大晦日
今年は、帰省を早めに済ませたので、年越しは東京で過ごすことになりました。
最近の1日のサイクルがとても良い感じなので、年明けても続けられるようにと思っています。
今年最後の大きな買い物は、なんとデジタルカメラを購入しました。
今年の夏ぐらいから、衝動的に買いたくなって、でも辞めてと言うのを繰り返していました。
しかし、デジタルカメラ本体と2GBのメモリーカードがついて、6,500円程度と言う旧型番のものがたまたまあり、本体もそれほど悪い評判ではなかったので、デジタルカメラデビューとして購入しちゃいました。
ちなみに、NikonのCOOLPIX L23です。
これでちょいちょい写真も撮り、このブログにももうちょっと鮮やかさ、華やかさを飾れるかなと思います。
正月の予定は、浅草寺・湯島天神と、宮内庁の一般参賀をしてこようと思ってます。
東京の思い出ですかね。
コミックマーケットとやらも参加してみようかと思いましたが、あれは興味が無ければ一人じゃ厳しそうですね…。
それでは、みなさん良いお年を!
2011年12月31日土曜日
2011年12月26日月曜日
あれからそれから(12/1)
12月の初めに書いたことをどれくらい出来たでしょうか。
読了
のみが目標達成です。
また、「ルベーグ積分」の知識不足分を、伊藤清三先生『ルベーグ積分入門』で補うことにしました。
そして、それを決めてから「ベクトル解析」を一旦置いておくことにしました。
私には、「ベクトル解析」と「ルベーグ積分」を同時進行していくことは難しかったです。
後は、ゼミで相変わらずのE.C Titchmarsh先生の『The Theory of Function』を継続しています。
「位相」に関しては、やらなきゃなーと思いながら放置…。知識が不安定な部分なので、さっさと埋めないといけないのですが…。
ところで、話は変わりまして実家に少し帰り進路のことが決定しました。
自分に一層落とし込めるような状況になりました。それはそれで両親には感謝したい。
これからは、自分自身と言うものをさらに見つめていこうと思います。
そして、今年度で東京を離れます。なので、明倫館などの神田古本屋街とも縁遠くなってしまいます。
今まで読んで、これからも使うだろうと思った本や、これから読んで勉強すべきだと思った本をお金の許す限り購入しました。
(E.C Titchmarsh先生の『The Theory of The Riemann Zeta-Function』は、大学院入ったら買いたい…)
後足りないものは、数学をちゃんと勉強することですね。がんばります。
(未だに、ベクトル解析の知識補充はどうしようかと…。30講シリーズ読んでから決めようかな…って感じです。)
年末は、帰ることができなくなったので(仕事の影響(愚痴として付記しときます(苦笑)))数学して、1月1日は、浅草寺・湯島天神と散歩がてら行きます。
1月2日は宮内庁の一般参賀に行きます。
それ以外は、ダイエットと数学をがんばろう。
では!
付記:仕事関係
さてはて、この仕事と言うのが厄介でして、上は私達に当然のこと以上を求めるのに、本人達は、私たちの「当然」を無視します。
この影響がスケジュールにも出てくるので、非常に迷惑。
私たち講師や、通塾している生徒の冬休みの日程を12月の頭(5日付近)には出せと言われ、どうにか出します。
その後、実際に来てもらう日程を塾側が生徒や私達に連絡をしてくるのですが、その日程が遅い。12月下旬(20日以降)になってようやく出る。
そして、私達講師は、その期間中「もし」授業を受け持つことになるならば、教室に行ける範囲にいなければなりません。
すると、帰省の日程など本当に「数日」にならざるを得ない。
そのせいで、私は22日に東京に帰ってきたのだが、実際25日に連絡が来て年内は授業を受け持つ必要はなく、年明けからお願いしますとのこと。
いやはや…。まぁもう4年続けましたし、今更ですが、このような状態が「普通」なのがおかしい。
塾業界は、それぞれの信頼関係よりも、「人数確保」に必死なんです。
そこで、「良い教育」と言うのは遠くあるものです。
実際、「良い教育」をしようとした塾は、いくつかあるそうですが、長続きしませんね。やはり「経営」と言うものがあると、「教育」はどこかを棄てないといけないのでしょうね…。
それをこの4年間で学んだと思い、次に生かしていけるようにしたいです。
生徒には、罪がないので、私はいつでも本気でぶつかっていきます。
12月の初めに書いたことをどれくらい出来たでしょうか。
読了
- 志賀浩二先生『群論への30講』
- 志賀浩二先生『ルベーグ積分30講』
のみが目標達成です。
また、「ルベーグ積分」の知識不足分を、伊藤清三先生『ルベーグ積分入門』で補うことにしました。
そして、それを決めてから「ベクトル解析」を一旦置いておくことにしました。
私には、「ベクトル解析」と「ルベーグ積分」を同時進行していくことは難しかったです。
後は、ゼミで相変わらずのE.C Titchmarsh先生の『The Theory of Function』を継続しています。
「位相」に関しては、やらなきゃなーと思いながら放置…。知識が不安定な部分なので、さっさと埋めないといけないのですが…。
ところで、話は変わりまして実家に少し帰り進路のことが決定しました。
自分に一層落とし込めるような状況になりました。それはそれで両親には感謝したい。
これからは、自分自身と言うものをさらに見つめていこうと思います。
そして、今年度で東京を離れます。なので、明倫館などの神田古本屋街とも縁遠くなってしまいます。
今まで読んで、これからも使うだろうと思った本や、これから読んで勉強すべきだと思った本をお金の許す限り購入しました。
- G.H.Hardy先生『Pure Mathematics』
- Ahlfors先生『Complex Analysis』
- E.C Titchmarsh先生『The Theory of Function』
- 竜沢周雄先生『関数論』
- 田中尚夫先生『選択公理と数学』
- 松坂和夫先生『代数系入門』
- 松坂和夫先生『集合・位相入門』
- 伊藤清三先生『ルベーグ積分入門』
(E.C Titchmarsh先生の『The Theory of The Riemann Zeta-Function』は、大学院入ったら買いたい…)
後足りないものは、数学をちゃんと勉強することですね。がんばります。
(未だに、ベクトル解析の知識補充はどうしようかと…。30講シリーズ読んでから決めようかな…って感じです。)
年末は、帰ることができなくなったので(仕事の影響(愚痴として付記しときます(苦笑)))数学して、1月1日は、浅草寺・湯島天神と散歩がてら行きます。
1月2日は宮内庁の一般参賀に行きます。
それ以外は、ダイエットと数学をがんばろう。
では!
付記:仕事関係
さてはて、この仕事と言うのが厄介でして、上は私達に当然のこと以上を求めるのに、本人達は、私たちの「当然」を無視します。
この影響がスケジュールにも出てくるので、非常に迷惑。
私たち講師や、通塾している生徒の冬休みの日程を12月の頭(5日付近)には出せと言われ、どうにか出します。
その後、実際に来てもらう日程を塾側が生徒や私達に連絡をしてくるのですが、その日程が遅い。12月下旬(20日以降)になってようやく出る。
そして、私達講師は、その期間中「もし」授業を受け持つことになるならば、教室に行ける範囲にいなければなりません。
すると、帰省の日程など本当に「数日」にならざるを得ない。
そのせいで、私は22日に東京に帰ってきたのだが、実際25日に連絡が来て年内は授業を受け持つ必要はなく、年明けからお願いしますとのこと。
いやはや…。まぁもう4年続けましたし、今更ですが、このような状態が「普通」なのがおかしい。
塾業界は、それぞれの信頼関係よりも、「人数確保」に必死なんです。
そこで、「良い教育」と言うのは遠くあるものです。
実際、「良い教育」をしようとした塾は、いくつかあるそうですが、長続きしませんね。やはり「経営」と言うものがあると、「教育」はどこかを棄てないといけないのでしょうね…。
それをこの4年間で学んだと思い、次に生かしていけるようにしたいです。
生徒には、罪がないので、私はいつでも本気でぶつかっていきます。
2011年12月1日木曜日
今年中の目標
今年も残す所後一ヶ月になりました。
近況としては、健康生活も継続し、順調に体重も落ちています。
(今日のゼミで、先生に痩せたと認識されたので、それが嬉しいですね。)
勉強の方は、ゼミで悪戦苦闘もしつつ、自分のすべきことも段々と固めてきています。
ゼミの先生から勉強すべきことのアドバイスとして、10月25日以降に与えられたものに関数解析学があります。
それも含めて、4月までにすべきことと、今年2011年中にすべきことをまとめてみたいと思います。
4月までにすべきこと
・代数学
志賀浩二先生『群論への30講』(途中まで読んでいる…)
松坂和夫先生『代数系入門』 または 渡辺先生・草場先生『代数の世界』
・整数論
高木貞治先生『初等整数論講義』
・ベクトル解析
志賀浩二先生『ベクトル解析30講』
・ルベーグ積分
志賀浩二先生『ルベーグ積分30講』
・関数論
E.C Titchmarsh先生『The Theory of Function』(ゼミで読んでいる…)
竜沢周雄先生『函数論』
・複素解析学
Ahlfors先生『Complex Analysis』
・関数解析学
N.I Akhiezer先生,I.M Glazman先生『Theory of Linear Operators in Hilbert Space』
Frigyes Riesz先生,Sz.-Nagy先生『Functional Analysis』
・その他
田中尚夫先生『選択公理と数学』
志賀浩二先生『位相への30講』(途中まで読んでいる…)
森田茂之先生『集合と位相空間』(途中まで読んでいる…)
ざっとこんなものでしょうか。大学院入学後の試験のためにも、過去問を解く時間を考えると…。
これをすべて成し遂げるのは厳しい感じです。
特に、ベクトル解析やルベーグ積分は、これだけじゃ知識が全くもって足りませんが、その時は他の本を読むなりなんなりして、補う他ありません。
現状の知識と、求められる知識にギャップがあるのは、随分前から分かっているし、それを埋めるための努力をまだまだすべきでしょう…。
こんなので、大学院生になるとは恥ずかしいですが、自分で決めたことです、やりきりましょう。
さて、今年中に終わらせられるもの、終わらすべきものとしては、志賀浩二先生の30講シリーズでしょう。
これは、知識をつけるためではなく、復習と外観をつかむためだけに読んでいるわけですし、さっさと読み終えるべき本です。
それが年内に終わるか、どうか微妙なところですね。
(もちろん、ゼミ用のTitchmarsh先生の本は常に読み進める必要がありますからね。)
30講シリーズが終われば、関数解析学の1冊目を読みたい。
関数解析学自体の講義がうちの大学には無いので、初学です。時間がたっぷり必要なところです…。
田中先生の『選択公理と数学』は、ちょっとずつ読み進めたいですね。
まとめると、この12月中にすること…目標
全く余裕はありません。だけども、やると決めたこと。やりましょう、頑張りましょう。
それでは、また暫くしたら読んだ本などまとめます。
今年も残す所後一ヶ月になりました。
近況としては、健康生活も継続し、順調に体重も落ちています。
(今日のゼミで、先生に痩せたと認識されたので、それが嬉しいですね。)
勉強の方は、ゼミで悪戦苦闘もしつつ、自分のすべきことも段々と固めてきています。
ゼミの先生から勉強すべきことのアドバイスとして、10月25日以降に与えられたものに関数解析学があります。
それも含めて、4月までにすべきことと、今年2011年中にすべきことをまとめてみたいと思います。
4月までにすべきこと
・代数学
志賀浩二先生『群論への30講』(途中まで読んでいる…)
松坂和夫先生『代数系入門』 または 渡辺先生・草場先生『代数の世界』
・整数論
高木貞治先生『初等整数論講義』
・ベクトル解析
志賀浩二先生『ベクトル解析30講』
・ルベーグ積分
志賀浩二先生『ルベーグ積分30講』
・関数論
E.C Titchmarsh先生『The Theory of Function』(ゼミで読んでいる…)
竜沢周雄先生『函数論』
・複素解析学
Ahlfors先生『Complex Analysis』
・関数解析学
N.I Akhiezer先生,I.M Glazman先生『Theory of Linear Operators in Hilbert Space』
Frigyes Riesz先生,Sz.-Nagy先生『Functional Analysis』
・その他
田中尚夫先生『選択公理と数学』
志賀浩二先生『位相への30講』(途中まで読んでいる…)
森田茂之先生『集合と位相空間』(途中まで読んでいる…)
ざっとこんなものでしょうか。大学院入学後の試験のためにも、過去問を解く時間を考えると…。
これをすべて成し遂げるのは厳しい感じです。
特に、ベクトル解析やルベーグ積分は、これだけじゃ知識が全くもって足りませんが、その時は他の本を読むなりなんなりして、補う他ありません。
現状の知識と、求められる知識にギャップがあるのは、随分前から分かっているし、それを埋めるための努力をまだまだすべきでしょう…。
こんなので、大学院生になるとは恥ずかしいですが、自分で決めたことです、やりきりましょう。
さて、今年中に終わらせられるもの、終わらすべきものとしては、志賀浩二先生の30講シリーズでしょう。
これは、知識をつけるためではなく、復習と外観をつかむためだけに読んでいるわけですし、さっさと読み終えるべき本です。
それが年内に終わるか、どうか微妙なところですね。
(もちろん、ゼミ用のTitchmarsh先生の本は常に読み進める必要がありますからね。)
30講シリーズが終われば、関数解析学の1冊目を読みたい。
関数解析学自体の講義がうちの大学には無いので、初学です。時間がたっぷり必要なところです…。
田中先生の『選択公理と数学』は、ちょっとずつ読み進めたいですね。
まとめると、この12月中にすること…目標
- 志賀浩二先生『群論への30講』 読了
- 志賀浩二先生『ベクトル解析30講』 読了 →知識不足分をどう補うか検討
- 志賀浩二先生『ルベーグ積分30講』 読了 →知識不足分をどう補うか検討
- 志賀浩二先生『位相への30講』 読了
- 森田茂之先生『集合と位相空間』 読了
- E.C Titchmarsh先生『The Theory of Function』 継続
- 田中尚夫先生『選択公理と数学』 余裕あれば
- 松坂和夫先生『代数系入門』 開始
- 高木貞治先生『初等整数論講義』 開始
- N.I Akhiezer先生,I.M Glazman先生『Theory of Linear Operators in Hilbert Space』 開始
全く余裕はありません。だけども、やると決めたこと。やりましょう、頑張りましょう。
それでは、また暫くしたら読んだ本などまとめます。
2011年10月30日日曜日
第22回 数学史シンポジウム
津田塾大学で10月29日、30日に開催されました、数学史シンポジウムに参加してきました。
時間の関係上、10月29日の午前中のみの参加でした。
プログラムについては、そのうち津田塾大学さんの方に上がれば、リンクを貼ることにします。
私が、参加した29日の午前中は以下の4つの講演が開かれました。
私にとっては、上の第一講演と第三講演は、ほとんど勉強をしたことの無い分野だったので、内容は全く分かりませんでした。
しかし、数学の動き、歴史は論文1つ取っても、やはり色々あることが分かります。
最近、数学10大論争を読んでいたので、新鮮にも感じました。(当事者から聞けると言うのは…!)
そして、私は数論専攻の駆け出しということで、足立先生と杉本先生の話はとても興味深かったです。
今は、学ぶべき基礎が多いので、手を出すことはまた何年後かになるとは思いますが、デデキント先生の『数とは何か、何であるべきか?』を読んでみたいと改めて感じました。
(それに加えて、足立先生の『数とは何か そしてまた何であったか』も読んでみたいですね)
さらに、ヴェルデン先生の代数学の本や、ランダウ先生の『Grundlagen der Analysis』の英訳されたもの。
色々と良さそうな本を聞くことが出来ました。また、借りてちょっとしか読まなかった高木先生の『数学雑談』も。
ガウス先生からアイゼンシュタイン先生への平方剰余、四乗剰余そして、立方剰余。
この流れも学んでみたいですね。私は平方剰余ぐらいで、代数学(代数的整数論?)は止まっているので…。
後ろの方にやることは追加されましたが、今やるべきことを見失わないようにしましょう。
高望みしすぎては、ダメ。理想をちゃんと実現するには、一歩一歩。
頑張ります。
---
津田塾大学、初めて行きました。
江戸川区からは、かなり遠く、片道1,000円近くかかってしまいました…。
津田塾大学は、女子大ということで(受験生の時、それを知らずに受けようとしてた)、ちょっとドキドキして行きましたが、当日は土曜日。
学生もほとんど居ませんでしたので、ちょっと腑抜けてしまいました。
しかし、トイレが女子トイレ基本だと言うところを見ると女子大なんだなあと思いましたね。
キャンパスは、とても綺麗でした。とても静かな住宅街で、東京とは思えないほどでした。
ついでに、近くにある一橋大学にも行こうと、帰りは一橋学園駅まで歩いて見ました。
すると、宿舎しか無い…!と言うか、宿舎に囲まれてしまって、どこにキャンパスがあるのか…と言う感じでした。
帰宅して調べてみると、小平キャンパスは、国際キャンパスだそうで、本キャンパスではないそうですね。
知りませんでした…。
津田塾大学で10月29日、30日に開催されました、数学史シンポジウムに参加してきました。
時間の関係上、10月29日の午前中のみの参加でした。
プログラムについては、そのうち津田塾大学さんの方に上がれば、リンクを貼ることにします。
私が、参加した29日の午前中は以下の4つの講演が開かれました。
- 植村栄治先生『地磁気に関するガウスの研究について』
- 足立恒雄先生『デデキントの算術と再帰性定理』
- 白岩謙一先生『カオス発見史の一側面』
- 杉本敏夫先生『ガウスと虚数平面』
私にとっては、上の第一講演と第三講演は、ほとんど勉強をしたことの無い分野だったので、内容は全く分かりませんでした。
しかし、数学の動き、歴史は論文1つ取っても、やはり色々あることが分かります。
最近、数学10大論争を読んでいたので、新鮮にも感じました。(当事者から聞けると言うのは…!)
