を受けることにもなりますからね…。
この1,2年は、私も生徒を選んでではありましたが、これ以上の学力低下が無いように、「自分で考えること」を、「何が足りていないのか意識させること」を重視してきたつもりです。
それが合わずに、衝突してしまった生徒も何人か居ましたが、負けてはいけないと思っています。
私が正しいとか、そういう風には思っていませんが、正しくないことは正しくないと伝えていこうと思います。そこから何を考え、自分で答えを出すか見守るのが仕事だと思っています。
と、なんか少し逸れて、偉そうなことを書き始めたので、ここらで終わりたいと思います。
2011年12月26日月曜日
あれからそれから(12/1)
12月の初めに書いたことをどれくらい出来たでしょうか。
読了
のみが目標達成です。
また、「ルベーグ積分」の知識不足分を、伊藤清三先生『ルベーグ積分入門』で補うことにしました。
そして、それを決めてから「ベクトル解析」を一旦置いておくことにしました。
私には、「ベクトル解析」と「ルベーグ積分」を同時進行していくことは難しかったです。
後は、ゼミで相変わらずのE.C Titchmarsh先生の『The Theory of Function』を継続しています。
「位相」に関しては、やらなきゃなーと思いながら放置…。知識が不安定な部分なので、さっさと埋めないといけないのですが…。
ところで、話は変わりまして実家に少し帰り進路のことが決定しました。
自分に一層落とし込めるような状況になりました。それはそれで両親には感謝したい。
これからは、自分自身と言うものをさらに見つめていこうと思います。
そして、今年度で東京を離れます。なので、明倫館などの神田古本屋街とも縁遠くなってしまいます。
今まで読んで、これからも使うだろうと思った本や、これから読んで勉強すべきだと思った本をお金の許す限り購入しました。
(E.C Titchmarsh先生の『The Theory of The Riemann Zeta-Function』は、大学院入ったら買いたい…)
後足りないものは、数学をちゃんと勉強することですね。がんばります。
(未だに、ベクトル解析の知識補充はどうしようかと…。30講シリーズ読んでから決めようかな…って感じです。)
年末は、帰ることができなくなったので(仕事の影響(愚痴として付記しときます(苦笑)))数学して、1月1日は、浅草寺・湯島天神と散歩がてら行きます。
1月2日は宮内庁の一般参賀に行きます。
それ以外は、ダイエットと数学をがんばろう。
では!
付記:仕事関係
さてはて、この仕事と言うのが厄介でして、上は私達に当然のこと以上を求めるのに、本人達は、私たちの「当然」を無視します。
この影響がスケジュールにも出てくるので、非常に迷惑。
私たち講師や、通塾している生徒の冬休みの日程を12月の頭(5日付近)には出せと言われ、どうにか出します。
その後、実際に来てもらう日程を塾側が生徒や私達に連絡をしてくるのですが、その日程が遅い。12月下旬(20日以降)になってようやく出る。
そして、私達講師は、その期間中「もし」授業を受け持つことになるならば、教室に行ける範囲にいなければなりません。
すると、帰省の日程など本当に「数日」にならざるを得ない。
そのせいで、私は22日に東京に帰ってきたのだが、実際25日に連絡が来て年内は授業を受け持つ必要はなく、年明けからお願いしますとのこと。
いやはや…。まぁもう4年続けましたし、今更ですが、このような状態が「普通」なのがおかしい。
塾業界は、それぞれの信頼関係よりも、「人数確保」に必死なんです。
そこで、「良い教育」と言うのは遠くあるものです。
実際、「良い教育」をしようとした塾は、いくつかあるそうですが、長続きしませんね。やはり「経営」と言うものがあると、「教育」はどこかを棄てないといけないのでしょうね…。
それをこの4年間で学んだと思い、次に生かしていけるようにしたいです。
生徒には、罪がないので、私はいつでも本気でぶつかっていきます。
12月の初めに書いたことをどれくらい出来たでしょうか。
読了
- 志賀浩二先生『群論への30講』
- 志賀浩二先生『ルベーグ積分30講』
のみが目標達成です。
また、「ルベーグ積分」の知識不足分を、伊藤清三先生『ルベーグ積分入門』で補うことにしました。
そして、それを決めてから「ベクトル解析」を一旦置いておくことにしました。
私には、「ベクトル解析」と「ルベーグ積分」を同時進行していくことは難しかったです。
後は、ゼミで相変わらずのE.C Titchmarsh先生の『The Theory of Function』を継続しています。
「位相」に関しては、やらなきゃなーと思いながら放置…。知識が不安定な部分なので、さっさと埋めないといけないのですが…。
ところで、話は変わりまして実家に少し帰り進路のことが決定しました。
自分に一層落とし込めるような状況になりました。それはそれで両親には感謝したい。
これからは、自分自身と言うものをさらに見つめていこうと思います。
そして、今年度で東京を離れます。なので、明倫館などの神田古本屋街とも縁遠くなってしまいます。
今まで読んで、これからも使うだろうと思った本や、これから読んで勉強すべきだと思った本をお金の許す限り購入しました。
- G.H.Hardy先生『Pure Mathematics』
- Ahlfors先生『Complex Analysis』
- E.C Titchmarsh先生『The Theory of Function』
- 竜沢周雄先生『関数論』
- 田中尚夫先生『選択公理と数学』
- 松坂和夫先生『代数系入門』
- 松坂和夫先生『集合・位相入門』
- 伊藤清三先生『ルベーグ積分入門』
(E.C Titchmarsh先生の『The Theory of The Riemann Zeta-Function』は、大学院入ったら買いたい…)
後足りないものは、数学をちゃんと勉強することですね。がんばります。
(未だに、ベクトル解析の知識補充はどうしようかと…。30講シリーズ読んでから決めようかな…って感じです。)
年末は、帰ることができなくなったので(仕事の影響(愚痴として付記しときます(苦笑)))数学して、1月1日は、浅草寺・湯島天神と散歩がてら行きます。
1月2日は宮内庁の一般参賀に行きます。
それ以外は、ダイエットと数学をがんばろう。
では!