そして、私は数論専攻の駆け出しということで、足立先生と杉本先生の話はとても興味深かったです。
今は、学ぶべき基礎が多いので、手を出すことはまた何年後かになるとは思いますが、デデキント先生の『数とは何か、何であるべきか?』を読んでみたいと改めて感じました。
(それに加えて、足立先生の『数とは何か そしてまた何であったか』も読んでみたいですね)
さらに、ヴェルデン先生の代数学の本や、ランダウ先生の『Grundlagen der Analysis』の英訳されたもの。
色々と良さそうな本を聞くことが出来ました。また、借りてちょっとしか読まなかった高木先生の『数学雑談』も。
ガウス先生からアイゼンシュタイン先生への平方剰余、四乗剰余そして、立方剰余。
この流れも学んでみたいですね。私は平方剰余ぐらいで、代数学(代数的整数論?)は止まっているので…。
後ろの方にやることは追加されましたが、今やるべきことを見失わないようにしましょう。
高望みしすぎては、ダメ。理想をちゃんと実現するには、一歩一歩。
頑張ります。
---
津田塾大学、初めて行きました。
江戸川区からは、かなり遠く、片道1,000円近くかかってしまいました…。
津田塾大学は、女子大ということで(受験生の時、それを知らずに受けようとしてた)、ちょっとドキドキして行きましたが、当日は土曜日。
学生もほとんど居ませんでしたので、ちょっと腑抜けてしまいました。
しかし、トイレが女子トイレ基本だと言うところを見ると女子大なんだなあと思いましたね。
キャンパスは、とても綺麗でした。とても静かな住宅街で、東京とは思えないほどでした。
ついでに、近くにある一橋大学にも行こうと、帰りは一橋学園駅まで歩いて見ました。
すると、宿舎しか無い…!と言うか、宿舎に囲まれてしまって、どこにキャンパスがあるのか…と言う感じでした。
帰宅して調べてみると、小平キャンパスは、国際キャンパスだそうで、本キャンパスではないそうですね。
知りませんでした…。
2011年10月28日金曜日
大学院、来年度から修士論文不要に 試験などで審査
文部科学省は26日、大学院で修士論文を作成しなくても修士号を取得できるよう省令を改正する方針を決めた。博士号取得を目指す大学院生が主な対象で、論文の代わりに専攻だけでなく関連分野も含めた幅広い知識を問う筆記試験などを課す。大学院の早い段階から専門分野に閉じこもるのを防ぎ、広い視野を持つ人材を育てる狙い。来年度から適用する。
詳しく記事は、以下のURLから記事を見てください。
まだ、これが決定と言うわけではなく、一応は国民の声を聞いてから結果を出すと言うことですね。
結果がどうなるかは分かりませんが、もしそうなるのであれば、私はとても心配です。
なぜかと言うと、この「試験」というものが、形だけのものになることが容易に予想されるからです。
それは、現在の大学院入試、大学入試を見れば、そう思わざるをえない。
私は数学科ですので、大学院入試も数学科に限ったことしか分かりませんが、大学院入試も東大・京大以外は、それほど突破が難しくはなく、推薦と呼ばれる入試も多く存在します。
その専門性や、基礎力にも大きな差があるのが現状だと思います。
その中でも、大学院生として大丈夫なのか、と疑問視されるような学生も多く存在します。
(もちろん私もそのうちの一人です。)
これは、そもそも大学というところの存在が、勉強をするところと言う認識から、就職予備校のようなものになっていることが問題です。
大学とは、教育機関の最高学府であるにも関わらず、勉強をしない人が多い。
また、座学だけが勉強じゃないと言い、それ以外の活動に精を出す人も居ます。
もちろん、座学だけが勉強ではありませんが、それは座学をある程度こなした上で行うものです。
そのある程度の基準があまりにも低い人や、それを気にしない人たち。
それが大半を占めているのが、今の大学です。
さて、そのような大学の形を変えずに、大学院だけが変わるのでしょうか。
さらに言えば、この曖昧な「試験」と言う基準をで、学位取得ができてしまうシステムを作ることは、この大学の状況が大学院にシフトすると、私は思います。
例として、私の場合を取り上げてみたいと思っています。
私は、自分自身が大学院に進学出来るような、優秀な学生ではないことを感じています。
それは、学部4年になってからのゼミや、勉強をすることで感じてきました。
大学院入試は、一つの挑戦でした。
ただ、大学院入試は傾向があるので、その対策が可能です。
ゆえに、基礎力が本当にあるのかどうかは分かりません。
私自身は、まだまだ足りていないと思っています。
そのために毎日、勉強をしているのです。
教育者になりたいこともあるので、教育的活動にも興味があります。
なので、週1日(土曜日)は、その活動に当てています。もちろん日中全てではありません。
それほどの活動でも、色々と得るものはあります。
さて、これよりももっと知識が足りない人がいるのも事実ですし、それで勉強もせず、他の活動に精を出す人も居ます。
そんな人達が多い今の大学です。その大学を変えず、どう大学院を変えるのでしょうか。
これ以上、日本の教育の質・力を落とさないためには、このような学生が減るために、もっと厳しいものにすべきでしょう。
大学院の博士課程進学という、先の部分ではなく、その前を修正出来るような形を、動きを…。
お願いします。
---
私も人の心配をしている場合ではないのです。私自身がそうならないように、自分がすべきことをします。
でも、横目に見てしまう、見えてしまいますよ…。
2011年10月25日火曜日
ディオファントス近似
ついに勉強をしていて出会ってしまいました。
言葉を聞いたことはもちろんありますが、内容に関しては薄っすらぐらいしか知りません。
代数学なのに近似なんだ、ぐらいの変なイメージしかない程度です。
正式には、Thu-Siegel-Roth theoremと言う定理から出会ったわけですが。
私は学部4年生ですが、この定理も含め、上ページのProofTechniqueの式すら初めてです。
研究室の先生には、もっと代数学を勉強しろと言う風に言われてしまいました。
それに加えて、今日のゼミでは色々と今後の課題も与えて下さいました。
これもまた箇条書きにしておきましょう。(そんなに文字の量はないですが…。)
確かに、私の専攻していく分野だとそれほど重要なものじゃないのですが、何となく解析学の基礎レベルはやり残しをしたくないなと思っています。
なんにせよ、今回出てきたこのRoth's theoremも含めて、やるべきことはたくさんありますね。
ホームページのタスク管理に勉強関係を含むのは難しそうですね…。開いて更新するのが面倒で、かなり放置気味です。
研究室のメンバーである彼も、教員採用試験に合格し、心置きなく大学数学を勉強できますね。
残り3ヶ月ほどですが、楽しい数学生活が続き、有終の美を飾れることを。
今の研究室の先生の心配の種にならないように、頑張ります。
ついに勉強をしていて出会ってしまいました。
言葉を聞いたことはもちろんありますが、内容に関しては薄っすらぐらいしか知りません。
代数学なのに近似なんだ、ぐらいの変なイメージしかない程度です。
正式には、Thu-Siegel-Roth theoremと言う定理から出会ったわけですが。
私は学部4年生ですが、この定理も含め、上ページのProofTechniqueの式すら初めてです。
研究室の先生には、もっと代数学を勉強しろと言う風に言われてしまいました。
それに加えて、今日のゼミでは色々と今後の課題も与えて下さいました。
これもまた箇条書きにしておきましょう。(そんなに文字の量はないですが…。)
- 代数学 (数論をやるのだから、当たり前と言えば当たり前でしょう…)
- 複素解析学 (解析方面からのアプローチがあるので、これも当たり前)
- ベクトル解析 (ベクトル解析として勉強したことがほとんど無いので、色々調べる必要性)
- 幾何学 (苦手分野です。逃げることはできそうにないですね…。微分幾何はいいのだけど…)
確かに、私の専攻していく分野だとそれほど重要なものじゃないのですが、何となく解析学の基礎レベルはやり残しをしたくないなと思っています。
なんにせよ、今回出てきたこのRoth's theoremも含めて、やるべきことはたくさんありますね。
ホームページのタスク管理に勉強関係を含むのは難しそうですね…。開いて更新するのが面倒で、かなり放置気味です。
研究室のメンバーである彼も、教員採用試験に合格し、心置きなく大学数学を勉強できますね。
残り3ヶ月ほどですが、楽しい数学生活が続き、有終の美を飾れることを。
今の研究室の先生の心配の種にならないように、頑張ります。
2011年10月16日日曜日
ここ最近で、ようやく秋・冬の生活リズムが出来てきたので、前回のリズムと比べてどう変化したのかを自分なりに分析してみました。
まずは、一日の大体の流れを書いてみます。
6:30 起床
7:00 朝食(400~500kcal前後) & ニュースチェック(NHKとRSSをまとめ読み)
8:30 勉強机に座り,一日することを考える
9:00 勉強開始 or 数学雑誌を読んで頭をすっきりさせる
11:30 昼食(600~700kcal前後) & ニュースチェック
13:00 勉強開始
17:00 休憩から夕食準備へ
18:00 夕食(400~500kcal前後)
19:00 散歩 and 簡単な筋トレ
20:15 シャワー
21:00 一日を振り返り30thouに書きこむ
22:00 明日することを考えながらtwitterにカロリー報告をする
22:30 ニュースチェック(RSS)をしつつ就寝
これが最近の生活リズムです。
さて、勉強時間を見てみると明らかに大学院生になるような学生の勉強量ではありません。
これは反省すべきことです。
さらに、土曜日は午前中に中学校へ行き、夕方からは塾の仕事のために、ほとんど勉強が出来ていません。
去年に比べれば、勉強時間が確保できる状態であるのにも関わらずです。
どこをどう減らして、勉強時間確保していくべきでしょうか。
逆に、自分が良い点だと思っているのは、カロリー摂取と消費が大体定まってきたこと。
また、夜は炭水化物をなるべく避けるようにしています。
寒くもなってきたことがあり、最近は里芋と適当な野菜を煮て食べています。
前回に比べて、朝の散歩を辞めているので一日の消費量は、減少してしまいました。
しかし、朝の散歩は気分が良くなるのですが、早起きとその疲労感から眠気が時たま襲うことから取りやめています。
また、話は勉強時間に戻しますが、多くて8時間、少なくて4時間程度の勉強になってしまっています。
これは非常にマズいのですが、モチベーション的なものがなかなか保てません。
同じゼミ生は、よく勉強をしているので、ゼミの勉強に関しては良いのですが…。
その他の分野である、集合位相・代数学・ルベーグ積分…。ここの分野のモチベーションがなかなか保てません。
集合位相は、もうほぼ終わっているので、良いのですが…。
モチベーション云々、曰っているのは、心の弱さがどこかにあるのだと思います。さてはて、どうしたことでしょう。
こういうことを書いておかないと、後で自分が損をするので、残しておきます。
まずは、一日の大体の流れを書いてみます。
6:30 起床
7:00 朝食(400~500kcal前後) & ニュースチェック(NHKとRSSをまとめ読み)
8:30 勉強机に座り,一日することを考える
9:00 勉強開始 or 数学雑誌を読んで頭をすっきりさせる
11:30 昼食(600~700kcal前後) & ニュースチェック
13:00 勉強開始
17:00 休憩から夕食準備へ
18:00 夕食(400~500kcal前後)
19:00 散歩 and 簡単な筋トレ
20:15 シャワー
21:00 一日を振り返り30thouに書きこむ
22:00 明日することを考えながらtwitterにカロリー報告をする
22:30 ニュースチェック(RSS)をしつつ就寝
これが最近の生活リズムです。
さて、勉強時間を見てみると明らかに大学院生になるような学生の勉強量ではありません。
これは反省すべきことです。
さらに、土曜日は午前中に中学校へ行き、夕方からは塾の仕事のために、ほとんど勉強が出来ていません。
去年に比べれば、勉強時間が確保できる状態であるのにも関わらずです。
どこをどう減らして、勉強時間確保していくべきでしょうか。
逆に、自分が良い点だと思っているのは、カロリー摂取と消費が大体定まってきたこと。
また、夜は炭水化物をなるべく避けるようにしています。
寒くもなってきたことがあり、最近は里芋と適当な野菜を煮て食べています。
前回に比べて、朝の散歩を辞めているので一日の消費量は、減少してしまいました。
しかし、朝の散歩は気分が良くなるのですが、早起きとその疲労感から眠気が時たま襲うことから取りやめています。
また、話は勉強時間に戻しますが、多くて8時間、少なくて4時間程度の勉強になってしまっています。
これは非常にマズいのですが、モチベーション的なものがなかなか保てません。
同じゼミ生は、よく勉強をしているので、ゼミの勉強に関しては良いのですが…。
その他の分野である、集合位相・代数学・ルベーグ積分…。ここの分野のモチベーションがなかなか保てません。
集合位相は、もうほぼ終わっているので、良いのですが…。
モチベーション云々、曰っているのは、心の弱さがどこかにあるのだと思います。さてはて、どうしたことでしょう。
こういうことを書いておかないと、後で自分が損をするので、残しておきます。
2011年10月7日金曜日
ご無沙汰しております。
またまた、近況報告ぐらいですが、最近思ったこともついでに書いてみたいと思います。
健康生活も始めて、2ヶ月になりました。
体重は、最初の1ヶ月で激減しましたが、それ以降なかなか思うようには減ってくれません。
がしかし、ジョギングを10分連続して出来るぐらいには、筋力と体力が戻って来ました。
中学校最初の部活から1ヶ月ぐらい経った頃を思い出します。
まだまだ続けていきます。ちゃんとカロリーも計算して、運動もしているので、大きなリバウンドは無いはずです。
就職する頃には、標準体重よりちょっと重いぐらいになっているといいなと思ってます。
そして、大学院進学ですが、色々家族周辺のことも含めて問題がありました。
今までの23年間を感謝し、自分自身でこれからは切り開いて行かなければならないことを再度認識しました。
奨学金の申請をするための提出用紙の項目を埋めるたびに、それをまた実感しました。
遅かれ早かれ、こういうことを経験することにはなるはずです。
寧ろこのタイミングで良かったのかも知れないと考えることにします。
そんなこともあってか、勉強はあまり捗っていません。もちろんゼミの勉強はしています。
しかし、それ以上のこと(やらなければならないこと)を出来ていません。
大失態です。偉そうに大学院進学などと言っている場合ではないです。
ちゃんとした力を持って、大学院に進まなければ、今の研究室の先生にも迷惑がかかります。
不安なことも多いですが、目の前のやることをやり抜かなければいけません。
何度か、twitterの方にも書いた言葉ですが。
勉強は、すぐに実るわけではないと思っています。根気強くやらなければいけません。
座学から逃げて、活動に身を挺するにももちろん良いのかも知れませんが、それは進学を前にすることではないはずです。
進学をしない人でも、両方の良いバランスを取らなければいけないはずです。
体を動かす活動・運動は、それだけで何かをした気になってしまいがちですからね。
自分自身もそうだった。今もそうなりかけている。目の前の物から逃げようとしている。
それをすれば、結局大したことのない結果を生むことになるのは分かっています。
やるべきことをちゃんと見つめること。もう暗示みたいな日記ですね…。
---
そして、最近感じたことです。
本や教科書を読んでいると、その物語の世界へどれだけ入れているのかがとても重要です。
小説にしても、数学にしてもそうだと最近思うようになりました。
作者が伝えたいことが、ほんの少し隠れてあれば、それを感じ取ることが出来なければ、その本の味を全て引き出せていないのです。
よく数学では、分からないところが1行ぐらいあった時に、悩みます。
悩んで悩みますが、もちろんその前後も読んで見るわけです。しかし、何を言っているか分からない時や、その間が分からない時がよくあります。
それでも粘った時に、ようやくその前後が何故書かれているのか、どうしてこの作者はこう書いたのかが分かる時があります。
その機会が増えるにつれて思うのですが、この考え・分かるまでの時間が短いほど、その世界に入り込めれいるのではないかと感じるようになりました。
また、最近は論文(電子ジャーナル)を読むこともちょっと多くなりました。
すごい便利な世の中なんですね…。ほとんどの論文がインターネットを通じて(大学であれば)閲覧・ダウンロードができます。
そんなこんなで思うことは、語学の基礎は、ある程度までやっておくべきだということです。
最近ドイツ語の論文(数ページですが)を読む機会があったのですが、私はドイツ語を全く知りません。
文法の基礎も知らないので、読むことなんて到底無理。
なので、書いてある数式と重要そうな単語だけ調べて、流れをみただけになりました。
その論文は、直接重要なわけではなく、主要な論文の途中にある式変形の参考になる論文だったので、それで良かったのですが、今後このような機会が増えれば増えるほど…。
そう考えると、フランス語・ドイツ語ぐらいは、ちょっと勉強してみようかなと思いました。
もちろん、文法の基本をちょっと学ぶぐらいですね。
ただ、今は数学をすべき状況なので、実家に帰るときなどにしておこうと思います。
父親のドイツ語の辞書もあったように思いますし…。
それでは、また。
またまた、近況報告ぐらいですが、最近思ったこともついでに書いてみたいと思います。
健康生活も始めて、2ヶ月になりました。
体重は、最初の1ヶ月で激減しましたが、それ以降なかなか思うようには減ってくれません。
がしかし、ジョギングを10分連続して出来るぐらいには、筋力と体力が戻って来ました。
中学校最初の部活から1ヶ月ぐらい経った頃を思い出します。
まだまだ続けていきます。ちゃんとカロリーも計算して、運動もしているので、大きなリバウンドは無いはずです。
就職する頃には、標準体重よりちょっと重いぐらいになっているといいなと思ってます。
そして、大学院進学ですが、色々家族周辺のことも含めて問題がありました。
今までの23年間を感謝し、自分自身でこれからは切り開いて行かなければならないことを再度認識しました。
奨学金の申請をするための提出用紙の項目を埋めるたびに、それをまた実感しました。
遅かれ早かれ、こういうことを経験することにはなるはずです。
寧ろこのタイミングで良かったのかも知れないと考えることにします。
そんなこともあってか、勉強はあまり捗っていません。もちろんゼミの勉強はしています。
しかし、それ以上のこと(やらなければならないこと)を出来ていません。
大失態です。偉そうに大学院進学などと言っている場合ではないです。
ちゃんとした力を持って、大学院に進まなければ、今の研究室の先生にも迷惑がかかります。
不安なことも多いですが、目の前のやることをやり抜かなければいけません。
何度か、twitterの方にも書いた言葉ですが。
勉強は、すぐに実るわけではないと思っています。根気強くやらなければいけません。
座学から逃げて、活動に身を挺するにももちろん良いのかも知れませんが、それは進学を前にすることではないはずです。
進学をしない人でも、両方の良いバランスを取らなければいけないはずです。
体を動かす活動・運動は、それだけで何かをした気になってしまいがちですからね。
自分自身もそうだった。今もそうなりかけている。目の前の物から逃げようとしている。
それをすれば、結局大したことのない結果を生むことになるのは分かっています。
やるべきことをちゃんと見つめること。もう暗示みたいな日記ですね…。
---
そして、最近感じたことです。
本や教科書を読んでいると、その物語の世界へどれだけ入れているのかがとても重要です。
小説にしても、数学にしてもそうだと最近思うようになりました。
作者が伝えたいことが、ほんの少し隠れてあれば、それを感じ取ることが出来なければ、その本の味を全て引き出せていないのです。
よく数学では、分からないところが1行ぐらいあった時に、悩みます。
悩んで悩みますが、もちろんその前後も読んで見るわけです。しかし、何を言っているか分からない時や、その間が分からない時がよくあります。
それでも粘った時に、ようやくその前後が何故書かれているのか、どうしてこの作者はこう書いたのかが分かる時があります。
その機会が増えるにつれて思うのですが、この考え・分かるまでの時間が短いほど、その世界に入り込めれいるのではないかと感じるようになりました。
また、最近は論文(電子ジャーナル)を読むこともちょっと多くなりました。
すごい便利な世の中なんですね…。ほとんどの論文がインターネットを通じて(大学であれば)閲覧・ダウンロードができます。
そんなこんなで思うことは、語学の基礎は、ある程度までやっておくべきだということです。
最近ドイツ語の論文(数ページですが)を読む機会があったのですが、私はドイツ語を全く知りません。
文法の基礎も知らないので、読むことなんて到底無理。
なので、書いてある数式と重要そうな単語だけ調べて、流れをみただけになりました。
その論文は、直接重要なわけではなく、主要な論文の途中にある式変形の参考になる論文だったので、それで良かったのですが、今後このような機会が増えれば増えるほど…。
そう考えると、フランス語・ドイツ語ぐらいは、ちょっと勉強してみようかなと思いました。
もちろん、文法の基本をちょっと学ぶぐらいですね。
ただ、今は数学をすべき状況なので、実家に帰るときなどにしておこうと思います。
父親のドイツ語の辞書もあったように思いますし…。
それでは、また。
2011年9月20日火曜日
2011年9月13日火曜日
ゼミの反省
昨日のゼミの反省です。あまりにも酷かったこともあるので、自分の為にも残しておきます。
前々回のゼミにて出された課題について。
まず、予想をしたのは良いとは思うのだが、それに捕らわれ過ぎたのもある。
素直に収束する例、しない例を見つけることが出来たら良かった。
それに加えて、どういう時に収束するのか・発散するのかがわかればよかったのだが、簡単な問題ではなさそうである。
オイラー積とリーマンのゼータ関数を収束性と一意性について。
オイラー積とゼータ関数の関係については、もちろん知っていたのだが、それをちゃんと示したことが無かった。また、直感的なものをしっかりと示すことを怠っていた結果であり、直感的なものを疑わなかった結果でもある。
ちゃんとした理解をするためには、疑うこともしなければならない。
詳しい内容に興味がある方は、セミナーのページからダウンロード(8.pdf)してみてください。
昨日のゼミの反省です。あまりにも酷かったこともあるので、自分の為にも残しておきます。
前々回のゼミにて出された課題について。
まず、予想をしたのは良いとは思うのだが、それに捕らわれ過ぎたのもある。
素直に収束する例、しない例を見つけることが出来たら良かった。
それに加えて、どういう時に収束するのか・発散するのかがわかればよかったのだが、簡単な問題ではなさそうである。
オイラー積とリーマンのゼータ関数を収束性と一意性について。
オイラー積とゼータ関数の関係については、もちろん知っていたのだが、それをちゃんと示したことが無かった。また、直感的なものをしっかりと示すことを怠っていた結果であり、直感的なものを疑わなかった結果でもある。
ちゃんとした理解をするためには、疑うこともしなければならない。
詳しい内容に興味がある方は、セミナーのページからダウンロード(8.pdf)してみてください。
2011年9月3日土曜日
1ヶ月
あれから、おおよそ一ヶ月経ちました。
近況報告も含めて、昨日整理したことをまとめておきます。
・進学先の決定
名古屋大学大学院に進学が決定したようです。まだ、両親には伝えていません。
11月になると、愛知県の教員人材派遣に登録することが出来るようになるので、それからかなとは思っています。
ただ、名古屋大学のシラバスが来年の1月中旬にならないと確定しないそうなので、そこもどうしようかと考えているところです。
・パソコン(ネット)周りの整理
私はほとんど情報を得るために使っていたりするのですが(1割、2割ぐらいは遊んだりしますが(笑))、その情報を得るための手段がバラバラになっていて、情報にムラがあったりしました。
そこで、この情報はここから、あの情報はこちらからと整理整頓することにしました。
RSSも活用出来ていなかった部分が大きかったので、スパンっと変えました。
ただ、まだ情報量が多く無駄が見えるので、少しずつ削って、自分の必要な量を適切に得られるようにしましょう。
また、ほとんどのデータをパソコン自体に保存していることが多かったので、Googleなどと同期することによってクラウド化を図りました。
・勉強の進度
進学予定先の研究室の先生に現状報告とこれからの予定・目標を送りました。
返信も頂け、アドバイスも頂きました。
今後は、予定・目標をこなしつつ、現在の研究室の先生から課題などを貰えるように実力をつけるだけですね。
ただ、今までの予定通りに勉強が出来ていないので、そこは改善すべきです。
日によっては、勉強をしない日もあったので、それは不味いです。
・お知らせ
komath-site の 勉強時間記録(study)は、無駄でした。時間記録をするというのは、やはり受験生ならではのモチベーションなんでしょう…。
2011年8月21日日曜日
『高校数学・新課程勉強会2011』に参加してきました。
本日(2011.08.21)、青山学院大学にて開催されました『高校数学・新課程勉強会2011』に学生ながら参加して参りました。
勉強会ブログは、こちら(内容詳細)を参照してみてください。
感想ですが、まず「学生ながら」と思ったのは、会場に着いた時で、参加を決めた時には「学生の多いものだ」と勝手に思っていました。
しかし、実際には、学生はほんの一部であり、大半は大学教員・予備校講師・塾講師・高校教員と言った方がほとんどでした。
この勉強会に参加して、思ったことはたくさんあります。その中でも、やはり一番大きく思わなければいけないことは、同じ教員や、教える立場にあるもの同士が共通の意識と、情熱を持っていかなければならないと言うことです。
もちろん、全員がそのようなものを持てるわけではないでしょうが、少なくとも今回の勉強会に参加をした人数は居るのだ。やはり、情熱を持って、数学の知識をもって、教育に携わなければならない。
それを深く再確認をしました。
それでは、各講演内容を通しての感想をまとめて行こうと思います。
第一部
・新学習指導要領の概略とねらい
正直、私は学部3年生の頃に受けた授業の印象からも、文部科学省がやっている、この数学の目標やねらいがそんなに深く考えられたものではなく、お役所仕事のひとつなんだと言う風に思っていました。
私の周りにもそんな人は何人か居ました。
しかし、この講演を聞いて思ったのは、ひとつひとつ丁寧に言葉の意味をすくい上げると、どういう風に指導をしてもらいたいのか、また日本の数学をどうしていきたいのかが、盛り込まれていることが分かりました。
もちろん、それが全て実現をするわけではないのだけど、そういう基準が明確にあると言うことを私は今日知りました。(お恥ずかしい)
また、日本の数学の将来がやはり不安だと言うのは、みんなが思っていることだと思いました。
そのためにすべきこともある程度は、考えられている。それは確かにと思う反面、高校数学だけでは変わることができないなとも思えましたし、何しろ時間が足りない。
そう思えたのは、受験意識を中途半端にしてしまうから、こういう教育思考にならざるを得ない。
ゆっくり数学を学んでいけば、楽しさは見える機会が増えるが、受験に勝つことが出来なければ、進学校の看板は下ろさなければいけなくなる。
つまり受験システムも変えていかなければ、難しいのだろう。(特に統計が導入されたことで、今後が大きく変わるようだ。)
・「データの分析」授業で育む 分布に対する数理的視点と活用力
さて、ここで問題になったのは、やはり数学に必修として統計が入ってきたことだ。
例として、進学校では統計を3コマ程度で終わらせて(知識を詰め込むだけ?)、他のところに力を注ぐと言うもの。
受験を意識したら、確かにそうなる。数学Bでは、統計を使わなくても数列・ベクトルを使えばセンター試験は乗りきれる。
しかし、統計を入れたのは、数学に興味をもってもらいたいからであって、受験をしない生徒や数学を専攻しない生徒(特に経済・商学・工学)なら統計を学ばせるべきと言う意見もあった。
この調整が難しい…。
正直私は、統計学と真面目に勉強していないので、自分が教える立場になることが不安であった。
それは、現職の教職員でも多いようだった。
しかし、それをサポートする勉強会と言うのもあったそうだ。しかし、今は予算の関係で出来ないでいるそうで、今後がどうなるかが問題となる。
私はまだ2年学生を続けるので、ちょうど参考書や教科書は整地されてきているころだと思う。
頑張って勉強しなければならないとも思った。
第二部
・新課程高校数学 高等学校の対応
高校を過ごす中での数学のあり方を実際に感じる内容。
私もなんとなく思っていたことのいくつかを、ズバッと言ってくれる内容でした。
高校数学のほとんど全てのことが、記述の答案を基準にすることで分かるという感じで、確かにそう思う。
また、進学校と中高一貫校の教材選択についてもお話を聞くことが出来た。
やはり、ある程度の進学校では、友達の議論によって成長をするのだろう。
正直、私の出身である高校や、高知県ではそんな話をほとんど聞いたことが無い。
それは、受験の意識の問題もあるのだろう。私はこの関東に住んで4,5年になるが、受験意識が異常とも思えるほど高いことは常に感じてきた。
小学生・中学生・高校生。受験の渦の中心が東京にあるからではないだろうか。
もちろん関東以外にも受験の渦がある。受験の渦があるのは、ある程度の都会でないと、存在しないだろう。
都会だから、みんなが競争心を持っているように思える。(これは私見)
話が少しズレてしまったが、その友達との議論から自分の考えを伝える表現力を学び、ちゃんと論理的に正しいこととは何かを学べるのだと思う。
それが、数学の解答にちゃんと現れてくる。田舎であれば、その状況をどう作るか、目標をどう作るかが問題になってくるんだろう。
・新課程のセンター私見などの大学受験への影響と対策
これも、私が最近生徒によく感じたことを仰っていた。
私の勤め先である塾では、ほとんどの講師がそんなことはないと言う風に捉えており、私の教え方を批難するようなことも何度かあった。
しかし、やはり間違っていないことだと今回そう思えた。「数学とは何か。」「数学の本質とは。」をしっかり感じる・学ぶためには、質問し返したりすることが重要であり、何でも教えてあげるというのは、ダメなんだと言うこと。
私がやってきて、失敗だったことと言えば、厳しくしすぎたために生徒から逃げられることが多くなってしまったことだろう。
そこの駆け引きが上手く出来なかった、正確に言えば(言い訳をすれば)、去年度の受け持った生徒は、それでも立ち向かってくる生徒ばかりだったが、今年度持った何人かの生徒は、所謂数学暗記型が根強くあった。
勉強も、「解答を読むだけ」と言うのが多く、時間をかけて勉強すべきことを短時間でやり、どれだけの量をどれだけ短くやるかが念頭にあるように思える生徒ばかりだった。
私は、それを上手く伝える術を知らず、丁寧にひとつずつ否定を確認していったから、生徒から見れば、数学を教えてくれない先生だったのだろう。
しかし、今日の講演で残った言葉として『「教えないでいい」ものは教えない。』というもの。
例えば、一度教えた数学Ⅲなどの微分・積分の計算。自分で復習すれば分かるものを、丁寧に一から教える必要は無いと言うことだ。
まずいのは、なんでも教えてあげる先生だと言うこと。そこの駆け引きをもっと上手くしないと、生徒から逃げられるだけになる。
それを上手くするのが、私の課題かも知れない。私は、ちょっと極端すぎたのだ…。
以上です。非常に充実した、5時間でした。
---
以下、青山学院大学の感想。
表参道駅から歩いたのですが、オシャレな街に溶け込んでましたね。
歩いている人もみんなオシャレでした。(何を基準にオシャレと言っているのか分かりませんが)
そして、大学。入り口と壁は、大学だなーと言う感じでしたが、入ると異国の匂いを漂わせるキャンパスでした。
しかし、とても大学っぽくはあり、少しでしたがキャンパスライフを感じました。
また、機会があればお邪魔しにいくのかも知れません。
本日(2011.08.21)、青山学院大学にて開催されました『高校数学・新課程勉強会2011』に学生ながら参加して参りました。
勉強会ブログは、こちら(内容詳細)を参照してみてください。
感想ですが、まず「学生ながら」と思ったのは、会場に着いた時で、参加を決めた時には「学生の多いものだ」と勝手に思っていました。
しかし、実際には、学生はほんの一部であり、大半は大学教員・予備校講師・塾講師・高校教員と言った方がほとんどでした。
この勉強会に参加して、思ったことはたくさんあります。その中でも、やはり一番大きく思わなければいけないことは、同じ教員や、教える立場にあるもの同士が共通の意識と、情熱を持っていかなければならないと言うことです。
もちろん、全員がそのようなものを持てるわけではないでしょうが、少なくとも今回の勉強会に参加をした人数は居るのだ。やはり、情熱を持って、数学の知識をもって、教育に携わなければならない。
それを深く再確認をしました。
それでは、各講演内容を通しての感想をまとめて行こうと思います。
第一部
・新学習指導要領の概略とねらい
正直、私は学部3年生の頃に受けた授業の印象からも、文部科学省がやっている、この数学の目標やねらいがそんなに深く考えられたものではなく、お役所仕事のひとつなんだと言う風に思っていました。
私の周りにもそんな人は何人か居ました。
しかし、この講演を聞いて思ったのは、ひとつひとつ丁寧に言葉の意味をすくい上げると、どういう風に指導をしてもらいたいのか、また日本の数学をどうしていきたいのかが、盛り込まれていることが分かりました。
もちろん、それが全て実現をするわけではないのだけど、そういう基準が明確にあると言うことを私は今日知りました。(お恥ずかしい)
また、日本の数学の将来がやはり不安だと言うのは、みんなが思っていることだと思いました。
そのためにすべきこともある程度は、考えられている。それは確かにと思う反面、高校数学だけでは変わることができないなとも思えましたし、何しろ時間が足りない。
そう思えたのは、受験意識を中途半端にしてしまうから、こういう教育思考にならざるを得ない。
ゆっくり数学を学んでいけば、楽しさは見える機会が増えるが、受験に勝つことが出来なければ、進学校の看板は下ろさなければいけなくなる。
つまり受験システムも変えていかなければ、難しいのだろう。(特に統計が導入されたことで、今後が大きく変わるようだ。)
・「データの分析」授業で育む 分布に対する数理的視点と活用力
さて、ここで問題になったのは、やはり数学に必修として統計が入ってきたことだ。
例として、進学校では統計を3コマ程度で終わらせて(知識を詰め込むだけ?)、他のところに力を注ぐと言うもの。
受験を意識したら、確かにそうなる。数学Bでは、統計を使わなくても数列・ベクトルを使えばセンター試験は乗りきれる。
しかし、統計を入れたのは、数学に興味をもってもらいたいからであって、受験をしない生徒や数学を専攻しない生徒(特に経済・商学・工学)なら統計を学ばせるべきと言う意見もあった。
この調整が難しい…。
正直私は、統計学と真面目に勉強していないので、自分が教える立場になることが不安であった。
それは、現職の教職員でも多いようだった。
しかし、それをサポートする勉強会と言うのもあったそうだ。しかし、今は予算の関係で出来ないでいるそうで、今後がどうなるかが問題となる。
私はまだ2年学生を続けるので、ちょうど参考書や教科書は整地されてきているころだと思う。
頑張って勉強しなければならないとも思った。
第二部
・新課程高校数学 高等学校の対応
高校を過ごす中での数学のあり方を実際に感じる内容。
私もなんとなく思っていたことのいくつかを、ズバッと言ってくれる内容でした。
高校数学のほとんど全てのことが、記述の答案を基準にすることで分かるという感じで、確かにそう思う。
また、進学校と中高一貫校の教材選択についてもお話を聞くことが出来た。
やはり、ある程度の進学校では、友達の議論によって成長をするのだろう。
正直、私の出身である高校や、高知県ではそんな話をほとんど聞いたことが無い。
それは、受験の意識の問題もあるのだろう。私はこの関東に住んで4,5年になるが、受験意識が異常とも思えるほど高いことは常に感じてきた。
小学生・中学生・高校生。受験の渦の中心が東京にあるからではないだろうか。
もちろん関東以外にも受験の渦がある。受験の渦があるのは、ある程度の都会でないと、存在しないだろう。
都会だから、みんなが競争心を持っているように思える。(これは私見)
話が少しズレてしまったが、その友達との議論から自分の考えを伝える表現力を学び、ちゃんと論理的に正しいこととは何かを学べるのだと思う。
それが、数学の解答にちゃんと現れてくる。田舎であれば、その状況をどう作るか、目標をどう作るかが問題になってくるんだろう。
・新課程のセンター私見などの大学受験への影響と対策
これも、私が最近生徒によく感じたことを仰っていた。
私の勤め先である塾では、ほとんどの講師がそんなことはないと言う風に捉えており、私の教え方を批難するようなことも何度かあった。
しかし、やはり間違っていないことだと今回そう思えた。「数学とは何か。」「数学の本質とは。」をしっかり感じる・学ぶためには、質問し返したりすることが重要であり、何でも教えてあげるというのは、ダメなんだと言うこと。