付記:仕事関係
さてはて、この仕事と言うのが厄介でして、上は私達に当然のこと以上を求めるのに、本人達は、私たちの「当然」を無視します。
この影響がスケジュールにも出てくるので、非常に迷惑。
私たち講師や、通塾している生徒の冬休みの日程を12月の頭(5日付近)には出せと言われ、どうにか出します。
その後、実際に来てもらう日程を塾側が生徒や私達に連絡をしてくるのですが、その日程が遅い。12月下旬(20日以降)になってようやく出る。
そして、私達講師は、その期間中「もし」授業を受け持つことになるならば、教室に行ける範囲にいなければなりません。
すると、帰省の日程など本当に「数日」にならざるを得ない。
そのせいで、私は22日に東京に帰ってきたのだが、実際25日に連絡が来て年内は授業を受け持つ必要はなく、年明けからお願いしますとのこと。
いやはや…。まぁもう4年続けましたし、今更ですが、このような状態が「普通」なのがおかしい。
塾業界は、それぞれの信頼関係よりも、「人数確保」に必死なんです。
そこで、「良い教育」と言うのは遠くあるものです。
実際、「良い教育」をしようとした塾は、いくつかあるそうですが、長続きしませんね。やはり「経営」と言うものがあると、「教育」はどこかを棄てないといけないのでしょうね…。
それをこの4年間で学んだと思い、次に生かしていけるようにしたいです。
生徒には、罪がないので、私はいつでも本気でぶつかっていきます。
2011年10月28日金曜日
大学院、来年度から修士論文不要に 試験などで審査
文部科学省は26日、大学院で修士論文を作成しなくても修士号を取得できるよう省令を改正する方針を決めた。博士号取得を目指す大学院生が主な対象で、論文の代わりに専攻だけでなく関連分野も含めた幅広い知識を問う筆記試験などを課す。大学院の早い段階から専門分野に閉じこもるのを防ぎ、広い視野を持つ人材を育てる狙い。来年度から適用する。
詳しく記事は、以下のURLから記事を見てください。
まだ、これが決定と言うわけではなく、一応は国民の声を聞いてから結果を出すと言うことですね。
結果がどうなるかは分かりませんが、もしそうなるのであれば、私はとても心配です。
なぜかと言うと、この「試験」というものが、形だけのものになることが容易に予想されるからです。
それは、現在の大学院入試、大学入試を見れば、そう思わざるをえない。
私は数学科ですので、大学院入試も数学科に限ったことしか分かりませんが、大学院入試も東大・京大以外は、それほど突破が難しくはなく、推薦と呼ばれる入試も多く存在します。
その専門性や、基礎力にも大きな差があるのが現状だと思います。
その中でも、大学院生として大丈夫なのか、と疑問視されるような学生も多く存在します。
(もちろん私もそのうちの一人です。)
これは、そもそも大学というところの存在が、勉強をするところと言う認識から、就職予備校のようなものになっていることが問題です。
大学とは、教育機関の最高学府であるにも関わらず、勉強をしない人が多い。
また、座学だけが勉強じゃないと言い、それ以外の活動に精を出す人も居ます。
もちろん、座学だけが勉強ではありませんが、それは座学をある程度こなした上で行うものです。
そのある程度の基準があまりにも低い人や、それを気にしない人たち。
それが大半を占めているのが、今の大学です。
さて、そのような大学の形を変えずに、大学院だけが変わるのでしょうか。
さらに言えば、この曖昧な「試験」と言う基準をで、学位取得ができてしまうシステムを作ることは、この大学の状況が大学院にシフトすると、私は思います。
例として、私の場合を取り上げてみたいと思っています。
私は、自分自身が大学院に進学出来るような、優秀な学生ではないことを感じています。
それは、学部4年になってからのゼミや、勉強をすることで感じてきました。
大学院入試は、一つの挑戦でした。
ただ、大学院入試は傾向があるので、その対策が可能です。
ゆえに、基礎力が本当にあるのかどうかは分かりません。
私自身は、まだまだ足りていないと思っています。
そのために毎日、勉強をしているのです。
教育者になりたいこともあるので、教育的活動にも興味があります。
なので、週1日(土曜日)は、その活動に当てています。もちろん日中全てではありません。
それほどの活動でも、色々と得るものはあります。
さて、これよりももっと知識が足りない人がいるのも事実ですし、それで勉強もせず、他の活動に精を出す人も居ます。
そんな人達が多い今の大学です。その大学を変えず、どう大学院を変えるのでしょうか。
これ以上、日本の教育の質・力を落とさないためには、このような学生が減るために、もっと厳しいものにすべきでしょう。
大学院の博士課程進学という、先の部分ではなく、その前を修正出来るような形を、動きを…。
お願いします。
---
私も人の心配をしている場合ではないのです。私自身がそうならないように、自分がすべきことをします。
でも、横目に見てしまう、見えてしまいますよ…。
2011年7月8日金曜日
『超難問入試の「挑戦枠」、大阪大が理学部に』
掲載元:読売新聞
この記事について、私なりに考えてみたことと、mixiなどでの個人の反応について少し考えてみようと思います。
これを見たとき初めに思ったのは、「東工大AO入試の二番煎じ…?」
けど、実際に読んで見ると、一発勝負というわけでもないので、東工大AOとは微妙に違っているみたいですね。
しかし、東工大AOは2012年度から廃止されるようになりましたよね。その理由には、数学だけが出来ても留年してしまう学生が多かったとか、その入試問題作成・採点の労力に見合わなかったとか。また、数学上位者でも、大体は東大・京大へ入学することを考えている人が多いなど…。評判があまりよくなかったみたいです。
さて、その状態と同じことがこれでも起こりそうですよね…。
けれども、ある一定の基準(センター試験)があるだろうから、そこまで問題にならないのかも知れませんね。
とりあえず問題のレベルと合格ラインによるでしょう。難問でも、最低何人を取るとかなら主旨がズレてるから辞めたほうがいいと思いますけど…。
それでは、mixiなどに見たみなさんの反応をちょっと箇条書きにしてみてみましょう。
・人間が作った問題だから、答えが決まっている奇問なだけ。
・与えられた問題を解く能力ではなくて問題を発見する能力が求められている。
・知識馬鹿頭でっかち養成所。
・これって塾に行ってないような人は圧倒的に不利だよね!
・初めから解答のない問題を出してほしい
などなど。
みなさん、研究者を意識してか、望んでることが物凄い高いと思いますが…。
昔みたいに、大学に入る前から専門書を読み嗜んでる人なんてほんの一部なんじゃないでしょうかね。
後「大学」に勉強をすると言う意識で来ていない人が多いのも事実。
それを考えると、確かに言ってることは全部あたってる気がしますねー。
「大学のカリキュラム」や、日本の教育を変えない限り、日本の研究者は本当に少なくなるんじゃないでしょうかね。
学費をもっと安くしてくれってのが、願いですけどね…。海外の大学院に目移りしてしまう…。
まぁいずれにせよ、出題される問題を見ない限りは、あまり語れませんね。2013年度入試を待ちましょう。
なんか中途半端に終ってしまいますが、また将来これを見直すことにしましょう。
大阪大は7日、2013年度入試の2次試験(前期日程)で、通常の試験科目に加えて難易度の高い数学・理科の試験を課する「挑戦枠」を理学部に設けると発表した。
与えられた知識の吸収だけで満足せず、自分なりに粘り強く考えて学問に取り組める理数系学生の獲得が狙いという。
挑戦枠は、理学部の定員255人のうち、3学科と1コースで計37人以内。1日目は一般枠と同様に数学や理科、外国語を受験し、2日目に数学科志望者は専門数学、物理学科は専門理科の物理、化学科は専門理科の化学、生物科学科生命理学コースは物理か化学のどちらかに取り組む。
「チャレンジ精神」に応えるため、挑戦枠で合格しなかった場合は救済措置として、一般枠の科目の得点で改めて合否判定される。
掲載元:読売新聞
この記事について、私なりに考えてみたことと、mixiなどでの個人の反応について少し考えてみようと思います。
これを見たとき初めに思ったのは、「東工大AO入試の二番煎じ…?」
けど、実際に読んで見ると、一発勝負というわけでもないので、東工大AOとは微妙に違っているみたいですね。
しかし、東工大AOは2012年度から廃止されるようになりましたよね。その理由には、数学だけが出来ても留年してしまう学生が多かったとか、その入試問題作成・採点の労力に見合わなかったとか。また、数学上位者でも、大体は東大・京大へ入学することを考えている人が多いなど…。評判があまりよくなかったみたいです。
さて、その状態と同じことがこれでも起こりそうですよね…。
けれども、ある一定の基準(センター試験)があるだろうから、そこまで問題にならないのかも知れませんね。
とりあえず問題のレベルと合格ラインによるでしょう。難問でも、最低何人を取るとかなら主旨がズレてるから辞めたほうがいいと思いますけど…。
それでは、mixiなどに見たみなさんの反応をちょっと箇条書きにしてみてみましょう。
・人間が作った問題だから、答えが決まっている奇問なだけ。
・与えられた問題を解く能力ではなくて問題を発見する能力が求められている。
・知識馬鹿頭でっかち養成所。
・これって塾に行ってないような人は圧倒的に不利だよね!
・初めから解答のない問題を出してほしい
などなど。
みなさん、研究者を意識してか、望んでることが物凄い高いと思いますが…。
昔みたいに、大学に入る前から専門書を読み嗜んでる人なんてほんの一部なんじゃないでしょうかね。
後「大学」に勉強をすると言う意識で来ていない人が多いのも事実。
それを考えると、確かに言ってることは全部あたってる気がしますねー。
「大学のカリキュラム」や、日本の教育を変えない限り、日本の研究者は本当に少なくなるんじゃないでしょうかね。
学費をもっと安くしてくれってのが、願いですけどね…。海外の大学院に目移りしてしまう…。
まぁいずれにせよ、出題される問題を見ない限りは、あまり語れませんね。2013年度入試を待ちましょう。
なんか中途半端に終ってしまいますが、また将来これを見直すことにしましょう。
2011年6月21日火曜日
教科指導について
数学を教えることの難しさは、もう塾講師も4年目になるがいつも思う。
特に、私自身も教え方を変えて、生徒の様子・反応を観察している。
最近塾で若手のホープとされる先生が模擬授業を行ったのだが、その授業を例に少し考えてみたいと思う。
その授業では、二次関数の最大・最小を求める問題について行った。
黒板に、「大原則」と称して
1.平方完成をする
2.
の係数を見てグラフを書く
3.定義域と軸の関係を見る
などと書いてから、例を扱い演習を行っていく授業であった。
このように、私は「何かを求めるための一連の動作」を明確に日本語として書くことがあまり好きではない。
マニュアル化している感じがして、ちっとも数学らしさを感じ無いのもある。
もちろん、実際に求めようとすると上と同じようなことを辿るのだが…。
そして、好きではないが、私はこのようなマニュアル化した授業を行ったことは、もちろんある。
二次関数に限らず、群数列などの問題でも、その問題の聞かれていることに対して1つずつどう求めるかを丁寧に、原則とは書かなかったがマニュアル化みたいなことはした。
自分でやっていて、どうなんだろうと思いつつやったが、生徒からの受け・反応は良かった。
「こうやれば求まる」というのが、見えるからだ。
けれど、待って欲しい。それなら教科書にそのまま書いている。少し小難しく書いていたりはするのだが、教科書にもほぼ同じようなことを書いている。
いい例としては、数学的帰納法なんて、本当にそのままに書いている。
しかし、あの書かれた内容だけで、数学的帰納法が扱えるようになる人は、ほとんど皆無だろう。
そこからも、私は思うのだけど、そういうマニュアル化は、一時的に数学への理解へ近づいたように思える・錯覚するのだが、1つ1つの操作で何をしているのかがちゃんとリンクしているのかが分かっていなければ、数学の能力が備わっているようには思えない。
そのようなマニュアル化は、私はしない方が良いと思っている。したいのなら、生徒が勝手にやるべきで、先生がマニュアル化したものを教えることによる弊害は大きいと思える。また、数学と言うものを誤解してしまう気がしてならない。
1つ1つの操作を感じ、自分の血・肉にするために自分で演習問題を解く。1問,2問解いただけで、その単元を自分のものにしたと言える人はなかなか居ないだろう。
何度も解いて、間違えたりすることで、やっと自分のものになる。
あってるか、あってないかを不安になりながら解いても、得られるものは少ない。
1つずつの操作が、こうだと認識していくためには、間違えることも大切なのだ。
その間違えることを意識的に避けようとしているのが、マニュアル化であるような気がする。
もちろん、ケースバイケースであって、このようなマニュアル化をした方がいい場面ももちろんあるだろう。
例えば、ある関数または曲線の漸近線を求める操作(一次近似)は、教えることがなかなかに難しい。
どういう操作をすれば、漸近線が求まるというマニュアルを教えることはできるが、それをしっかりと説明するのは、直感的なものしかない。
マニュアル化で、一番激しく出来るのは、三角比の正弦定理・余弦定理だろう。
どの辺と各の関係が分かっていれば…とすると、何通りかをマニュアル化して書くことはもちろん出来る。
けれども、そんなことをして意味はあるのだろうか。
また、しばらくは、教科指導について考えていこうと思う。
数学を教えることの難しさは、もう塾講師も4年目になるがいつも思う。
特に、私自身も教え方を変えて、生徒の様子・反応を観察している。
最近塾で若手のホープとされる先生が模擬授業を行ったのだが、その授業を例に少し考えてみたいと思う。
その授業では、二次関数の最大・最小を求める問題について行った。
黒板に、「大原則」と称して
1.平方完成をする
2.