私がやってきて、失敗だったことと言えば、厳しくしすぎたために生徒から逃げられることが多くなってしまったことだろう。
そこの駆け引きが上手く出来なかった、正確に言えば(言い訳をすれば)、去年度の受け持った生徒は、それでも立ち向かってくる生徒ばかりだったが、今年度持った何人かの生徒は、所謂数学暗記型が根強くあった。
勉強も、「解答を読むだけ」と言うのが多く、時間をかけて勉強すべきことを短時間でやり、どれだけの量をどれだけ短くやるかが念頭にあるように思える生徒ばかりだった。
私は、それを上手く伝える術を知らず、丁寧にひとつずつ否定を確認していったから、生徒から見れば、数学を教えてくれない先生だったのだろう。
しかし、今日の講演で残った言葉として『「教えないでいい」ものは教えない。』というもの。
例えば、一度教えた数学Ⅲなどの微分・積分の計算。自分で復習すれば分かるものを、丁寧に一から教える必要は無いと言うことだ。
まずいのは、なんでも教えてあげる先生だと言うこと。そこの駆け引きをもっと上手くしないと、生徒から逃げられるだけになる。
それを上手くするのが、私の課題かも知れない。私は、ちょっと極端すぎたのだ…。
以上です。非常に充実した、5時間でした。
---
以下、青山学院大学の感想。
表参道駅から歩いたのですが、オシャレな街に溶け込んでましたね。
歩いている人もみんなオシャレでした。(何を基準にオシャレと言っているのか分かりませんが)
そして、大学。入り口と壁は、大学だなーと言う感じでしたが、入ると異国の匂いを漂わせるキャンパスでした。
しかし、とても大学っぽくはあり、少しでしたがキャンパスライフを感じました。
また、機会があればお邪魔しにいくのかも知れません。
2011年8月12日金曜日
ここ一週間
実は、新しい生活を始めていました。
新しい生活と言うと大げさですが、生活リズムです。
とりあえず、一週間続きましたので、ここに書くことにします。
これで、今後も続けられることを誓いたいと思います(笑)
5:00ごろ 起床
5:05ごろ 散歩 (5km/h)
6:05ごろ 帰宅,シャワーを浴びる
6:40ごろ 朝食の準備
7:00 ご飯が炊ける (1.5合)
7:10ごろ 朝食
7:40ごろ 片付け,洗濯機を回す
8:30ごろ 洗濯物を干す
9:00ごろ ネット巡回
10:00 勉強 (線形代数学)
12:00ごろ 昼食
13:00 勉強 (集合位相)
15:30ごろ 読書 (数学雑学)
17:00ごろ ネット巡回
18:00 夕食
18:30 片付け,明日の仕込み
19:00ごろ 散歩 (5km/h)
20:00ごろ 帰宅,シャワーを浴びる
20:30ごろ ネット巡回
21:30ごろ 生活記録をつける
22:00ごろ 布団に入る
大まかに書くとこんな感じです。
大きく変わったのは、それぞれの食事・運動のカロリー計算を始めました。
そして、今までは適当に3合ぐらいご飯を炊いていたのを1.5合に減らし必要以上のカロリーを摂らないようにしました。(まぁダイエットですね(笑))
今月中に勉強もある程度区切りがつくといいなと思ってますけど、どうなることやら。
結構カロリー計算なんかは、楽しかったです。
散歩もラジオ(podcast)が無かったら続けられそうになかったです。
これが日課になるように…。
---
もちろん勉強は、毎日続けられたら嬉しいんですが、たまに出来ていない日もあります。
ただし、それ以外はちゃんとやってます。いや、勉強もせねばならんのだが。
実は、新しい生活を始めていました。
新しい生活と言うと大げさですが、生活リズムです。
とりあえず、一週間続きましたので、ここに書くことにします。
これで、今後も続けられることを誓いたいと思います(笑)
5:00ごろ 起床
5:05ごろ 散歩 (5km/h)
6:05ごろ 帰宅,シャワーを浴びる
6:40ごろ 朝食の準備
7:00 ご飯が炊ける (1.5合)
7:10ごろ 朝食
7:40ごろ 片付け,洗濯機を回す
8:30ごろ 洗濯物を干す
9:00ごろ ネット巡回
10:00 勉強 (線形代数学)
12:00ごろ 昼食
13:00 勉強 (集合位相)
15:30ごろ 読書 (数学雑学)
17:00ごろ ネット巡回
18:00 夕食
18:30 片付け,明日の仕込み
19:00ごろ 散歩 (5km/h)
20:00ごろ 帰宅,シャワーを浴びる
20:30ごろ ネット巡回
21:30ごろ 生活記録をつける
22:00ごろ 布団に入る
大まかに書くとこんな感じです。
大きく変わったのは、それぞれの食事・運動のカロリー計算を始めました。
そして、今までは適当に3合ぐらいご飯を炊いていたのを1.5合に減らし必要以上のカロリーを摂らないようにしました。(まぁダイエットですね(笑))
今月中に勉強もある程度区切りがつくといいなと思ってますけど、どうなることやら。
結構カロリー計算なんかは、楽しかったです。
散歩もラジオ(podcast)が無かったら続けられそうになかったです。
これが日課になるように…。
---
もちろん勉強は、毎日続けられたら嬉しいんですが、たまに出来ていない日もあります。
ただし、それ以外はちゃんとやってます。いや、勉強もせねばならんのだが。
2011年8月1日月曜日
ホームページ
一般公開致しました。完全に自分のメモ帳変わりにもなっていますが、そのうち利点を見つけ、使いこなせるのではないかと思っています。
友人にも、必要あるの?と言われましたが…。
ちなみに本当は、20110921に公開予定(23歳になる日)でしたが、素数ではなかったのと
先延ばしにする意味があまりないことを踏まえて20110801(素数)にしました。
素数だったら嬉しいというのは、まだまだ本気ではないので、本気になれるように頑張りましょう。
リンクは、右側のプロフィールにもありますが、こちらにも紹介しておきます。
komath-site (my home page)
一般公開致しました。完全に自分のメモ帳変わりにもなっていますが、そのうち利点を見つけ、使いこなせるのではないかと思っています。
友人にも、必要あるの?と言われましたが…。
ちなみに本当は、20110921に公開予定(23歳になる日)でしたが、素数ではなかったのと
先延ばしにする意味があまりないことを踏まえて20110801(素数)にしました。
素数だったら嬉しいというのは、まだまだ本気ではないので、本気になれるように頑張りましょう。
リンクは、右側のプロフィールにもありますが、こちらにも紹介しておきます。
komath-site (my home page)
2011年7月29日金曜日
今後やるべきこと、特にこの夏ですね。
勉強面以外でも、たくさんすることはあるのですが、それはまた追って書くとして、今回は特に大学以降の数学に関することにしておきます。
まず、7月23日に受験した名古屋大学大学院多元数理科学研究科に、ギリギリで合格をしたと感じたのは、回りの解答の早さに圧倒されたのもありましたが、それよりも自分の解答力に不安に思えたからです。
もちろん、論理的に飛躍があるとか、そんなことはまずないはずなのですが、もしかすると不味い部分があったのではないか。間違えた議論を続けて、どうにか答えにたどり着いたのではないかといった部分がいくつかあった。
特に、位相・集合論は理解をしていても、記述方法がまだまだしっかりしていないことが学部2年以降常に感じている。意味を理解していても、それをしっかりと論理的に組み立てて表現できなければ、それは数学と言えない。
また、線形代数学においても、計算量から逃げていることが多かったから、少し知識的に不安になる部分も多い。計算結果によって、次への対処を変えると言うことがまだ出来ていない部分が多いだろう。
そして、代数学。講義は全て受けてきたが、疎かにしている部分がはっきりと多くある。今後整数論を相手にしていくのだから、代数学もある程度の力を持つことは必要不可欠なはずである。
以上の3つから、復習中心の勉強として
さらに、発展を目指すために、代数学であれば類体論まで広げて、関数論であれば、整数論依りのものを理解することにしたい。また、そこからゼータ関数に関することを広げていかなければならない。これはこの夏だけではもちろん終わらないが、自分自身のためやるべきことだ。
勉強面以外でも、たくさんすることはあるのですが、それはまた追って書くとして、今回は特に大学以降の数学に関することにしておきます。
まず、7月23日に受験した名古屋大学大学院多元数理科学研究科に、ギリギリで合格をしたと感じたのは、回りの解答の早さに圧倒されたのもありましたが、それよりも自分の解答力に不安に思えたからです。
もちろん、論理的に飛躍があるとか、そんなことはまずないはずなのですが、もしかすると不味い部分があったのではないか。間違えた議論を続けて、どうにか答えにたどり着いたのではないかといった部分がいくつかあった。
特に、位相・集合論は理解をしていても、記述方法がまだまだしっかりしていないことが学部2年以降常に感じている。意味を理解していても、それをしっかりと論理的に組み立てて表現できなければ、それは数学と言えない。
また、線形代数学においても、計算量から逃げていることが多かったから、少し知識的に不安になる部分も多い。計算結果によって、次への対処を変えると言うことがまだ出来ていない部分が多いだろう。
そして、代数学。講義は全て受けてきたが、疎かにしている部分がはっきりと多くある。今後整数論を相手にしていくのだから、代数学もある程度の力を持つことは必要不可欠なはずである。
以上の3つから、復習中心の勉強として
- 森田茂之『集合と位相空間』の問題演習
- 斎藤正彦『線形代数演習』の問題演習
- 松坂和夫『代数系入門』を読む
さらに、発展を目指すために、代数学であれば類体論まで広げて、関数論であれば、整数論依りのものを理解することにしたい。また、そこからゼータ関数に関することを広げていかなければならない。これはこの夏だけではもちろん終わらないが、自分自身のためやるべきことだ。
- 河田敬義『数論(古典数論から類体論へ)』を読む
- 竜沢周雄『関数論』を読む
- 本橋洋一『解析的整数論Ⅰ・Ⅱ』を読む
- Ahlfors『Complex Analysis』を読む
- E.C Tichmarsh『Theory of the Riemann Zeta-Function』を読む
行くことになるであろう、大学院には私がその下で勉強したいと思っている先生が居る。その先生にアポイントを取り、そこで具体的に決まるだろう。
まずは、今年の8月31日までに前半を確実に終わらせられるように日々勉強に励むことだ。
もちろん、まだ残っている院試に向けてもしっかりと準備をしなければならない。
がんばろう。
2011年7月24日日曜日
大学院入試 名古屋大学大学院多元数理科学研究科
7月23日が試験でした。試験内容については、問題をあげてよいものか分からないので、とりあえず試験日に手応えをツイートしたので、その内容をこちらにも書いておきます。
以下twilog 7.23の18時46分頃からの3ツイートを引用。
午前は、相変わらずの計算量でしたが、過去問にほぼ同じ物(特に問3とか)があったので、簡単に感じました。
午後は、分からない物は、やはり分からず。問3の複素関数論が確実に取れた以外は、微妙な感じでしたね。
本日7月24日に合格発表がありまして、無事合格を致しました。
が、最後にも書いているように、やはり勉強不足であることがしっかりと分かりました。
本日、プレアドバイザーの先生にもアドバイスを頂きましたし、残り半年とちょっとをしっかり過ごして、予備テストを突破出来るようにしたいところです。
これから半年、どんな勉強をするかは大雑把には決めていますが、来月の院試が終わったらしっかりと決めたいと思います。
今は、来月の院試と、ゼミの内容をしっかりと打ち込むことにします。
それでは、また。
7月23日が試験でした。試験内容については、問題をあげてよいものか分からないので、とりあえず試験日に手応えをツイートしたので、その内容をこちらにも書いておきます。
以下twilog 7.23の18時46分頃からの3ツイートを引用。
午前はなんだこれ、簡単過ぎじゃね?と思うも問4(1)以外は埋めたが…計算ミス、論理ミスがあるみたい。周りの人と違う…。相変わらずの計算量でしたね。悪くても6割は取れてるかな。良ければ9割か。
午後は、完全に忘れた問2を高校レベルまで落として解くも…微妙。問4も誤魔化しながら解いた。問1(1)が何故か溶けなかったが、他は一通り書いた。まぁ良ければ5,6割かな。悪ければ問3プラスアルファの3割か。
まぁ受かるか受からないか微妙なラインだと思う。隣近所は、かなり余裕で解いていて、やはり勉強をしっかりしていないのだと自覚した。受かった、受からなかったに関係なくやるべきことはたくさん見えた。温室にぬくぬくいちゃダメだ。大雑把な感じですね。けど、手応えは本当にこんな感じでした。
午前は、相変わらずの計算量でしたが、過去問にほぼ同じ物(特に問3とか)があったので、簡単に感じました。
午後は、分からない物は、やはり分からず。問3の複素関数論が確実に取れた以外は、微妙な感じでしたね。
本日7月24日に合格発表がありまして、無事合格を致しました。
が、最後にも書いているように、やはり勉強不足であることがしっかりと分かりました。
本日、プレアドバイザーの先生にもアドバイスを頂きましたし、残り半年とちょっとをしっかり過ごして、予備テストを突破出来るようにしたいところです。
これから半年、どんな勉強をするかは大雑把には決めていますが、来月の院試が終わったらしっかりと決めたいと思います。
今は、来月の院試と、ゼミの内容をしっかりと打ち込むことにします。
それでは、また。
2011年7月15日金曜日
自然対数の底
について
理系や、数学Ⅲまで習った人なら、この
の定義について問われると、なんだかよく分からないけど、何かの極限値だった気がすると思うのではないだろうか。
ある程度勉強した人なら、あの形が極限の問題に出てくることがあるので、覚えなければならないと躍起になって暗記している、または暗記したのではないだろうか。
しかし、定義だからと言って何もかも覚えるのでは面白く無いだろうし、『何かの値に近づくことが分かるよね。』と教科書には書いているが、それが実際に収束するか、どうかなんて分からないのが極限だったはずなのだ。
例えば、
この級数は発散するが、
この級数は収束する。
ちょっと値を入れただけで、収束するかしないかなど到底言えないことは、伝えられてきた、習ってきたはずなのに、何故自然対数の底
では、そう教えられてしまうのか。
これには、この後で扱う問題が比較的解きやすくなるなどの実例があるから高校数学に盛り込まざるを得なかったからであろうと思う。
現状の数学教育では仕方の無いことで、そこをとやかく言うつもりは無い。
では、今回はこの後出てくる
や対数微分を習ったところで、この自然対数の底について考え直し、極限の形を覚える必要がなくなることを伝えたいと思う。
これは比較的簡単に見つけることができるので、この話は受験生は是非覚えておいたほうがいい。実際極限の収束・発散は、いくつか覚えなければならないことが多すぎて嫌になるが、大半は先の話を知っていれば、覚える必要は特にないのだ。
それでは、この自然対数の底
について、3つのアプローチを考えてみた。もちろん本質的には同じだが…。
1.微分係数との比較
2.
を微分の定義にしたがって微分する。
ここまで来れば,後はいつもやっているただの微分公式と見比べれば,
に収束している場所が分かるでしょう.
これぐらいでしょうか。もちろん、これらは単独で問題となることもありえますが…。
覚えるという感覚では無くなる気がします。
本質的な部分では、もっと違う方面から出てきそうですが…。まぁ覚えるよりは良いとは思うような気がしないでもないです。
の微分を定義通りにやっても同じ式が出せますが、こちらは小々遠回りな気がしないでもないです。もちろんこっちの方が本質っぽさはある気がします。
理系や、数学Ⅲまで習った人なら、この
ある程度勉強した人なら、あの形が極限の問題に出てくることがあるので、覚えなければならないと躍起になって暗記している、または暗記したのではないだろうか。
しかし、定義だからと言って何もかも覚えるのでは面白く無いだろうし、『何かの値に近づくことが分かるよね。』と教科書には書いているが、それが実際に収束するか、どうかなんて分からないのが極限だったはずなのだ。
例えば、
ちょっと値を入れただけで、収束するかしないかなど到底言えないことは、伝えられてきた、習ってきたはずなのに、何故自然対数の底
これには、この後で扱う問題が比較的解きやすくなるなどの実例があるから高校数学に盛り込まざるを得なかったからであろうと思う。
現状の数学教育では仕方の無いことで、そこをとやかく言うつもりは無い。
では、今回はこの後出てくる
これは比較的簡単に見つけることができるので、この話は受験生は是非覚えておいたほうがいい。実際極限の収束・発散は、いくつか覚えなければならないことが多すぎて嫌になるが、大半は先の話を知っていれば、覚える必要は特にないのだ。
それでは、この自然対数の底
1.微分係数との比較
2.
ここまで来れば,後はいつもやっているただの微分公式と見比べれば,
これぐらいでしょうか。もちろん、これらは単独で問題となることもありえますが…。
覚えるという感覚では無くなる気がします。
本質的な部分では、もっと違う方面から出てきそうですが…。まぁ覚えるよりは良いとは思うような気がしないでもないです。
2011年7月8日金曜日
『超難問入試の「挑戦枠」、大阪大が理学部に』
掲載元:読売新聞
この記事について、私なりに考えてみたことと、mixiなどでの個人の反応について少し考えてみようと思います。
これを見たとき初めに思ったのは、「東工大AO入試の二番煎じ…?」
けど、実際に読んで見ると、一発勝負というわけでもないので、東工大AOとは微妙に違っているみたいですね。
しかし、東工大AOは2012年度から廃止されるようになりましたよね。その理由には、数学だけが出来ても留年してしまう学生が多かったとか、その入試問題作成・採点の労力に見合わなかったとか。また、数学上位者でも、大体は東大・京大へ入学することを考えている人が多いなど…。評判があまりよくなかったみたいです。
さて、その状態と同じことがこれでも起こりそうですよね…。
けれども、ある一定の基準(センター試験)があるだろうから、そこまで問題にならないのかも知れませんね。
とりあえず問題のレベルと合格ラインによるでしょう。難問でも、最低何人を取るとかなら主旨がズレてるから辞めたほうがいいと思いますけど…。
それでは、mixiなどに見たみなさんの反応をちょっと箇条書きにしてみてみましょう。
・人間が作った問題だから、答えが決まっている奇問なだけ。
・与えられた問題を解く能力ではなくて問題を発見する能力が求められている。
・知識馬鹿頭でっかち養成所。
・これって塾に行ってないような人は圧倒的に不利だよね!