3.定義域と軸の関係を見る
などと書いてから、例を扱い演習を行っていく授業であった。
このように、私は「何かを求めるための一連の動作」を明確に日本語として書くことがあまり好きではない。
マニュアル化している感じがして、ちっとも数学らしさを感じ無いのもある。
もちろん、実際に求めようとすると上と同じようなことを辿るのだが…。
そして、好きではないが、私はこのようなマニュアル化した授業を行ったことは、もちろんある。
二次関数に限らず、群数列などの問題でも、その問題の聞かれていることに対して1つずつどう求めるかを丁寧に、原則とは書かなかったがマニュアル化みたいなことはした。
自分でやっていて、どうなんだろうと思いつつやったが、生徒からの受け・反応は良かった。
「こうやれば求まる」というのが、見えるからだ。
けれど、待って欲しい。それなら教科書にそのまま書いている。少し小難しく書いていたりはするのだが、教科書にもほぼ同じようなことを書いている。
いい例としては、数学的帰納法なんて、本当にそのままに書いている。
しかし、あの書かれた内容だけで、数学的帰納法が扱えるようになる人は、ほとんど皆無だろう。
そこからも、私は思うのだけど、そういうマニュアル化は、一時的に数学への理解へ近づいたように思える・錯覚するのだが、1つ1つの操作で何をしているのかがちゃんとリンクしているのかが分かっていなければ、数学の能力が備わっているようには思えない。
そのようなマニュアル化は、私はしない方が良いと思っている。したいのなら、生徒が勝手にやるべきで、先生がマニュアル化したものを教えることによる弊害は大きいと思える。また、数学と言うものを誤解してしまう気がしてならない。
1つ1つの操作を感じ、自分の血・肉にするために自分で演習問題を解く。1問,2問解いただけで、その単元を自分のものにしたと言える人はなかなか居ないだろう。
何度も解いて、間違えたりすることで、やっと自分のものになる。
あってるか、あってないかを不安になりながら解いても、得られるものは少ない。
1つずつの操作が、こうだと認識していくためには、間違えることも大切なのだ。
その間違えることを意識的に避けようとしているのが、マニュアル化であるような気がする。
もちろん、ケースバイケースであって、このようなマニュアル化をした方がいい場面ももちろんあるだろう。
例えば、ある関数または曲線の漸近線を求める操作(一次近似)は、教えることがなかなかに難しい。
どういう操作をすれば、漸近線が求まるというマニュアルを教えることはできるが、それをしっかりと説明するのは、直感的なものしかない。
マニュアル化で、一番激しく出来るのは、三角比の正弦定理・余弦定理だろう。
どの辺と各の関係が分かっていれば…とすると、何通りかをマニュアル化して書くことはもちろん出来る。
けれども、そんなことをして意味はあるのだろうか。
また、しばらくは、教科指導について考えていこうと思う。
2011年6月1日水曜日
教育実習
先日、教育実習が終わりました。なので、今回学んだことなどをまとめてみようと思います。
これから教育実習に行かれる人の参考にもなれば良いなと思いますが、自分の為に書いているので、多少分かりづらいかも知れません。
まず、今回私は中学校へ3週間教育実習に行きました。
2週目に、運動会があると言う事で、1週目・2週目のほとんどが運動会練習などになり、あまり教育実習と言う感じでは無くなった部分はありました。
学年は、2年生を担当し、数学の授業は、1年生・2年生で行いました。
教科指導と生徒指導について、まずは書きたいと思います。(生徒指導は、教科指導にももちろん含まれてますが、主にということで、別けてみたいと思います。)
・教科指導について
私は、今年で塾講師4年目であり、そこそこ授業には自信がありました。と言っても、高校生を教えることが多いので、中学校の教材研究など課題は、少しあるかなと感じていました。
しかし、実際授業を何度かしてみると、塾と中学校のクラスでは、やはり勝手がかなり違いました。
塾へは、「勉強をする」意識が多少なりともある人が通っているから、注意をすれば、大抵は落ち着いて聞きます。
しかし、公立中学校では、それが通用しないことも多いです。また、機嫌や疲れを先生側も感じ取り、それに合った授業展開をする必要性がありました。
無理に起こして、逆撫でてしまい、授業妨害や酷ければ学級崩壊にもなるだろうことが分かりました。
また、授業に関係ないであることも少しは、拾ってあげたほうが親しみやすいのかも知れません。
この単元・授業中に、一番大切なところは何なのかをハッキリと、意識させることも必要だと思います。
数学に関して、私たち数学科は、ほとんどが大切な部分ばかりで、教科書にあることで分からないことなど無くして行くほうが良いと考えることが多いですが、生徒はそれが分かりません。
なので、例えば、文字式を利用して証明問題を解くなどのことで、重要だと教えるのは、文字を利用するという点で、証明をさせるのは、普通の公立中学校には難しすぎるということ。それを理解して、生徒に伝えなければ、生徒はただやらされているだけで、何が重要なのかが分かりません。
それをしっかりとした話の抑揚や、注目をさせて認識させることが重要だと感じました。
私も最後は、それが出来るようになりました。
また、これは実習後の報告会(研究室)での教授が仰ったことから、私が感じたことですが、中学校の知識は、もちろん小学校の知識が必要です。小学校でどのように教えているのか、その教材研究はしなければいけないだろうことが分かりました。
教科指導に関しては、教具などを使用し、復習時間を短縮したりする方が良いと思います。
復習自体に20分もかけてしまうと、本題が薄れてしまうこともありますので。
研究授業に関しては、一応合格点は貰えましたが、公立中学校に対しての授業としては、盛り込み過ぎているなど、効率中学校の現状を知っていないことが分かりました。
ちなみに、私は2週目から教壇に立ち、多いときは一日4時限、平均2時限授業をさせて頂きました。(2週目は、運動会練習でそれぞれ半分ぐらいですが…)
・生徒指導について
先述した通り、私は塾の高校生に慣れすぎて居て、ある程度フレンドリーに接すことを心がけようとしました。
それが今回の件では、完全な失敗でした。私と生徒の距離がとても近くなりすぎて、「先生」と呼ばれずに居ました。
3日目ぐらいから、これでは不味いと思っていたのですが、1週目は忙しさもあり、なかなか変えることが出来ませんでした。
私自身、その方が楽で、楽しくも感じていた部分がありました。
2週目から、生徒への対応を変えて、しっかりと先生と見られるようにしなければと思いました。それは、2週目からショートホームルームを任されるようになったからというのもありました。
自分なりに考え、色々こなしてみましたが、なかなか上手くいかず、最後には、少し力づくで制止したりして、言う事を聞かせようとしてしまいました。
その時になって、自分の指導力の無さを感じ、ホーム主任に相談に行きました。
ホーム主任にも、あなたは1週目はフレンドリー過ぎていて、2週目から試行錯誤しているのは見て取れたと言われたときに、ホーム主任にも見抜かれているんだから、相当な失敗をしてしまったと思いました。
また、自分だけでどうしようも出来なかったことから悔しくて、少し泣いてしまいました。
ホーム主任からアドバイスを頂き、その後の2週目、3週目はどうにか持ち直していきました。
最後まで、「先生」と読んでくれない生徒も居ましたが、それは自分自身のせいです。
私は、中学生という多感な時期(特に2年生なんて、一番多感であり、思春期だと思う)の生徒への最初の対応が間違いでした。それが今回一番の収穫だとも思えます。
こんなことを言うのもなんですが、同じ実習生は、最後まで「○○ちゃん」と呼ばれていて、その実習生自体もそれを心地良く思っていたみたいですが。
やはり、「先生」であるという自覚を持ち、それを常に意識することの大切さ・大変さを痛感しました。
高校生では、少ないかも知れませんが、同じようなことはあるかも知れません。
また、数学の先生を目の敵にしている生徒も居ます。多感な時期だからなのかも知れませんし、それはちょっと今回分かりませんでした。目の敵にしている生徒は、「女子」しか居なかったように感じるので、それは個人の性格の問題なのかも知れません。
私も、心では傷つき、心が折れそうになることも何度かありましたが…。
また、部活動についてですが、私は体型の割に運動・スポーツは得意です。(自分で言うのも何ですが…)
なので、色んな部活動に参加してきました。
もちろん見るだけのもありましたが、卓球やサッカーは、自分も中に入ってプレイしてきました。
特に私がオススメするのは、団体競技のサッカーなどですね。
生徒と一緒に汗を流し、必死に頑張る。生徒も近づいてくれますし、生徒自信も先生が一緒にプレイすると楽しいみたいで、来て下さいと頼まれることが多かったです。
ただ、私は運動をしばらくしてなかったので、体がボロボロになりましたが。日誌なんて、部活動後に書けば良いと思います。
日誌に必死で、部活動に参加しない・遅れて参加するなんて、生徒が可哀想ですよ。
色々と通して分かったのは、先生たちの大変さ、中学生の力、多感な時期での接し方、先生と言う立場について、再考させられたと思います。
高校の実習に行っていない私が言うのもなんですが、本当に教員になりたい人は、中学校に行くことをオススメします。
1年生、2年生、3年生がそれぞれ色が全く異なります。それぞれへの対応の難しさと楽しさを感じることが出来ると思います。
また、真剣に・真面目に教育実習をすれば、色々と悩むのが普通だとも思います。そういう時は、同じ実習生と話をしましょう。
辛かったけど、楽しかったです。ありがとうございました。
P.S 担当のクラスからは、最終日に全員が手紙を書いてくれました。嬉しかったです。
先日、教育実習が終わりました。なので、今回学んだことなどをまとめてみようと思います。
これから教育実習に行かれる人の参考にもなれば良いなと思いますが、自分の為に書いているので、多少分かりづらいかも知れません。
まず、今回私は中学校へ3週間教育実習に行きました。
2週目に、運動会があると言う事で、1週目・2週目のほとんどが運動会練習などになり、あまり教育実習と言う感じでは無くなった部分はありました。
学年は、2年生を担当し、数学の授業は、1年生・2年生で行いました。
教科指導と生徒指導について、まずは書きたいと思います。(生徒指導は、教科指導にももちろん含まれてますが、主にということで、別けてみたいと思います。)
・教科指導について
私は、今年で塾講師4年目であり、そこそこ授業には自信がありました。と言っても、高校生を教えることが多いので、中学校の教材研究など課題は、少しあるかなと感じていました。
しかし、実際授業を何度かしてみると、塾と中学校のクラスでは、やはり勝手がかなり違いました。
塾へは、「勉強をする」意識が多少なりともある人が通っているから、注意をすれば、大抵は落ち着いて聞きます。
しかし、公立中学校では、それが通用しないことも多いです。また、機嫌や疲れを先生側も感じ取り、それに合った授業展開をする必要性がありました。
無理に起こして、逆撫でてしまい、授業妨害や酷ければ学級崩壊にもなるだろうことが分かりました。
また、授業に関係ないであることも少しは、拾ってあげたほうが親しみやすいのかも知れません。
この単元・授業中に、一番大切なところは何なのかをハッキリと、意識させることも必要だと思います。
数学に関して、私たち数学科は、ほとんどが大切な部分ばかりで、教科書にあることで分からないことなど無くして行くほうが良いと考えることが多いですが、生徒はそれが分かりません。
なので、例えば、文字式を利用して証明問題を解くなどのことで、重要だと教えるのは、文字を利用するという点で、証明をさせるのは、普通の公立中学校には難しすぎるということ。それを理解して、生徒に伝えなければ、生徒はただやらされているだけで、何が重要なのかが分かりません。
それをしっかりとした話の抑揚や、注目をさせて認識させることが重要だと感じました。
私も最後は、それが出来るようになりました。
また、これは実習後の報告会(研究室)での教授が仰ったことから、私が感じたことですが、中学校の知識は、もちろん小学校の知識が必要です。小学校でどのように教えているのか、その教材研究はしなければいけないだろうことが分かりました。
教科指導に関しては、教具などを使用し、復習時間を短縮したりする方が良いと思います。
復習自体に20分もかけてしまうと、本題が薄れてしまうこともありますので。