・初めから解答のない問題を出してほしい
などなど。
みなさん、研究者を意識してか、望んでることが物凄い高いと思いますが…。
昔みたいに、大学に入る前から専門書を読み嗜んでる人なんてほんの一部なんじゃないでしょうかね。
後「大学」に勉強をすると言う意識で来ていない人が多いのも事実。
それを考えると、確かに言ってることは全部あたってる気がしますねー。
「大学のカリキュラム」や、日本の教育を変えない限り、日本の研究者は本当に少なくなるんじゃないでしょうかね。
学費をもっと安くしてくれってのが、願いですけどね…。海外の大学院に目移りしてしまう…。
まぁいずれにせよ、出題される問題を見ない限りは、あまり語れませんね。2013年度入試を待ちましょう。
なんか中途半端に終ってしまいますが、また将来これを見直すことにしましょう。
大阪大は7日、2013年度入試の2次試験(前期日程)で、通常の試験科目に加えて難易度の高い数学・理科の試験を課する「挑戦枠」を理学部に設けると発表した。
与えられた知識の吸収だけで満足せず、自分なりに粘り強く考えて学問に取り組める理数系学生の獲得が狙いという。
挑戦枠は、理学部の定員255人のうち、3学科と1コースで計37人以内。1日目は一般枠と同様に数学や理科、外国語を受験し、2日目に数学科志望者は専門数学、物理学科は専門理科の物理、化学科は専門理科の化学、生物科学科生命理学コースは物理か化学のどちらかに取り組む。
「チャレンジ精神」に応えるため、挑戦枠で合格しなかった場合は救済措置として、一般枠の科目の得点で改めて合否判定される。
掲載元:読売新聞
この記事について、私なりに考えてみたことと、mixiなどでの個人の反応について少し考えてみようと思います。
これを見たとき初めに思ったのは、「東工大AO入試の二番煎じ…?」
けど、実際に読んで見ると、一発勝負というわけでもないので、東工大AOとは微妙に違っているみたいですね。
しかし、東工大AOは2012年度から廃止されるようになりましたよね。その理由には、数学だけが出来ても留年してしまう学生が多かったとか、その入試問題作成・採点の労力に見合わなかったとか。また、数学上位者でも、大体は東大・京大へ入学することを考えている人が多いなど…。評判があまりよくなかったみたいです。
さて、その状態と同じことがこれでも起こりそうですよね…。
けれども、ある一定の基準(センター試験)があるだろうから、そこまで問題にならないのかも知れませんね。
とりあえず問題のレベルと合格ラインによるでしょう。難問でも、最低何人を取るとかなら主旨がズレてるから辞めたほうがいいと思いますけど…。
それでは、mixiなどに見たみなさんの反応をちょっと箇条書きにしてみてみましょう。
・人間が作った問題だから、答えが決まっている奇問なだけ。
・与えられた問題を解く能力ではなくて問題を発見する能力が求められている。
・知識馬鹿頭でっかち養成所。
・これって塾に行ってないような人は圧倒的に不利だよね!
・初めから解答のない問題を出してほしい
などなど。
みなさん、研究者を意識してか、望んでることが物凄い高いと思いますが…。
昔みたいに、大学に入る前から専門書を読み嗜んでる人なんてほんの一部なんじゃないでしょうかね。
後「大学」に勉強をすると言う意識で来ていない人が多いのも事実。
それを考えると、確かに言ってることは全部あたってる気がしますねー。
「大学のカリキュラム」や、日本の教育を変えない限り、日本の研究者は本当に少なくなるんじゃないでしょうかね。
学費をもっと安くしてくれってのが、願いですけどね…。海外の大学院に目移りしてしまう…。
まぁいずれにせよ、出題される問題を見ない限りは、あまり語れませんね。2013年度入試を待ちましょう。
なんか中途半端に終ってしまいますが、また将来これを見直すことにしましょう。
2011年7月4日月曜日
2011年6月21日火曜日
教科指導について
数学を教えることの難しさは、もう塾講師も4年目になるがいつも思う。
特に、私自身も教え方を変えて、生徒の様子・反応を観察している。
最近塾で若手のホープとされる先生が模擬授業を行ったのだが、その授業を例に少し考えてみたいと思う。
その授業では、二次関数の最大・最小を求める問題について行った。
黒板に、「大原則」と称して
1.平方完成をする
2.
の係数を見てグラフを書く
3.定義域と軸の関係を見る
などと書いてから、例を扱い演習を行っていく授業であった。
このように、私は「何かを求めるための一連の動作」を明確に日本語として書くことがあまり好きではない。
マニュアル化している感じがして、ちっとも数学らしさを感じ無いのもある。
もちろん、実際に求めようとすると上と同じようなことを辿るのだが…。
そして、好きではないが、私はこのようなマニュアル化した授業を行ったことは、もちろんある。
二次関数に限らず、群数列などの問題でも、その問題の聞かれていることに対して1つずつどう求めるかを丁寧に、原則とは書かなかったがマニュアル化みたいなことはした。
自分でやっていて、どうなんだろうと思いつつやったが、生徒からの受け・反応は良かった。
「こうやれば求まる」というのが、見えるからだ。
けれど、待って欲しい。それなら教科書にそのまま書いている。少し小難しく書いていたりはするのだが、教科書にもほぼ同じようなことを書いている。
いい例としては、数学的帰納法なんて、本当にそのままに書いている。
しかし、あの書かれた内容だけで、数学的帰納法が扱えるようになる人は、ほとんど皆無だろう。
そこからも、私は思うのだけど、そういうマニュアル化は、一時的に数学への理解へ近づいたように思える・錯覚するのだが、1つ1つの操作で何をしているのかがちゃんとリンクしているのかが分かっていなければ、数学の能力が備わっているようには思えない。
そのようなマニュアル化は、私はしない方が良いと思っている。したいのなら、生徒が勝手にやるべきで、先生がマニュアル化したものを教えることによる弊害は大きいと思える。また、数学と言うものを誤解してしまう気がしてならない。
1つ1つの操作を感じ、自分の血・肉にするために自分で演習問題を解く。1問,2問解いただけで、その単元を自分のものにしたと言える人はなかなか居ないだろう。
何度も解いて、間違えたりすることで、やっと自分のものになる。
あってるか、あってないかを不安になりながら解いても、得られるものは少ない。
1つずつの操作が、こうだと認識していくためには、間違えることも大切なのだ。
その間違えることを意識的に避けようとしているのが、マニュアル化であるような気がする。
もちろん、ケースバイケースであって、このようなマニュアル化をした方がいい場面ももちろんあるだろう。
例えば、ある関数または曲線の漸近線を求める操作(一次近似)は、教えることがなかなかに難しい。
どういう操作をすれば、漸近線が求まるというマニュアルを教えることはできるが、それをしっかりと説明するのは、直感的なものしかない。
マニュアル化で、一番激しく出来るのは、三角比の正弦定理・余弦定理だろう。
どの辺と各の関係が分かっていれば…とすると、何通りかをマニュアル化して書くことはもちろん出来る。
けれども、そんなことをして意味はあるのだろうか。
また、しばらくは、教科指導について考えていこうと思う。
数学を教えることの難しさは、もう塾講師も4年目になるがいつも思う。
特に、私自身も教え方を変えて、生徒の様子・反応を観察している。
最近塾で若手のホープとされる先生が模擬授業を行ったのだが、その授業を例に少し考えてみたいと思う。
その授業では、二次関数の最大・最小を求める問題について行った。
黒板に、「大原則」と称して
1.平方完成をする
2.
3.定義域と軸の関係を見る
などと書いてから、例を扱い演習を行っていく授業であった。
このように、私は「何かを求めるための一連の動作」を明確に日本語として書くことがあまり好きではない。
マニュアル化している感じがして、ちっとも数学らしさを感じ無いのもある。
もちろん、実際に求めようとすると上と同じようなことを辿るのだが…。
そして、好きではないが、私はこのようなマニュアル化した授業を行ったことは、もちろんある。
二次関数に限らず、群数列などの問題でも、その問題の聞かれていることに対して1つずつどう求めるかを丁寧に、原則とは書かなかったがマニュアル化みたいなことはした。
自分でやっていて、どうなんだろうと思いつつやったが、生徒からの受け・反応は良かった。
「こうやれば求まる」というのが、見えるからだ。
けれど、待って欲しい。それなら教科書にそのまま書いている。少し小難しく書いていたりはするのだが、教科書にもほぼ同じようなことを書いている。
いい例としては、数学的帰納法なんて、本当にそのままに書いている。
しかし、あの書かれた内容だけで、数学的帰納法が扱えるようになる人は、ほとんど皆無だろう。
そこからも、私は思うのだけど、そういうマニュアル化は、一時的に数学への理解へ近づいたように思える・錯覚するのだが、1つ1つの操作で何をしているのかがちゃんとリンクしているのかが分かっていなければ、数学の能力が備わっているようには思えない。
そのようなマニュアル化は、私はしない方が良いと思っている。したいのなら、生徒が勝手にやるべきで、先生がマニュアル化したものを教えることによる弊害は大きいと思える。また、数学と言うものを誤解してしまう気がしてならない。
1つ1つの操作を感じ、自分の血・肉にするために自分で演習問題を解く。1問,2問解いただけで、その単元を自分のものにしたと言える人はなかなか居ないだろう。
何度も解いて、間違えたりすることで、やっと自分のものになる。
あってるか、あってないかを不安になりながら解いても、得られるものは少ない。
1つずつの操作が、こうだと認識していくためには、間違えることも大切なのだ。
その間違えることを意識的に避けようとしているのが、マニュアル化であるような気がする。
もちろん、ケースバイケースであって、このようなマニュアル化をした方がいい場面ももちろんあるだろう。
例えば、ある関数または曲線の漸近線を求める操作(一次近似)は、教えることがなかなかに難しい。
どういう操作をすれば、漸近線が求まるというマニュアルを教えることはできるが、それをしっかりと説明するのは、直感的なものしかない。
マニュアル化で、一番激しく出来るのは、三角比の正弦定理・余弦定理だろう。
どの辺と各の関係が分かっていれば…とすると、何通りかをマニュアル化して書くことはもちろん出来る。
けれども、そんなことをして意味はあるのだろうか。
また、しばらくは、教科指導について考えていこうと思う。
2011年6月1日水曜日
教育実習
先日、教育実習が終わりました。なので、今回学んだことなどをまとめてみようと思います。
これから教育実習に行かれる人の参考にもなれば良いなと思いますが、自分の為に書いているので、多少分かりづらいかも知れません。
まず、今回私は中学校へ3週間教育実習に行きました。
2週目に、運動会があると言う事で、1週目・2週目のほとんどが運動会練習などになり、あまり教育実習と言う感じでは無くなった部分はありました。
学年は、2年生を担当し、数学の授業は、1年生・2年生で行いました。
教科指導と生徒指導について、まずは書きたいと思います。(生徒指導は、教科指導にももちろん含まれてますが、主にということで、別けてみたいと思います。)
・教科指導について
私は、今年で塾講師4年目であり、そこそこ授業には自信がありました。と言っても、高校生を教えることが多いので、中学校の教材研究など課題は、少しあるかなと感じていました。
しかし、実際授業を何度かしてみると、塾と中学校のクラスでは、やはり勝手がかなり違いました。
塾へは、「勉強をする」意識が多少なりともある人が通っているから、注意をすれば、大抵は落ち着いて聞きます。
しかし、公立中学校では、それが通用しないことも多いです。また、機嫌や疲れを先生側も感じ取り、それに合った授業展開をする必要性がありました。
無理に起こして、逆撫でてしまい、授業妨害や酷ければ学級崩壊にもなるだろうことが分かりました。
また、授業に関係ないであることも少しは、拾ってあげたほうが親しみやすいのかも知れません。
この単元・授業中に、一番大切なところは何なのかをハッキリと、意識させることも必要だと思います。
数学に関して、私たち数学科は、ほとんどが大切な部分ばかりで、教科書にあることで分からないことなど無くして行くほうが良いと考えることが多いですが、生徒はそれが分かりません。
なので、例えば、文字式を利用して証明問題を解くなどのことで、重要だと教えるのは、文字を利用するという点で、証明をさせるのは、普通の公立中学校には難しすぎるということ。それを理解して、生徒に伝えなければ、生徒はただやらされているだけで、何が重要なのかが分かりません。
それをしっかりとした話の抑揚や、注目をさせて認識させることが重要だと感じました。
私も最後は、それが出来るようになりました。
また、これは実習後の報告会(研究室)での教授が仰ったことから、私が感じたことですが、中学校の知識は、もちろん小学校の知識が必要です。小学校でどのように教えているのか、その教材研究はしなければいけないだろうことが分かりました。
教科指導に関しては、教具などを使用し、復習時間を短縮したりする方が良いと思います。
復習自体に20分もかけてしまうと、本題が薄れてしまうこともありますので。
研究授業に関しては、一応合格点は貰えましたが、公立中学校に対しての授業としては、盛り込み過ぎているなど、効率中学校の現状を知っていないことが分かりました。
ちなみに、私は2週目から教壇に立ち、多いときは一日4時限、平均2時限授業をさせて頂きました。(2週目は、運動会練習でそれぞれ半分ぐらいですが…)
・生徒指導について
先述した通り、私は塾の高校生に慣れすぎて居て、ある程度フレンドリーに接すことを心がけようとしました。
それが今回の件では、完全な失敗でした。私と生徒の距離がとても近くなりすぎて、「先生」と呼ばれずに居ました。
3日目ぐらいから、これでは不味いと思っていたのですが、1週目は忙しさもあり、なかなか変えることが出来ませんでした。
私自身、その方が楽で、楽しくも感じていた部分がありました。
2週目から、生徒への対応を変えて、しっかりと先生と見られるようにしなければと思いました。それは、2週目からショートホームルームを任されるようになったからというのもありました。
自分なりに考え、色々こなしてみましたが、なかなか上手くいかず、最後には、少し力づくで制止したりして、言う事を聞かせようとしてしまいました。
その時になって、自分の指導力の無さを感じ、ホーム主任に相談に行きました。
ホーム主任にも、あなたは1週目はフレンドリー過ぎていて、2週目から試行錯誤しているのは見て取れたと言われたときに、ホーム主任にも見抜かれているんだから、相当な失敗をしてしまったと思いました。
また、自分だけでどうしようも出来なかったことから悔しくて、少し泣いてしまいました。
ホーム主任からアドバイスを頂き、その後の2週目、3週目はどうにか持ち直していきました。
最後まで、「先生」と読んでくれない生徒も居ましたが、それは自分自身のせいです。
私は、中学生という多感な時期(特に2年生なんて、一番多感であり、思春期だと思う)の生徒への最初の対応が間違いでした。それが今回一番の収穫だとも思えます。
こんなことを言うのもなんですが、同じ実習生は、最後まで「○○ちゃん」と呼ばれていて、その実習生自体もそれを心地良く思っていたみたいですが。
やはり、「先生」であるという自覚を持ち、それを常に意識することの大切さ・大変さを痛感しました。
高校生では、少ないかも知れませんが、同じようなことはあるかも知れません。
また、数学の先生を目の敵にしている生徒も居ます。多感な時期だからなのかも知れませんし、それはちょっと今回分かりませんでした。目の敵にしている生徒は、「女子」しか居なかったように感じるので、それは個人の性格の問題なのかも知れません。
私も、心では傷つき、心が折れそうになることも何度かありましたが…。
また、部活動についてですが、私は体型の割に運動・スポーツは得意です。(自分で言うのも何ですが…)
なので、色んな部活動に参加してきました。
もちろん見るだけのもありましたが、卓球やサッカーは、自分も中に入ってプレイしてきました。
特に私がオススメするのは、団体競技のサッカーなどですね。
生徒と一緒に汗を流し、必死に頑張る。生徒も近づいてくれますし、生徒自信も先生が一緒にプレイすると楽しいみたいで、来て下さいと頼まれることが多かったです。
ただ、私は運動をしばらくしてなかったので、体がボロボロになりましたが。日誌なんて、部活動後に書けば良いと思います。
日誌に必死で、部活動に参加しない・遅れて参加するなんて、生徒が可哀想ですよ。
色々と通して分かったのは、先生たちの大変さ、中学生の力、多感な時期での接し方、先生と言う立場について、再考させられたと思います。
高校の実習に行っていない私が言うのもなんですが、本当に教員になりたい人は、中学校に行くことをオススメします。
1年生、2年生、3年生がそれぞれ色が全く異なります。それぞれへの対応の難しさと楽しさを感じることが出来ると思います。
また、真剣に・真面目に教育実習をすれば、色々と悩むのが普通だとも思います。そういう時は、同じ実習生と話をしましょう。
辛かったけど、楽しかったです。ありがとうございました。
P.S 担当のクラスからは、最終日に全員が手紙を書いてくれました。嬉しかったです。
先日、教育実習が終わりました。なので、今回学んだことなどをまとめてみようと思います。
これから教育実習に行かれる人の参考にもなれば良いなと思いますが、自分の為に書いているので、多少分かりづらいかも知れません。
まず、今回私は中学校へ3週間教育実習に行きました。
2週目に、運動会があると言う事で、1週目・2週目のほとんどが運動会練習などになり、あまり教育実習と言う感じでは無くなった部分はありました。
学年は、2年生を担当し、数学の授業は、1年生・2年生で行いました。
教科指導と生徒指導について、まずは書きたいと思います。(生徒指導は、教科指導にももちろん含まれてますが、主にということで、別けてみたいと思います。)
・教科指導について
私は、今年で塾講師4年目であり、そこそこ授業には自信がありました。と言っても、高校生を教えることが多いので、中学校の教材研究など課題は、少しあるかなと感じていました。
しかし、実際授業を何度かしてみると、塾と中学校のクラスでは、やはり勝手がかなり違いました。
塾へは、「勉強をする」意識が多少なりともある人が通っているから、注意をすれば、大抵は落ち着いて聞きます。
しかし、公立中学校では、それが通用しないことも多いです。また、機嫌や疲れを先生側も感じ取り、それに合った授業展開をする必要性がありました。
無理に起こして、逆撫でてしまい、授業妨害や酷ければ学級崩壊にもなるだろうことが分かりました。
また、授業に関係ないであることも少しは、拾ってあげたほうが親しみやすいのかも知れません。
この単元・授業中に、一番大切なところは何なのかをハッキリと、意識させることも必要だと思います。
数学に関して、私たち数学科は、ほとんどが大切な部分ばかりで、教科書にあることで分からないことなど無くして行くほうが良いと考えることが多いですが、生徒はそれが分かりません。
なので、例えば、文字式を利用して証明問題を解くなどのことで、重要だと教えるのは、文字を利用するという点で、証明をさせるのは、普通の公立中学校には難しすぎるということ。それを理解して、生徒に伝えなければ、生徒はただやらされているだけで、何が重要なのかが分かりません。