研究授業に関しては、一応合格点は貰えましたが、公立中学校に対しての授業としては、盛り込み過ぎているなど、効率中学校の現状を知っていないことが分かりました。
ちなみに、私は2週目から教壇に立ち、多いときは一日4時限、平均2時限授業をさせて頂きました。(2週目は、運動会練習でそれぞれ半分ぐらいですが…)
・生徒指導について
先述した通り、私は塾の高校生に慣れすぎて居て、ある程度フレンドリーに接すことを心がけようとしました。
それが今回の件では、完全な失敗でした。私と生徒の距離がとても近くなりすぎて、「先生」と呼ばれずに居ました。
3日目ぐらいから、これでは不味いと思っていたのですが、1週目は忙しさもあり、なかなか変えることが出来ませんでした。
私自身、その方が楽で、楽しくも感じていた部分がありました。
2週目から、生徒への対応を変えて、しっかりと先生と見られるようにしなければと思いました。それは、2週目からショートホームルームを任されるようになったからというのもありました。
自分なりに考え、色々こなしてみましたが、なかなか上手くいかず、最後には、少し力づくで制止したりして、言う事を聞かせようとしてしまいました。
その時になって、自分の指導力の無さを感じ、ホーム主任に相談に行きました。
ホーム主任にも、あなたは1週目はフレンドリー過ぎていて、2週目から試行錯誤しているのは見て取れたと言われたときに、ホーム主任にも見抜かれているんだから、相当な失敗をしてしまったと思いました。
また、自分だけでどうしようも出来なかったことから悔しくて、少し泣いてしまいました。
ホーム主任からアドバイスを頂き、その後の2週目、3週目はどうにか持ち直していきました。
最後まで、「先生」と読んでくれない生徒も居ましたが、それは自分自身のせいです。
私は、中学生という多感な時期(特に2年生なんて、一番多感であり、思春期だと思う)の生徒への最初の対応が間違いでした。それが今回一番の収穫だとも思えます。
こんなことを言うのもなんですが、同じ実習生は、最後まで「○○ちゃん」と呼ばれていて、その実習生自体もそれを心地良く思っていたみたいですが。
やはり、「先生」であるという自覚を持ち、それを常に意識することの大切さ・大変さを痛感しました。
高校生では、少ないかも知れませんが、同じようなことはあるかも知れません。
また、数学の先生を目の敵にしている生徒も居ます。多感な時期だからなのかも知れませんし、それはちょっと今回分かりませんでした。目の敵にしている生徒は、「女子」しか居なかったように感じるので、それは個人の性格の問題なのかも知れません。
私も、心では傷つき、心が折れそうになることも何度かありましたが…。
また、部活動についてですが、私は体型の割に運動・スポーツは得意です。(自分で言うのも何ですが…)
なので、色んな部活動に参加してきました。
もちろん見るだけのもありましたが、卓球やサッカーは、自分も中に入ってプレイしてきました。
特に私がオススメするのは、団体競技のサッカーなどですね。
生徒と一緒に汗を流し、必死に頑張る。生徒も近づいてくれますし、生徒自信も先生が一緒にプレイすると楽しいみたいで、来て下さいと頼まれることが多かったです。
ただ、私は運動をしばらくしてなかったので、体がボロボロになりましたが。日誌なんて、部活動後に書けば良いと思います。
日誌に必死で、部活動に参加しない・遅れて参加するなんて、生徒が可哀想ですよ。
色々と通して分かったのは、先生たちの大変さ、中学生の力、多感な時期での接し方、先生と言う立場について、再考させられたと思います。
高校の実習に行っていない私が言うのもなんですが、本当に教員になりたい人は、中学校に行くことをオススメします。
1年生、2年生、3年生がそれぞれ色が全く異なります。それぞれへの対応の難しさと楽しさを感じることが出来ると思います。
また、真剣に・真面目に教育実習をすれば、色々と悩むのが普通だとも思います。そういう時は、同じ実習生と話をしましょう。
辛かったけど、楽しかったです。ありがとうございました。
P.S 担当のクラスからは、最終日に全員が手紙を書いてくれました。嬉しかったです。
2011年5月5日木曜日
『才能』とは
私は、別に数学に才能があるとも思っていない。
その才能と言う言葉が、何を指しているのかは、厳密には分からないが
大学入試などで出会う、新しい形の問題をすぐさま解けるぐらいの才能はない。
粗探し、間違え探しをする才能はあると思う。
私の高校は、工業高校であり、進学をする人も殆どは、推薦やAO入試などだった。
そのため、私みたいな人間でも、高校1年の時の模試では、校内1位であった。(国語以外は、すべて1位で、総合1位だった。)
また、高校2年生の時に、3年生も含んだ校内数学模試(?)みたいなので、1位にもなってしまった。
さらに、高校2年生の夏前か、夏後ぐらいの模試では、県内3位になった。
自分でも才能があるんじゃないかとか、勝手に思っていた。
だけど、それは大きな間違えだった。
高校2年生の数学では、微分を習う。
その時、数学の先生は、「連続と微分可能」について中途半端な知識を与えてくださった。
私は、その時に「連続ならば微分可能とは限らない、だから微分可能であることを調べる必要がある」とぐらいに受け止めていた。
それだけを受け止めていたから、中間試験において出題された微分に関する問題は、私に取っては、どうすればよいか分からないことが多かった。
・定義に従って微分せよ
・微分せよ
・接線を求めよ
など、色々あった。しかし、どの問題にも、その関数が微分可能であるとは書いていなかった。
だから、私は最初の問題から詰まっていた。
「まず、微分が可能であることを示さなければならない」と書いて
色々と模索はしたが、実数上で微分可能であることの証明など高校では扱わない。
それを私は、自分の勉強不足だと思い、この試験では結果が出せなかった…と思い込んだ。
しかし、試験終了し、周りがみんなすべて解けた、時間が足りなかったと言う話をしている中、私は一人、悔しい思いをしていた。
だが、その後、担当の数学の先生に呼び出され、「高校で習う関数のほとんどすべては、微分可能だから、そんなことは気にしなくてよかった。今回のこれに関しては、点数をあげるわけにはいかないけど、次の試験などを考慮して、成績は付けるから、頑張れ。」と言われた。