それをしっかりとした話の抑揚や、注目をさせて認識させることが重要だと感じました。
私も最後は、それが出来るようになりました。
また、これは実習後の報告会(研究室)での教授が仰ったことから、私が感じたことですが、中学校の知識は、もちろん小学校の知識が必要です。小学校でどのように教えているのか、その教材研究はしなければいけないだろうことが分かりました。
教科指導に関しては、教具などを使用し、復習時間を短縮したりする方が良いと思います。
復習自体に20分もかけてしまうと、本題が薄れてしまうこともありますので。
研究授業に関しては、一応合格点は貰えましたが、公立中学校に対しての授業としては、盛り込み過ぎているなど、効率中学校の現状を知っていないことが分かりました。
ちなみに、私は2週目から教壇に立ち、多いときは一日4時限、平均2時限授業をさせて頂きました。(2週目は、運動会練習でそれぞれ半分ぐらいですが…)
・生徒指導について
先述した通り、私は塾の高校生に慣れすぎて居て、ある程度フレンドリーに接すことを心がけようとしました。
それが今回の件では、完全な失敗でした。私と生徒の距離がとても近くなりすぎて、「先生」と呼ばれずに居ました。
3日目ぐらいから、これでは不味いと思っていたのですが、1週目は忙しさもあり、なかなか変えることが出来ませんでした。
私自身、その方が楽で、楽しくも感じていた部分がありました。
2週目から、生徒への対応を変えて、しっかりと先生と見られるようにしなければと思いました。それは、2週目からショートホームルームを任されるようになったからというのもありました。
自分なりに考え、色々こなしてみましたが、なかなか上手くいかず、最後には、少し力づくで制止したりして、言う事を聞かせようとしてしまいました。
その時になって、自分の指導力の無さを感じ、ホーム主任に相談に行きました。
ホーム主任にも、あなたは1週目はフレンドリー過ぎていて、2週目から試行錯誤しているのは見て取れたと言われたときに、ホーム主任にも見抜かれているんだから、相当な失敗をしてしまったと思いました。
また、自分だけでどうしようも出来なかったことから悔しくて、少し泣いてしまいました。
ホーム主任からアドバイスを頂き、その後の2週目、3週目はどうにか持ち直していきました。
最後まで、「先生」と読んでくれない生徒も居ましたが、それは自分自身のせいです。
私は、中学生という多感な時期(特に2年生なんて、一番多感であり、思春期だと思う)の生徒への最初の対応が間違いでした。それが今回一番の収穫だとも思えます。
こんなことを言うのもなんですが、同じ実習生は、最後まで「○○ちゃん」と呼ばれていて、その実習生自体もそれを心地良く思っていたみたいですが。
やはり、「先生」であるという自覚を持ち、それを常に意識することの大切さ・大変さを痛感しました。
高校生では、少ないかも知れませんが、同じようなことはあるかも知れません。
また、数学の先生を目の敵にしている生徒も居ます。多感な時期だからなのかも知れませんし、それはちょっと今回分かりませんでした。目の敵にしている生徒は、「女子」しか居なかったように感じるので、それは個人の性格の問題なのかも知れません。
私も、心では傷つき、心が折れそうになることも何度かありましたが…。
また、部活動についてですが、私は体型の割に運動・スポーツは得意です。(自分で言うのも何ですが…)
なので、色んな部活動に参加してきました。
もちろん見るだけのもありましたが、卓球やサッカーは、自分も中に入ってプレイしてきました。
特に私がオススメするのは、団体競技のサッカーなどですね。
生徒と一緒に汗を流し、必死に頑張る。生徒も近づいてくれますし、生徒自信も先生が一緒にプレイすると楽しいみたいで、来て下さいと頼まれることが多かったです。
ただ、私は運動をしばらくしてなかったので、体がボロボロになりましたが。日誌なんて、部活動後に書けば良いと思います。
日誌に必死で、部活動に参加しない・遅れて参加するなんて、生徒が可哀想ですよ。
色々と通して分かったのは、先生たちの大変さ、中学生の力、多感な時期での接し方、先生と言う立場について、再考させられたと思います。
高校の実習に行っていない私が言うのもなんですが、本当に教員になりたい人は、中学校に行くことをオススメします。
1年生、2年生、3年生がそれぞれ色が全く異なります。それぞれへの対応の難しさと楽しさを感じることが出来ると思います。
また、真剣に・真面目に教育実習をすれば、色々と悩むのが普通だとも思います。そういう時は、同じ実習生と話をしましょう。
辛かったけど、楽しかったです。ありがとうございました。
P.S 担当のクラスからは、最終日に全員が手紙を書いてくれました。嬉しかったです。
2011年5月5日木曜日
『才能』とは
私は、別に数学に才能があるとも思っていない。
その才能と言う言葉が、何を指しているのかは、厳密には分からないが
大学入試などで出会う、新しい形の問題をすぐさま解けるぐらいの才能はない。
粗探し、間違え探しをする才能はあると思う。
私の高校は、工業高校であり、進学をする人も殆どは、推薦やAO入試などだった。
そのため、私みたいな人間でも、高校1年の時の模試では、校内1位であった。(国語以外は、すべて1位で、総合1位だった。)
また、高校2年生の時に、3年生も含んだ校内数学模試(?)みたいなので、1位にもなってしまった。
さらに、高校2年生の夏前か、夏後ぐらいの模試では、県内3位になった。
自分でも才能があるんじゃないかとか、勝手に思っていた。
だけど、それは大きな間違えだった。
高校2年生の数学では、微分を習う。
その時、数学の先生は、「連続と微分可能」について中途半端な知識を与えてくださった。
私は、その時に「連続ならば微分可能とは限らない、だから微分可能であることを調べる必要がある」とぐらいに受け止めていた。
それだけを受け止めていたから、中間試験において出題された微分に関する問題は、私に取っては、どうすればよいか分からないことが多かった。
・定義に従って微分せよ
・微分せよ
・接線を求めよ
など、色々あった。しかし、どの問題にも、その関数が微分可能であるとは書いていなかった。
だから、私は最初の問題から詰まっていた。
「まず、微分が可能であることを示さなければならない」と書いて
色々と模索はしたが、実数上で微分可能であることの証明など高校では扱わない。
それを私は、自分の勉強不足だと思い、この試験では結果が出せなかった…と思い込んだ。
しかし、試験終了し、周りがみんなすべて解けた、時間が足りなかったと言う話をしている中、私は一人、悔しい思いをしていた。
だが、その後、担当の数学の先生に呼び出され、「高校で習う関数のほとんどすべては、微分可能だから、そんなことは気にしなくてよかった。今回のこれに関しては、点数をあげるわけにはいかないけど、次の試験などを考慮して、成績は付けるから、頑張れ。」と言われた。
その時にやっと、高校数学というものが、いくつか曖昧なものを残していて、ある程度は騙して教えていて、解かなきゃいけないのだと知った。
しかし、この時に、自らなぜだと思い、大学生が読むような、数学書を読まなかったのが、私にとっては、不幸だったのだろう。
学校の先生も薦めてくれれば、私はもっと数学の世界を早くに知れたのに。
そんなことを今更思っても仕方がないのだから、今もう一度勉強をするのです。
そして、もう一つ。
大学に入って、数学が数学ではなくなったとか、数学が哲学になったとか。
そんなことは言わないで欲しい。初学者が、数学に困惑するのは、高校までの数学が科目名としての数学でしかないということを感じていないからだと思う。
大学の数学の方が、もっと理論的で、精巧なものだろう。
その最たるものが、ε-δ論法であるとも思う。(学部1年生なら)
私は、別に数学に才能があるとも思っていない。
その才能と言う言葉が、何を指しているのかは、厳密には分からないが
大学入試などで出会う、新しい形の問題をすぐさま解けるぐらいの才能はない。
粗探し、間違え探しをする才能はあると思う。
私の高校は、工業高校であり、進学をする人も殆どは、推薦やAO入試などだった。
そのため、私みたいな人間でも、高校1年の時の模試では、校内1位であった。(国語以外は、すべて1位で、総合1位だった。)
また、高校2年生の時に、3年生も含んだ校内数学模試(?)みたいなので、1位にもなってしまった。
さらに、高校2年生の夏前か、夏後ぐらいの模試では、県内3位になった。
自分でも才能があるんじゃないかとか、勝手に思っていた。
だけど、それは大きな間違えだった。
高校2年生の数学では、微分を習う。
その時、数学の先生は、「連続と微分可能」について中途半端な知識を与えてくださった。
私は、その時に「連続ならば微分可能とは限らない、だから微分可能であることを調べる必要がある」とぐらいに受け止めていた。
それだけを受け止めていたから、中間試験において出題された微分に関する問題は、私に取っては、どうすればよいか分からないことが多かった。
・定義に従って微分せよ
・微分せよ
・接線を求めよ
など、色々あった。しかし、どの問題にも、その関数が微分可能であるとは書いていなかった。
だから、私は最初の問題から詰まっていた。
「まず、微分が可能であることを示さなければならない」と書いて
色々と模索はしたが、実数上で微分可能であることの証明など高校では扱わない。
それを私は、自分の勉強不足だと思い、この試験では結果が出せなかった…と思い込んだ。
しかし、試験終了し、周りがみんなすべて解けた、時間が足りなかったと言う話をしている中、私は一人、悔しい思いをしていた。
だが、その後、担当の数学の先生に呼び出され、「高校で習う関数のほとんどすべては、微分可能だから、そんなことは気にしなくてよかった。今回のこれに関しては、点数をあげるわけにはいかないけど、次の試験などを考慮して、成績は付けるから、頑張れ。」と言われた。
その時にやっと、高校数学というものが、いくつか曖昧なものを残していて、ある程度は騙して教えていて、解かなきゃいけないのだと知った。
しかし、この時に、自らなぜだと思い、大学生が読むような、数学書を読まなかったのが、私にとっては、不幸だったのだろう。
学校の先生も薦めてくれれば、私はもっと数学の世界を早くに知れたのに。
そんなことを今更思っても仕方がないのだから、今もう一度勉強をするのです。
そして、もう一つ。
大学に入って、数学が数学ではなくなったとか、数学が哲学になったとか。
そんなことは言わないで欲しい。初学者が、数学に困惑するのは、高校までの数学が科目名としての数学でしかないということを感じていないからだと思う。
大学の数学の方が、もっと理論的で、精巧なものだろう。
その最たるものが、ε-δ論法であるとも思う。(学部1年生なら)
2011年4月28日木曜日
『期待』と『裏切り』
私は、色んな人の色んな活動に『期待』をします。
『期待』をし、それで私はその人たちの行動を見つめます。
その途中で、『裏切られる』思いをいつも感じる。
特に、最近の学生団体や、学生ベンチャーに興味があるなどをTwitterのアカウント紹介分や、mixiのプロフィールに書いている人たち。
夢や理想、目標を掲げるだけで終わるなんて、勿体無いし、かっこ悪くないですか。
その過程・途中が美しいのだと私は思っているんです。
『何頑張ってんの(笑)』ぐらいの気持ちを持ってる人が多く、頑張っている人を軽視したり、侮辱したりする人が居ますね。
それはとても残念に私は思いますが、今回言いたいこととは、ちょっとずれるので置いておきます。
本題に戻ると、そういう掲げるだけ、チラつかせるだけで終わってる人が多い。
終っていない人は、その理想・目標について真剣に考えていて、いつも頑張っている。
そして、その話をすると活き活きして、話してくれる。本当に考えてるんだなぁと感じる。
確かにこれは主観なのかも知れない。
よく私は、厳しいことを言い過ぎるとか、言われます。けど、それには、『期待』が込められているからです。
私だって、誰にでも言いません。特に年齢を絞れば、高校2年生以上ぐらいにしか厳しいことを直接的に言いません。
高校生以下は、大体私たちの『期待』を裏切ります。
小さいことを言えば、『宿題をやってこない』。これは、1つの期待です。
私は、宿題を出す時に、大体ここぐらいまでは解けて、此処から先は分からないだろうぐらいの予測(期待)をしています。
(けど、これは大体の塾の先生は、それを考えて宿題を出しているでしょう。塾の指導範囲内のことだけやってる人は少ないはず、私もそう思い、最近2年ぐらいは、自作プリントなどを良く使うようにしている。)
そこで、「なんでやってこないの!!」と発狂する人も居ますが、ビックリしますね。あなただって、高校生2年生ぐらいの時は宿題をやらなかったことだってあるでしょ、と。
塾における、最大の期待は、誰しもが持つであろう、志望校への合格でしょう。
特に大学受験に絞れば、その受験が一生を決めるのではないかと思っている人は、多いのかも知れません。
その時に、再度「勉強法」「復習法」などを教えられたりします。
復習がどれだけ大事か、それは分からないかも知れないから、「復習が一番大切だ」ということを教えられる。
だけど、その復習の仕方は習わないし、特に私は、復習の王道や、万人共通の復習の方法なんてないのではないかと思う。
同じように、「勉強法」も1つに定まらないだろう。
色んなやり方(せいぜいその科目に対して5種類も無いだろう)を経て、自分で体得するしかない。
その時に、その科目の真髄をある程度見れるのではないだろうか。
国語・英語だって、単語さえ分かればどうにでもなるわけではないし、数学や物理も公式を覚えているだけじゃどうしようもない。
それを気づかせるために、私は受験生になったとき(3年生だとは限らない)に、ある程度厳しいことは言う。
自分で気づくこと、これが一番大切じゃないのかな。何がいけないとか、何が足りないとか、そういう事を自分で常に考えて、探していかないと。
私たち、先生・講師が出来ることは、その材料を与えたりすることだろう。
答えをすぐに教えたり、復習法・勉強法はコレだと1つに決めたりすることは、やるべきじゃない。
そんな可能性を無くす教育は、しちゃいけない。どうやって間違えるのか、どうやって決めるのか。その子を見てください。
さて、教育論にまで話がずれましたが、これを私は同い年・同じ世代には、思いません。むしろ、同じぐらい生きているのだから、それぐらい考えて生きているだろうと私は思っています。
だから、厳しいことを言っているように聞こえるのかも知れません。
言い訳なんて、もっての外ですよ。そりゃ得意・不得意はあるだろうけどもね。
「私は、苦手なので、ダメでした。」とか言われたら、もう『裏切り』・『失望』ですよ。
苦手なりにでもこうやってみた、ダメなところは見つかった・見つからない、アドバイスをください。
そういう姿勢で居るべきでしょうね。私自身にもそれは言えます。
ちょっと何を言いたいか、分からなくなりましたね。
こちらから、ちょっとブログをまとめようと思いましたが、上手くまとまりませんでした。
私は、色んな人の色んな活動に『期待』をします。
『期待』をし、それで私はその人たちの行動を見つめます。
その途中で、『裏切られる』思いをいつも感じる。
特に、最近の学生団体や、学生ベンチャーに興味があるなどをTwitterのアカウント紹介分や、mixiのプロフィールに書いている人たち。
夢や理想、目標を掲げるだけで終わるなんて、勿体無いし、かっこ悪くないですか。
その過程・途中が美しいのだと私は思っているんです。
『何頑張ってんの(笑)』ぐらいの気持ちを持ってる人が多く、頑張っている人を軽視したり、侮辱したりする人が居ますね。
それはとても残念に私は思いますが、今回言いたいこととは、ちょっとずれるので置いておきます。
本題に戻ると、そういう掲げるだけ、チラつかせるだけで終わってる人が多い。
終っていない人は、その理想・目標について真剣に考えていて、いつも頑張っている。
そして、その話をすると活き活きして、話してくれる。本当に考えてるんだなぁと感じる。
確かにこれは主観なのかも知れない。
よく私は、厳しいことを言い過ぎるとか、言われます。けど、それには、『期待』が込められているからです。
私だって、誰にでも言いません。特に年齢を絞れば、高校2年生以上ぐらいにしか厳しいことを直接的に言いません。
高校生以下は、大体私たちの『期待』を裏切ります。
小さいことを言えば、『宿題をやってこない』。これは、1つの期待です。
私は、宿題を出す時に、大体ここぐらいまでは解けて、此処から先は分からないだろうぐらいの予測(期待)をしています。
(けど、これは大体の塾の先生は、それを考えて宿題を出しているでしょう。塾の指導範囲内のことだけやってる人は少ないはず、私もそう思い、最近2年ぐらいは、自作プリントなどを良く使うようにしている。)
そこで、「なんでやってこないの!!」と発狂する人も居ますが、ビックリしますね。あなただって、高校生2年生ぐらいの時は宿題をやらなかったことだってあるでしょ、と。
塾における、最大の期待は、誰しもが持つであろう、志望校への合格でしょう。
特に大学受験に絞れば、その受験が一生を決めるのではないかと思っている人は、多いのかも知れません。
その時に、再度「勉強法」「復習法」などを教えられたりします。
復習がどれだけ大事か、それは分からないかも知れないから、「復習が一番大切だ」ということを教えられる。
だけど、その復習の仕方は習わないし、特に私は、復習の王道や、万人共通の復習の方法なんてないのではないかと思う。
同じように、「勉強法」も1つに定まらないだろう。
色んなやり方(せいぜいその科目に対して5種類も無いだろう)を経て、自分で体得するしかない。
その時に、その科目の真髄をある程度見れるのではないだろうか。
国語・英語だって、単語さえ分かればどうにでもなるわけではないし、数学や物理も公式を覚えているだけじゃどうしようもない。
それを気づかせるために、私は受験生になったとき(3年生だとは限らない)に、ある程度厳しいことは言う。
自分で気づくこと、これが一番大切じゃないのかな。何がいけないとか、何が足りないとか、そういう事を自分で常に考えて、探していかないと。
私たち、先生・講師が出来ることは、その材料を与えたりすることだろう。
答えをすぐに教えたり、復習法・勉強法はコレだと1つに決めたりすることは、やるべきじゃない。
そんな可能性を無くす教育は、しちゃいけない。どうやって間違えるのか、どうやって決めるのか。その子を見てください。
さて、教育論にまで話がずれましたが、これを私は同い年・同じ世代には、思いません。むしろ、同じぐらい生きているのだから、それぐらい考えて生きているだろうと私は思っています。
だから、厳しいことを言っているように聞こえるのかも知れません。
言い訳なんて、もっての外ですよ。そりゃ得意・不得意はあるだろうけどもね。
「私は、苦手なので、ダメでした。」とか言われたら、もう『裏切り』・『失望』ですよ。
苦手なりにでもこうやってみた、ダメなところは見つかった・見つからない、アドバイスをください。
そういう姿勢で居るべきでしょうね。私自身にもそれは言えます。
ちょっと何を言いたいか、分からなくなりましたね。
こちらから、ちょっとブログをまとめようと思いましたが、上手くまとまりませんでした。
2011年4月25日月曜日
問題:任意の四面体を平面で切断するときに,切断面が平行四辺形になるように切断できるか.