その時にやっと、高校数学というものが、いくつか曖昧なものを残していて、ある程度は騙して教えていて、解かなきゃいけないのだと知った。
しかし、この時に、自らなぜだと思い、大学生が読むような、数学書を読まなかったのが、私にとっては、不幸だったのだろう。
学校の先生も薦めてくれれば、私はもっと数学の世界を早くに知れたのに。
そんなことを今更思っても仕方がないのだから、今もう一度勉強をするのです。
そして、もう一つ。
大学に入って、数学が数学ではなくなったとか、数学が哲学になったとか。
そんなことは言わないで欲しい。初学者が、数学に困惑するのは、高校までの数学が科目名としての数学でしかないということを感じていないからだと思う。
大学の数学の方が、もっと理論的で、精巧なものだろう。
その最たるものが、ε-δ論法であるとも思う。(学部1年生なら)
私は、別に数学に才能があるとも思っていない。
その才能と言う言葉が、何を指しているのかは、厳密には分からないが
大学入試などで出会う、新しい形の問題をすぐさま解けるぐらいの才能はない。
粗探し、間違え探しをする才能はあると思う。
私の高校は、工業高校であり、進学をする人も殆どは、推薦やAO入試などだった。
そのため、私みたいな人間でも、高校1年の時の模試では、校内1位であった。(国語以外は、すべて1位で、総合1位だった。)
また、高校2年生の時に、3年生も含んだ校内数学模試(?)みたいなので、1位にもなってしまった。
さらに、高校2年生の夏前か、夏後ぐらいの模試では、県内3位になった。
自分でも才能があるんじゃないかとか、勝手に思っていた。
だけど、それは大きな間違えだった。
高校2年生の数学では、微分を習う。
その時、数学の先生は、「連続と微分可能」について中途半端な知識を与えてくださった。
私は、その時に「連続ならば微分可能とは限らない、だから微分可能であることを調べる必要がある」とぐらいに受け止めていた。
それだけを受け止めていたから、中間試験において出題された微分に関する問題は、私に取っては、どうすればよいか分からないことが多かった。
・定義に従って微分せよ
・微分せよ
・接線を求めよ
など、色々あった。しかし、どの問題にも、その関数が微分可能であるとは書いていなかった。
だから、私は最初の問題から詰まっていた。
「まず、微分が可能であることを示さなければならない」と書いて
色々と模索はしたが、実数上で微分可能であることの証明など高校では扱わない。
それを私は、自分の勉強不足だと思い、この試験では結果が出せなかった…と思い込んだ。
しかし、試験終了し、周りがみんなすべて解けた、時間が足りなかったと言う話をしている中、私は一人、悔しい思いをしていた。
だが、その後、担当の数学の先生に呼び出され、「高校で習う関数のほとんどすべては、微分可能だから、そんなことは気にしなくてよかった。今回のこれに関しては、点数をあげるわけにはいかないけど、次の試験などを考慮して、成績は付けるから、頑張れ。」と言われた。
その時にやっと、高校数学というものが、いくつか曖昧なものを残していて、ある程度は騙して教えていて、解かなきゃいけないのだと知った。
しかし、この時に、自らなぜだと思い、大学生が読むような、数学書を読まなかったのが、私にとっては、不幸だったのだろう。
学校の先生も薦めてくれれば、私はもっと数学の世界を早くに知れたのに。
そんなことを今更思っても仕方がないのだから、今もう一度勉強をするのです。
そして、もう一つ。
大学に入って、数学が数学ではなくなったとか、数学が哲学になったとか。
そんなことは言わないで欲しい。初学者が、数学に困惑するのは、高校までの数学が科目名としての数学でしかないということを感じていないからだと思う。
大学の数学の方が、もっと理論的で、精巧なものだろう。
その最たるものが、ε-δ論法であるとも思う。(学部1年生なら)
2011年4月28日木曜日
『期待』と『裏切り』
私は、色んな人の色んな活動に『期待』をします。
『期待』をし、それで私はその人たちの行動を見つめます。
その途中で、『裏切られる』思いをいつも感じる。
特に、最近の学生団体や、学生ベンチャーに興味があるなどをTwitterのアカウント紹介分や、mixiのプロフィールに書いている人たち。
夢や理想、目標を掲げるだけで終わるなんて、勿体無いし、かっこ悪くないですか。
その過程・途中が美しいのだと私は思っているんです。
『何頑張ってんの(笑)』ぐらいの気持ちを持ってる人が多く、頑張っている人を軽視したり、侮辱したりする人が居ますね。
それはとても残念に私は思いますが、今回言いたいこととは、ちょっとずれるので置いておきます。
本題に戻ると、そういう掲げるだけ、チラつかせるだけで終わってる人が多い。
終っていない人は、その理想・目標について真剣に考えていて、いつも頑張っている。
そして、その話をすると活き活きして、話してくれる。本当に考えてるんだなぁと感じる。
確かにこれは主観なのかも知れない。
よく私は、厳しいことを言い過ぎるとか、言われます。けど、それには、『期待』が込められているからです。
私だって、誰にでも言いません。特に年齢を絞れば、高校2年生以上ぐらいにしか厳しいことを直接的に言いません。
高校生以下は、大体私たちの『期待』を裏切ります。
小さいことを言えば、『宿題をやってこない』。これは、1つの期待です。
私は、宿題を出す時に、大体ここぐらいまでは解けて、此処から先は分からないだろうぐらいの予測(期待)をしています。
(けど、これは大体の塾の先生は、それを考えて宿題を出しているでしょう。塾の指導範囲内のことだけやってる人は少ないはず、私もそう思い、最近2年ぐらいは、自作プリントなどを良く使うようにしている。)
そこで、「なんでやってこないの!!」と発狂する人も居ますが、ビックリしますね。あなただって、高校生2年生ぐらいの時は宿題をやらなかったことだってあるでしょ、と。
塾における、最大の期待は、誰しもが持つであろう、志望校への合格でしょう。
特に大学受験に絞れば、その受験が一生を決めるのではないかと思っている人は、多いのかも知れません。
その時に、再度「勉強法」「復習法」などを教えられたりします。
復習がどれだけ大事か、それは分からないかも知れないから、「復習が一番大切だ」ということを教えられる。