こんな問題があるとギョッとしてしまいます。
中学生までの知識で、これは示せるみたいですが(友人談)、このような問題の書き方をすると一般的な中学生は、まず解けないでしょう。
では、これならどうでしょうか。
問題:空間の4点A,B,C,Dに対し,線分AB,AD,CB,CDをそれぞれm:nに分ける点P,Q,R,Sは,平行四辺形の4頂点となることを示せ.(斎藤正彦『線形代数演習』p4-11)
ちょっと中学生でも解ける人が出てくるんじゃないかなという問題のレベルになりますね。
もちろん高校2年生以上ならベクトルや座標(この場合はベクトルの方が遥かに簡単で、座標では解けない…気がします)を使って解くことが出来るでしょう。
この問題の言い換えが数学において非常に重要なことは、数学を学校の試験勉強だけで終わらせなかった人ならば、ほとんどの人が感じ・思っていることでしょう。
(もちろん今回の問題の言い換えは、飛躍し過ぎていて、分からない方が普通かも知れません。(上から下))
大体、学問を学んでいるときに、いきなり分からないところにぶつかることはないはずです。
もし、いきなり分からないと、周りも感じているのなら、それはそうなのかも知れないが、大抵は、自分一人がそう感じることが多い。
それは、そこまでの知識がちゃんと定着していないからであって、ちゃんと段階を踏んだ学習をしていないことが原因でしょう。
それは、数学に限らず、ほとんどの学問に対して言えることでしょう。
もちろん、学問に限らず、スポーツでも同じようなことが言えて、サッカーで、ドリブルが出来ない人が、シュートの練習やヘディングの練習をしたってどうしようもありません。
まずは、自分で練習することです。その時に、練習の見本となる人が、先生だったり、参考書であったりするわけです。
大抵の学問に対して、出版社がそれぞれのレベルにあった参考書を出版しています。それを自分で見つけることです。
相談しても良いとは思いますが、それがあなたに確実に合っているものかどうかは、自分しか分かりません。
特に、大学生は、これを実践すべきでしょう。時間にかなりの余裕があるのに、(または、大学に勉強をしたいと思って、希望を持って入学したのに)全く学問の本質を知ろうとせず、単位を取るだけの試験勉強にだけなっているのなら勿体無い話ですね。
恋愛、サークル活動、学生団体、アルバイトなどなど、勉強以外にもした方が良いものはたくさんあります。
しかし、それはある程度の勉強が基本にあってからすることであって、勉強をしない言い訳に「勉強以外にも学ぶことはある」と言うようでは、本当に「勉強以外のものの大切さ」を感じてはいないでしょう。
特に、私立大学生や、ある一定の偏差値を下回る大学に所属している人は、明らかに「知識の偏り」があります。
そのような人が、学部1年、2年生で「勉強以外のことを学ぶ大切さ」など感じるはずがありません。
それは、本当の「大切さ」からは、かなり外れた・遠いものでしょう。
その後に気づけば、それはまたよしだと思いますが、気づかないで、結婚し子どもが出来たり、教育者として生徒の成長に影響を直接的にもたらす機会が多い人がその理念を元に、物凄いことを言わないことを私は願います。
私自身、勉強をそれほどしたと言える立場でもないですが、児童・生徒に対して、あるいは同じ大学生に対して、もっと意欲を持ち、勉強をしなさいと言いたい。
もちろんその勉強の対象は、数学や国語、英語などの科目に限ったことではないです。そうすれば、大学生になったとき、あるいは、大学を卒業するときぐらいには、自分が何をして生きていたいのかが見えてくるのではないでしょうか。
何もせず、ぼけーっと生きてても、自分のしたいことは見つかるはずがありませんからね。
こんな問題があるとギョッとしてしまいます。
中学生までの知識で、これは示せるみたいですが(友人談)、このような問題の書き方をすると一般的な中学生は、まず解けないでしょう。
では、これならどうでしょうか。
問題:空間の4点A,B,C,Dに対し,線分AB,AD,CB,CDをそれぞれm:nに分ける点P,Q,R,Sは,平行四辺形の4頂点となることを示せ.(斎藤正彦『線形代数演習』p4-11)
ちょっと中学生でも解ける人が出てくるんじゃないかなという問題のレベルになりますね。
もちろん高校2年生以上ならベクトルや座標(この場合はベクトルの方が遥かに簡単で、座標では解けない…気がします)を使って解くことが出来るでしょう。
この問題の言い換えが数学において非常に重要なことは、数学を学校の試験勉強だけで終わらせなかった人ならば、ほとんどの人が感じ・思っていることでしょう。
(もちろん今回の問題の言い換えは、飛躍し過ぎていて、分からない方が普通かも知れません。(上から下))
大体、学問を学んでいるときに、いきなり分からないところにぶつかることはないはずです。
もし、いきなり分からないと、周りも感じているのなら、それはそうなのかも知れないが、大抵は、自分一人がそう感じることが多い。
それは、そこまでの知識がちゃんと定着していないからであって、ちゃんと段階を踏んだ学習をしていないことが原因でしょう。
それは、数学に限らず、ほとんどの学問に対して言えることでしょう。
もちろん、学問に限らず、スポーツでも同じようなことが言えて、サッカーで、ドリブルが出来ない人が、シュートの練習やヘディングの練習をしたってどうしようもありません。
まずは、自分で練習することです。その時に、練習の見本となる人が、先生だったり、参考書であったりするわけです。
大抵の学問に対して、出版社がそれぞれのレベルにあった参考書を出版しています。それを自分で見つけることです。
相談しても良いとは思いますが、それがあなたに確実に合っているものかどうかは、自分しか分かりません。
特に、大学生は、これを実践すべきでしょう。時間にかなりの余裕があるのに、(または、大学に勉強をしたいと思って、希望を持って入学したのに)全く学問の本質を知ろうとせず、単位を取るだけの試験勉強にだけなっているのなら勿体無い話ですね。
恋愛、サークル活動、学生団体、アルバイトなどなど、勉強以外にもした方が良いものはたくさんあります。
しかし、それはある程度の勉強が基本にあってからすることであって、勉強をしない言い訳に「勉強以外にも学ぶことはある」と言うようでは、本当に「勉強以外のものの大切さ」を感じてはいないでしょう。
特に、私立大学生や、ある一定の偏差値を下回る大学に所属している人は、明らかに「知識の偏り」があります。
そのような人が、学部1年、2年生で「勉強以外のことを学ぶ大切さ」など感じるはずがありません。
それは、本当の「大切さ」からは、かなり外れた・遠いものでしょう。
その後に気づけば、それはまたよしだと思いますが、気づかないで、結婚し子どもが出来たり、教育者として生徒の成長に影響を直接的にもたらす機会が多い人がその理念を元に、物凄いことを言わないことを私は願います。
私自身、勉強をそれほどしたと言える立場でもないですが、児童・生徒に対して、あるいは同じ大学生に対して、もっと意欲を持ち、勉強をしなさいと言いたい。
もちろんその勉強の対象は、数学や国語、英語などの科目に限ったことではないです。そうすれば、大学生になったとき、あるいは、大学を卒業するときぐらいには、自分が何をして生きていたいのかが見えてくるのではないでしょうか。
何もせず、ぼけーっと生きてても、自分のしたいことは見つかるはずがありませんからね。
2011年4月24日日曜日
私は、数学が好きです。
中学校までは、特にそういう気はあまり無かった。
とにかく数学・理科は、好きだったのは覚えている。
国語が苦手だったのは、問題の意図を理解していなかったからだ。
選択肢には、想像を膨らませば、その可能性もあるし、その可能性の中でも最も重要であろうものを選び解答していた。
もちろん、それでは、合わない。国語は限られた文章の中から、「確実に言えること」を選ぶのであって、可能性を考える問題ではなかったからだ。
それに気づいたのは、浪人した時に霜栄先生の本を読んで、やっと気づいたのだが…。
未だに思うのは、高校までに「勘」で解いている人は、「可能性」は考えない人たちなのかなと思う。
そこが理系との差なのだと思う。
私は若干理系であるからか、「ありえるだろうすべての可能性」を考えながら、その問題に取り組む。
その可能性はもちろん、私が考える事に限られてしまうのだが…。
物理では、どうしても先に現象を認めてしまわなければならないこともある。
そこから理論を組み立てていく。(数学にも似たように、予想をし、その予想が正しいのかどうかを考えることはあるが、その予想と現象を認めることは、少し異なるように思える。)
数学はしばしば、拡張して考えることをする。自然数を整数に、整数を有理数に、有理数を実数に、実数を複素数に。これは数学で一番初歩的な拡張であろう。
さらに言えば、2次元ベクトルを3次元へ、4次元へ、...、n次元へ。
数学ではあらゆる可能性を考え、それが成り立つのか・拡張できるのかを考えていく。
そんなことを実際、肌に感じたのは、学部2年生になる直前だった。
ちょっと話を戻し、私が数学と言うものに惹かれていった経緯を書いていこう。
私は因数分解は嫌いだった。だから数Ⅰの最初、数と式はつまらなくてどうしようもなかった。
数学なんてものが好きになるなんてこの時は微塵も感じ無かった。
私の高校は、工業高校だったため、1年次には数学Ⅰのみ、2年次に数学Ⅱ・A、3年次に数学Ⅲ・Bを習うのが普通で、それでも進学希望者だけで、それ以外は、数学ⅡとAまでしか習わなかった。
高校2年に上がった時、大学進学すると決めることになり、数学を授業と放課後補習と、塾に通うことにした。
その塾が私にとって、天国だった。先生は数学科出身で、私に数学というものをどう捉えるべきか、初歩的なことを感じさせてくれた。
それからは、公式・定理・あらゆる証明に興味を持ち、モノグラフ(公式集)を暇なときはペラペラめくり、読んで唸り、さらに教科書を読んでいたりした。
それからどんどん数学が好きになり、教員も目指すことになる。
だから教育学部数学科を考え、受験する。だが、失敗する。
もちろん合格した大学はあったが、自分が進学したいと思えるところではなかった。
そして、浪人し、大学への数学と出会った。この時に、モノグラフ(公式集)に興奮していた私は、まだまだ数学の凡人で、それ以上の数学に興奮を覚える内容がそこにあった。
それからは、教育学部数学科ではなく、理学部数学科を目指すことになった。
浪人も完全なる成功にはならなかった。が、同じ数学を好きだと言う人にも出会うことが出来た。
また、最近では、活動も広がり、もっと数学が好きな人との空間を共有することが増えた。
それに感化された部分もあり、私は数学を学ぶために大学院進学を考えた。
そして今に至る。
また、私がこれを通して伝えたい事は、自分が真に好きなことは、長く色々とこなせば見つかるのだと思う。
単純に大学進学したときに、○○学科だったから、それを学ぶしか無いのだと思うのでは勿体無い。
私はたまたま数学科に行くことで、自分が真に学びたい・好きであることが分かった。
学問が苦手なら、大学の勉強以外にも打ち込めることはたくさんある。それをすればいいと思う。
そこで、自分のしたいことが見つかればいい。だけど、いい加減な決め方としてはいけない。
それが本当に好きなのか、そうではないのか。それは自分が熱心にそれに打ち込み、ちゃんと学び・感じなければ分からない。
なんとなくで決めては、もしかすると取り返しのつかないことになるかも知れない。
中学校までは、特にそういう気はあまり無かった。
とにかく数学・理科は、好きだったのは覚えている。
国語が苦手だったのは、問題の意図を理解していなかったからだ。
選択肢には、想像を膨らませば、その可能性もあるし、その可能性の中でも最も重要であろうものを選び解答していた。
もちろん、それでは、合わない。国語は限られた文章の中から、「確実に言えること」を選ぶのであって、可能性を考える問題ではなかったからだ。
それに気づいたのは、浪人した時に霜栄先生の本を読んで、やっと気づいたのだが…。
未だに思うのは、高校までに「勘」で解いている人は、「可能性」は考えない人たちなのかなと思う。
そこが理系との差なのだと思う。
私は若干理系であるからか、「ありえるだろうすべての可能性」を考えながら、その問題に取り組む。
その可能性はもちろん、私が考える事に限られてしまうのだが…。
物理では、どうしても先に現象を認めてしまわなければならないこともある。
そこから理論を組み立てていく。(数学にも似たように、予想をし、その予想が正しいのかどうかを考えることはあるが、その予想と現象を認めることは、少し異なるように思える。)
数学はしばしば、拡張して考えることをする。自然数を整数に、整数を有理数に、有理数を実数に、実数を複素数に。これは数学で一番初歩的な拡張であろう。
さらに言えば、2次元ベクトルを3次元へ、4次元へ、...、n次元へ。
数学ではあらゆる可能性を考え、それが成り立つのか・拡張できるのかを考えていく。
そんなことを実際、肌に感じたのは、学部2年生になる直前だった。
ちょっと話を戻し、私が数学と言うものに惹かれていった経緯を書いていこう。
私は因数分解は嫌いだった。だから数Ⅰの最初、数と式はつまらなくてどうしようもなかった。
数学なんてものが好きになるなんてこの時は微塵も感じ無かった。
私の高校は、工業高校だったため、1年次には数学Ⅰのみ、2年次に数学Ⅱ・A、3年次に数学Ⅲ・Bを習うのが普通で、それでも進学希望者だけで、それ以外は、数学ⅡとAまでしか習わなかった。
高校2年に上がった時、大学進学すると決めることになり、数学を授業と放課後補習と、塾に通うことにした。
その塾が私にとって、天国だった。先生は数学科出身で、私に数学というものをどう捉えるべきか、初歩的なことを感じさせてくれた。
それからは、公式・定理・あらゆる証明に興味を持ち、モノグラフ(公式集)を暇なときはペラペラめくり、読んで唸り、さらに教科書を読んでいたりした。
それからどんどん数学が好きになり、教員も目指すことになる。
だから教育学部数学科を考え、受験する。だが、失敗する。
もちろん合格した大学はあったが、自分が進学したいと思えるところではなかった。
そして、浪人し、大学への数学と出会った。この時に、モノグラフ(公式集)に興奮していた私は、まだまだ数学の凡人で、それ以上の数学に興奮を覚える内容がそこにあった。
それからは、教育学部数学科ではなく、理学部数学科を目指すことになった。
浪人も完全なる成功にはならなかった。が、同じ数学を好きだと言う人にも出会うことが出来た。
また、最近では、活動も広がり、もっと数学が好きな人との空間を共有することが増えた。
それに感化された部分もあり、私は数学を学ぶために大学院進学を考えた。
そして今に至る。
また、私がこれを通して伝えたい事は、自分が真に好きなことは、長く色々とこなせば見つかるのだと思う。
単純に大学進学したときに、○○学科だったから、それを学ぶしか無いのだと思うのでは勿体無い。
私はたまたま数学科に行くことで、自分が真に学びたい・好きであることが分かった。
学問が苦手なら、大学の勉強以外にも打ち込めることはたくさんある。それをすればいいと思う。
そこで、自分のしたいことが見つかればいい。だけど、いい加減な決め方としてはいけない。
それが本当に好きなのか、そうではないのか。それは自分が熱心にそれに打ち込み、ちゃんと学び・感じなければ分からない。
なんとなくで決めては、もしかすると取り返しのつかないことになるかも知れない。
2011年4月22日金曜日
本日、斎藤毅先生(ホームページ)の談話会が中央大学理工学部(詳細)で開催されたので、参加してきました。
内容については、詳細に書いてある通りで、フェルマーの最終定理についての外枠から、ちょっと内部へのお話でした。
1時間と言う短い時間でしたが、その1時間で数学のある世界を眺め、感じることが出来ました。
残念ながら、内容を全て理解するぐらいの学力・知識が私には無かったのですが、周りの斎藤先生の話を聞いている姿勢・熱意が物凄く、とても興奮を覚えました。
本当に数学が好きな人たちが集まっている環境。これを肌に感じました。
大学院への憧れは、そこにもありますね。
こんな感想しか今は書けませんが、自分の今の場所(知識や、学習度的に)が分かり、類体論や保型形式がどう繋がっているかが見えてきました。
後、数学の教師になる人は、本当に数学が好きな人であって欲しいと切に願うことを改めて感じました。
別に大学入試や、数学オリンピックの少しこねくり回した数学は解けなくても良いと思います。
けど、数学は好きな人であって欲しい。そんな人が前に立って教えて欲しい。
内容については、詳細に書いてある通りで、フェルマーの最終定理についての外枠から、ちょっと内部へのお話でした。
1時間と言う短い時間でしたが、その1時間で数学のある世界を眺め、感じることが出来ました。
残念ながら、内容を全て理解するぐらいの学力・知識が私には無かったのですが、周りの斎藤先生の話を聞いている姿勢・熱意が物凄く、とても興奮を覚えました。
本当に数学が好きな人たちが集まっている環境。これを肌に感じました。
大学院への憧れは、そこにもありますね。
こんな感想しか今は書けませんが、自分の今の場所(知識や、学習度的に)が分かり、類体論や保型形式がどう繋がっているかが見えてきました。
後、数学の教師になる人は、本当に数学が好きな人であって欲しいと切に願うことを改めて感じました。
別に大学入試や、数学オリンピックの少しこねくり回した数学は解けなくても良いと思います。
けど、数学は好きな人であって欲しい。そんな人が前に立って教えて欲しい。
2011年4月21日木曜日
2011年4月7日木曜日
素数が無限個ある証明方法
もちろん、学部4年生であるので、幾つか証明方法があるのは知っている。
今日考えるのは、ユークリッド『原論』にある証明方法についてである。
このような証明方法である。
しかし、私が思うことは、最後の素数
を決めたときに
でも、
でも新たな素数を作ることが出来ると思う。
が素数のとき、
は明らかなので
も因数分解は出来ない。
なぜ、ユークリッド『原論』では、それまでの素数の積に限定したのか。その方が美しいからであろうか?
オイラー積を考えたら、その方が美しいから(素数について考えているのだから)だと言う結論に至りつつある。
オイラー積、リーマンのゼータ関数、エラトステネスのふるいの関連については、またそのうち書きたいと思います。
もちろん、学部4年生であるので、幾つか証明方法があるのは知っている。
今日考えるのは、ユークリッド『原論』にある証明方法についてである。
素数が有限個だと仮定し、それぞれの素数をただし、
は定数である。
を考えることによって、背理法により証明が終わる。
このような証明方法である。
しかし、私が思うことは、最後の素数
なぜ、ユークリッド『原論』では、それまでの素数の積に限定したのか。その方が美しいからであろうか?