だけど、その復習の仕方は習わないし、特に私は、復習の王道や、万人共通の復習の方法なんてないのではないかと思う。
同じように、「勉強法」も1つに定まらないだろう。
色んなやり方(せいぜいその科目に対して5種類も無いだろう)を経て、自分で体得するしかない。
その時に、その科目の真髄をある程度見れるのではないだろうか。
国語・英語だって、単語さえ分かればどうにでもなるわけではないし、数学や物理も公式を覚えているだけじゃどうしようもない。
それを気づかせるために、私は受験生になったとき(3年生だとは限らない)に、ある程度厳しいことは言う。
自分で気づくこと、これが一番大切じゃないのかな。何がいけないとか、何が足りないとか、そういう事を自分で常に考えて、探していかないと。
私たち、先生・講師が出来ることは、その材料を与えたりすることだろう。
答えをすぐに教えたり、復習法・勉強法はコレだと1つに決めたりすることは、やるべきじゃない。
そんな可能性を無くす教育は、しちゃいけない。どうやって間違えるのか、どうやって決めるのか。その子を見てください。
さて、教育論にまで話がずれましたが、これを私は同い年・同じ世代には、思いません。むしろ、同じぐらい生きているのだから、それぐらい考えて生きているだろうと私は思っています。
だから、厳しいことを言っているように聞こえるのかも知れません。
言い訳なんて、もっての外ですよ。そりゃ得意・不得意はあるだろうけどもね。
「私は、苦手なので、ダメでした。」とか言われたら、もう『裏切り』・『失望』ですよ。
苦手なりにでもこうやってみた、ダメなところは見つかった・見つからない、アドバイスをください。
そういう姿勢で居るべきでしょうね。私自身にもそれは言えます。
ちょっと何を言いたいか、分からなくなりましたね。
こちらから、ちょっとブログをまとめようと思いましたが、上手くまとまりませんでした。
私は、色んな人の色んな活動に『期待』をします。
『期待』をし、それで私はその人たちの行動を見つめます。
その途中で、『裏切られる』思いをいつも感じる。
特に、最近の学生団体や、学生ベンチャーに興味があるなどをTwitterのアカウント紹介分や、mixiのプロフィールに書いている人たち。
夢や理想、目標を掲げるだけで終わるなんて、勿体無いし、かっこ悪くないですか。
その過程・途中が美しいのだと私は思っているんです。
『何頑張ってんの(笑)』ぐらいの気持ちを持ってる人が多く、頑張っている人を軽視したり、侮辱したりする人が居ますね。
それはとても残念に私は思いますが、今回言いたいこととは、ちょっとずれるので置いておきます。
本題に戻ると、そういう掲げるだけ、チラつかせるだけで終わってる人が多い。
終っていない人は、その理想・目標について真剣に考えていて、いつも頑張っている。
そして、その話をすると活き活きして、話してくれる。本当に考えてるんだなぁと感じる。
確かにこれは主観なのかも知れない。
よく私は、厳しいことを言い過ぎるとか、言われます。けど、それには、『期待』が込められているからです。
私だって、誰にでも言いません。特に年齢を絞れば、高校2年生以上ぐらいにしか厳しいことを直接的に言いません。
高校生以下は、大体私たちの『期待』を裏切ります。
小さいことを言えば、『宿題をやってこない』。これは、1つの期待です。
私は、宿題を出す時に、大体ここぐらいまでは解けて、此処から先は分からないだろうぐらいの予測(期待)をしています。
(けど、これは大体の塾の先生は、それを考えて宿題を出しているでしょう。塾の指導範囲内のことだけやってる人は少ないはず、私もそう思い、最近2年ぐらいは、自作プリントなどを良く使うようにしている。)
そこで、「なんでやってこないの!!」と発狂する人も居ますが、ビックリしますね。あなただって、高校生2年生ぐらいの時は宿題をやらなかったことだってあるでしょ、と。
塾における、最大の期待は、誰しもが持つであろう、志望校への合格でしょう。
特に大学受験に絞れば、その受験が一生を決めるのではないかと思っている人は、多いのかも知れません。
その時に、再度「勉強法」「復習法」などを教えられたりします。
復習がどれだけ大事か、それは分からないかも知れないから、「復習が一番大切だ」ということを教えられる。
だけど、その復習の仕方は習わないし、特に私は、復習の王道や、万人共通の復習の方法なんてないのではないかと思う。
同じように、「勉強法」も1つに定まらないだろう。
色んなやり方(せいぜいその科目に対して5種類も無いだろう)を経て、自分で体得するしかない。
その時に、その科目の真髄をある程度見れるのではないだろうか。
国語・英語だって、単語さえ分かればどうにでもなるわけではないし、数学や物理も公式を覚えているだけじゃどうしようもない。
それを気づかせるために、私は受験生になったとき(3年生だとは限らない)に、ある程度厳しいことは言う。
自分で気づくこと、これが一番大切じゃないのかな。何がいけないとか、何が足りないとか、そういう事を自分で常に考えて、探していかないと。
私たち、先生・講師が出来ることは、その材料を与えたりすることだろう。
答えをすぐに教えたり、復習法・勉強法はコレだと1つに決めたりすることは、やるべきじゃない。
そんな可能性を無くす教育は、しちゃいけない。どうやって間違えるのか、どうやって決めるのか。その子を見てください。
さて、教育論にまで話がずれましたが、これを私は同い年・同じ世代には、思いません。むしろ、同じぐらい生きているのだから、それぐらい考えて生きているだろうと私は思っています。
だから、厳しいことを言っているように聞こえるのかも知れません。
言い訳なんて、もっての外ですよ。そりゃ得意・不得意はあるだろうけどもね。
「私は、苦手なので、ダメでした。」とか言われたら、もう『裏切り』・『失望』ですよ。
苦手なりにでもこうやってみた、ダメなところは見つかった・見つからない、アドバイスをください。
そういう姿勢で居るべきでしょうね。私自身にもそれは言えます。
ちょっと何を言いたいか、分からなくなりましたね。
こちらから、ちょっとブログをまとめようと思いましたが、上手くまとまりませんでした。
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