オイラー積を考えたら、その方が美しいから(素数について考えているのだから)だと言う結論に至りつつある。
オイラー積、リーマンのゼータ関数、エラトステネスのふるいの関連については、またそのうち書きたいと思います。
2011年4月4日月曜日
勉強の仕方、復習の仕方
私は、昨日生徒を授業中に泣かせてしまいました。
どうして泣かしてしまったのか。
その概要を話すために、具体的例も混ぜながら書いてみます。
という、前提があります。
そこで、無限級数の問題。(私が2問ほど、手本に解いた状態)
部分分数分解を使う問題が出てきた。
もちろん、無限級数のそれぞれの項に当たる一般項を求め、部分和を求めて極限を取ると言う操作自体は覚えている。
しかし、一般項を求めた時点で、その一般項の極限
を無意識でしようとする。
まぁ、よくある話なのだが、目標がnで表される何かだと思い一般項にもnが含まれてるからと勘違いしたんだろう…。
それは仕方ないなと、思いながら次の部分和
を求める。
ここで、止まる。数列の復習をしていれば、「いろいろな数列の和」などで扱う部分分数分解をして、処理して上手く消して部分和を求める。
これがスムーズに出来ない。しまいには、それぞれの項を出し、通分していこうとしていた。
そこで、私はストップをかけ、「数列の復習はしたんだよね?部分分数分解という言葉は、覚えてる?」
その呼びかけに対し、無言というか、首を傾げる。
「復習は、どうやってやってるの?」と聞くと、一枚のプリントを持ち出した。
そのプリントには、等差・等比数列の一般項、和。∑の計算の仕方。階差数列の一般項の出し方。
等比型の漸化式の解き方、数学的帰納法の解き方。教科書を丸写ししたかの様な、公式を羅列したものだった。
「こういうプリントを作って、問題は解いたの?」と聞くと、「解いてないです。どの公式が部分分数分解ですか?」
と聞き返されたので、「このプリントには乗ってないね」というと、「じゃあ、どこの教科書を写せばいいですか?」と言う。
そこで、ちょっとキツイけども「こんなプリントを作っても、復習とは言わないよ」と言うと黙りこむ。
「復習って言うのは、その問題・単元が解けるようになって、初めて復習が終わった・出来たと言うんじゃないかな?」
というと、顔を背ける。
「そうじゃない?こんな公式を書いて覚えるだけで、満足?問題が解けて、初めて満足できるし、次に進めるんじゃないかな?」というと、泣き出してしまった。
泣きながら、「だって、他の先生がノートに公式を書けって…」というから、「確かに公式を一箇所にまとめるというのはいいと思うけど、それが使いこなせて、数列だったら数列に関する問題が完璧とまでは行かなくても、9割解けるぐらいになってようやく、復習できたと言うでしょう?現に、数学Bで習う部分分数分解をして和を求めるという問題が解けていないんだから、復習が出来ていないんだよ。」
ここで、5分ぐらいは、気持ちが滅入ったのだと思うけど、声が出せないような泣き方になったので、いろんな話を横でしてた。
部活動でも、料理でも、何でもそうじゃないかなって言う話。次のステップに進むには、そのためにはと。
頭を立てに振ったり、横に振ったりは出来てたので、質問しながら話をしていた。
それから生徒が「じゃあ、復習の仕方、勉強の仕方ってどうすればいいんですか?」と聞いてきた。
私は、「そんなの王道が一つあるわけじゃないし、君に合うやり方があるはずだよ。公式をまとめて、全部完璧にこなせる人も居れば、出来ない人も居る。自分で勉強方法は見つけなきゃいけない。そのために、私たち先生は、アイディアを出したりする。けど、それがいつでもあなたにあった勉強方法で、復習ができる、勉強ができるようになるかはやってみた本人じゃないと分かんない。」
生徒は首を傾げ、「じゃあ、私どうしたらいいのか分からない。」と。
「じゃあ、今日は残りの時間を使って、あなたに合いそうな勉強方法を考えよう。」とした。
この後、それを30分から40分して、授業は終わった。「明日(4月4日)、どうやって復習して、どうなったか聞くからね」と聞いたら「はい、大丈夫です。頑張ります。」と答えてくれた。
良かったよかったと。
さて、ここでですが、途中の太字部分が今回考えたいことです。
私は常々このように考えています。勉強法・復習法に完璧な解答はないと思ってます。
人間の生き方、人生の歩み方に完璧な解答がないのと同じぐらいそう思っています。
もうちょっと進んだ(分別のある人に対してなら)、宗教とは違うという話もします。
もちろん、ある程度の決まりごとはあるはずです。人生の歩み方で、人を殺めてしまっては、人道を外れていると言われるのと同じぐらいに。
そのある程度の決まりごとにも、いくつかのケースはあります。
復習をし、前までのステップ全てが分からないと、次のステップに進んじゃダメかと言えば、そうではないと思います。
少し、次のステップに進んでみたら、前のステップのある部分が見えたりすると思います。
そうして、体系を整えていくんじゃないんでしょうか。
今回のことで言えば、部分分数分解の基本が見えないのは、ご法度です。でも、部分分数分解でも、かなりややこしい問題は、解けなくてもいいと思っています。
例えば、こんな問題です。
こんな問題が、今高校3年生になったばかりの生徒は解けなくても良いと思っています。
(もちろん、難関校受験をする人なら、そのうちマスターして欲しいですが)
だから、本屋などに「勉強法の極意!」みたいなのがあると、ムッとして、手に取って読んでみます。
まぁすると、大体書いていることは、「そうすれば出来そうだな」と思うようなことが多いです。
けど、そう言う本も大体「勉強の仕方は幾つかあることを」明示させています。
私が今欲しいのは、「成功法」より「失敗法」なんじゃないかと思いますけどね。
どうしたら失敗するのかというのは、非常に重要で、なぜダメだったかを考えた方が、次に繋げられるはずです。
なぜ成功したのか。というのは、なかなかに「運」に頼ってるものもありますからね。
例えば、最近聞いた話だと、どうして教員採用に受かったのか。
その先生はこう言いました。「私立の中学・高校で、その学校の校長が私の親戚だった」と。
そんなの聞いても、どうしようもないですからね、私たち。
だから、もしこの記事を受験生が見たのなら、今の勉強法・復習法を見直して、果たしてこれが正解かとか考えるのではなく、どこに失敗する要因があるのだろうかと考えた方が良いと思いますよ。
大体自分の思ったように、知識・学力がついてなかったら、どこかに要因があることが多いと思います。
もちろん、時間をかけてじっくりやらなければならないこともありますが、高校の勉強に限っては、そこまで長く辛抱強く、粘ってようやく獲得できるものというのはないでしょう。
せいぜい1ヶ月,2ヶ月で、半年や1年はないです。1ヶ月,2ヶ月やってみて、何か力ついてないなーと思ったら、今一度見直しましょう。
客観的に見てもらうためにも、他人に相談するのもいい事だと思います。
そういう時に、同い年、先輩、はたまた先生。何人かに聞いてみることは大事です。
誰か信頼できる1人に…と思うかも知れませんが、それじゃ客観性はあまり得られないと思いますよ。
頑張りましょう。僕も頑張ります。
私は、昨日生徒を授業中に泣かせてしまいました。
どうして泣かしてしまったのか。
その概要を話すために、具体的例も混ぜながら書いてみます。
授業中の単元は、数学Ⅲの極限。
4月2日に数列の極限、4月3日(昨日)で無限級数の話をしていたときのことだった。
説明を一通り済ませ、問題演習に移るところ。
ちなみに、それまでに私は「数列の復習をしておくこと、数Ⅲの最初で躓くことになるから」
と伝え「数列の復習」をすることを意識させた。
本人もそれを覚えており、4月2日から「数列の復習しましたよ!」と張り切っていた。
という、前提があります。
そこで、無限級数の問題。(私が2問ほど、手本に解いた状態)
部分分数分解を使う問題が出てきた。
もちろん、無限級数のそれぞれの項に当たる一般項を求め、部分和を求めて極限を取ると言う操作自体は覚えている。
しかし、一般項を求めた時点で、その一般項の極限
まぁ、よくある話なのだが、目標がnで表される何かだと思い一般項にもnが含まれてるからと勘違いしたんだろう…。
それは仕方ないなと、思いながら次の部分和
ここで、止まる。数列の復習をしていれば、「いろいろな数列の和」などで扱う部分分数分解をして、処理して上手く消して部分和を求める。
これがスムーズに出来ない。しまいには、それぞれの項を出し、通分していこうとしていた。
そこで、私はストップをかけ、「数列の復習はしたんだよね?部分分数分解という言葉は、覚えてる?」
その呼びかけに対し、無言というか、首を傾げる。
「復習は、どうやってやってるの?」と聞くと、一枚のプリントを持ち出した。
そのプリントには、等差・等比数列の一般項、和。∑の計算の仕方。階差数列の一般項の出し方。
等比型の漸化式の解き方、数学的帰納法の解き方。教科書を丸写ししたかの様な、公式を羅列したものだった。
「こういうプリントを作って、問題は解いたの?」と聞くと、「解いてないです。どの公式が部分分数分解ですか?」
と聞き返されたので、「このプリントには乗ってないね」というと、「じゃあ、どこの教科書を写せばいいですか?」と言う。
そこで、ちょっとキツイけども「こんなプリントを作っても、復習とは言わないよ」と言うと黙りこむ。
「復習って言うのは、その問題・単元が解けるようになって、初めて復習が終わった・出来たと言うんじゃないかな?」
というと、顔を背ける。
「そうじゃない?こんな公式を書いて覚えるだけで、満足?問題が解けて、初めて満足できるし、次に進めるんじゃないかな?」というと、泣き出してしまった。
泣きながら、「だって、他の先生がノートに公式を書けって…」というから、「確かに公式を一箇所にまとめるというのはいいと思うけど、それが使いこなせて、数列だったら数列に関する問題が完璧とまでは行かなくても、9割解けるぐらいになってようやく、復習できたと言うでしょう?現に、数学Bで習う部分分数分解をして和を求めるという問題が解けていないんだから、復習が出来ていないんだよ。」
ここで、5分ぐらいは、気持ちが滅入ったのだと思うけど、声が出せないような泣き方になったので、いろんな話を横でしてた。
部活動でも、料理でも、何でもそうじゃないかなって言う話。次のステップに進むには、そのためにはと。
頭を立てに振ったり、横に振ったりは出来てたので、質問しながら話をしていた。
それから生徒が「じゃあ、復習の仕方、勉強の仕方ってどうすればいいんですか?」と聞いてきた。
私は、「そんなの王道が一つあるわけじゃないし、君に合うやり方があるはずだよ。公式をまとめて、全部完璧にこなせる人も居れば、出来ない人も居る。自分で勉強方法は見つけなきゃいけない。そのために、私たち先生は、アイディアを出したりする。けど、それがいつでもあなたにあった勉強方法で、復習ができる、勉強ができるようになるかはやってみた本人じゃないと分かんない。」
生徒は首を傾げ、「じゃあ、私どうしたらいいのか分からない。」と。
「じゃあ、今日は残りの時間を使って、あなたに合いそうな勉強方法を考えよう。」とした。
この後、それを30分から40分して、授業は終わった。「明日(4月4日)、どうやって復習して、どうなったか聞くからね」と聞いたら「はい、大丈夫です。頑張ります。」と答えてくれた。
良かったよかったと。
さて、ここでですが、途中の太字部分が今回考えたいことです。
私は常々このように考えています。勉強法・復習法に完璧な解答はないと思ってます。
人間の生き方、人生の歩み方に完璧な解答がないのと同じぐらいそう思っています。
もうちょっと進んだ(分別のある人に対してなら)、宗教とは違うという話もします。
もちろん、ある程度の決まりごとはあるはずです。人生の歩み方で、人を殺めてしまっては、人道を外れていると言われるのと同じぐらいに。
そのある程度の決まりごとにも、いくつかのケースはあります。
復習をし、前までのステップ全てが分からないと、次のステップに進んじゃダメかと言えば、そうではないと思います。
少し、次のステップに進んでみたら、前のステップのある部分が見えたりすると思います。
そうして、体系を整えていくんじゃないんでしょうか。
今回のことで言えば、部分分数分解の基本が見えないのは、ご法度です。でも、部分分数分解でも、かなりややこしい問題は、解けなくてもいいと思っています。
例えば、こんな問題です。
こんな問題が、今高校3年生になったばかりの生徒は解けなくても良いと思っています。
(もちろん、難関校受験をする人なら、そのうちマスターして欲しいですが)
だから、本屋などに「勉強法の極意!」みたいなのがあると、ムッとして、手に取って読んでみます。
まぁすると、大体書いていることは、「そうすれば出来そうだな」と思うようなことが多いです。
けど、そう言う本も大体「勉強の仕方は幾つかあることを」明示させています。
私が今欲しいのは、「成功法」より「失敗法」なんじゃないかと思いますけどね。
どうしたら失敗するのかというのは、非常に重要で、なぜダメだったかを考えた方が、次に繋げられるはずです。
なぜ成功したのか。というのは、なかなかに「運」に頼ってるものもありますからね。
例えば、最近聞いた話だと、どうして教員採用に受かったのか。
その先生はこう言いました。「私立の中学・高校で、その学校の校長が私の親戚だった」と。
そんなの聞いても、どうしようもないですからね、私たち。
だから、もしこの記事を受験生が見たのなら、今の勉強法・復習法を見直して、果たしてこれが正解かとか考えるのではなく、どこに失敗する要因があるのだろうかと考えた方が良いと思いますよ。
大体自分の思ったように、知識・学力がついてなかったら、どこかに要因があることが多いと思います。
もちろん、時間をかけてじっくりやらなければならないこともありますが、高校の勉強に限っては、そこまで長く辛抱強く、粘ってようやく獲得できるものというのはないでしょう。
せいぜい1ヶ月,2ヶ月で、半年や1年はないです。1ヶ月,2ヶ月やってみて、何か力ついてないなーと思ったら、今一度見直しましょう。
客観的に見てもらうためにも、他人に相談するのもいい事だと思います。
そういう時に、同い年、先輩、はたまた先生。何人かに聞いてみることは大事です。
誰か信頼できる1人に…と思うかも知れませんが、それじゃ客観性はあまり得られないと思いますよ。
頑張りましょう。僕も頑張ります。
2011年4月1日金曜日
昨日の夜にasahi.comさんで見たニュースについて考えてみようと思います。
この記事について、私なりに考えてみようと思います。
twitterの方でも若干触れましたが、それも再度書いて行きます。
私は、この行為・政策に反対です。
もしかすると、この記事を読んだ人には、「立派なことじゃないか!ボランティアこそ…云々」とあるかも知れない。
だが、良く考えて欲しい。ボランティア活動自体は、私は良いことだと思うし、ボランティアの知識、または
現地で振り分けをする状態が整っていれば、学生を含む、ボランティアの知識がない人でも、参加すればいいと思う。
しかし、それと大学の単位は、全く別物に思える。
「そりゃ、数学科だからでしょ?福祉系や、介護などの学生なら話は別では?」
とあるかも知れない。しかし、それもおかしい。
大学の講義までを捨てて、ボランティア活動に勤しむのは、その人の問題で、そういう活動に興味があり、将来海外青年協力隊などになりたいというのなら、是非やるべきだろうと思う。
だが、それと単位認定がどう結びつくのか。
では、教員になりたい人は、教育実習や、塾講師などの実践を積んだ方が良くて、座学という物に意味が無いと言っているのとほぼ同じである。
座学と実習は、違う。そもそも、大学の講義というものが無意味だと言っている気がしてならない。
まぁ、大学の講義を代返や、自主休講をしている人よりも、ボランティア活動をしている人の方が、良い学生であるかも知れないが、それと単位認定は、話が違うだろう。
被災者への「特別単位認定」なども、今後合ってはならないと私は思う。
それこそ、平等のものじゃなくなる。
例えば、「特別対策」として、普段は課さない、レポートなどで、単位を認定するなどなら分かるが…。
どうも、今日の教育状態は、波乱万丈ですね。
教科書が厚くなったと、盛り上がっている人たちも、私にはよく分かりませんが。
さて、話は変わりまして、教育実習先から連絡が一向に来ない。
2月20日ぐらいに電話して、3月に折り返し連絡をすると言われていたのだが…。
なんというか、企業などに比べて、公務員というのは、いい加減な気がします。
首・倒産というものが無いからなのか…。
前にも話しましたが、この折り返し連絡事件は、もう3回ほど実習先とやっています。
私の携帯の電話番号は、向こう側に3回も結果的に伝えていることになるんですよ…。
震災ボランティアの単位認定、全大学に要請へ 文科省掲載元:asahi.com
文部科学省は全国の国公私立大学に対し、学生が東日本大震災の被災者支援ボランティアに参加した場合、その活動を大学の単位として認めるよう要請する方針を固めた。震災から約3週間がたち、被災地でも徐々にボランティアの受け入れ態勢が整うなか、学生による被災地支援の動きを後押しするねらいがある。
今週中にも各大学に、ボランティア活動を単位認定すること▽ボランティア活動のため休学する学生について、その間の授業料を免除すること▽保険に加入してケガなどに備えるよう学生に周知徹底することを求める文書を出す。
東日本大震災の発生当初は、被災地で食料やガソリンなどが不足し、ボランティアの学生が大勢で現地入りした場合、被災者に行き渡るべき物資を学生が消費してしまう懸念があった。
また、各地から支援に集まってきた人たちに仕事を割り振るボランティアセンター機能も整備されておらず、「募集がかかるまでは現地に行かなくてもできる支援活動を」(明治大学)と、被災地入りを自粛するよう学生に呼びかける大学もあった。
その後、被災地では物資不足は完全に解消されていないものの、被災各県のホームページなどでボランティアの募集が始まり、春休み中の学生たちが相次いで現地で活動を始めている。こうした状況から、文科省は学生のボランティア参加を推奨するねらいを込めて、通知を出すことにした。(青池学)
この記事について、私なりに考えてみようと思います。
twitterの方でも若干触れましたが、それも再度書いて行きます。
私は、この行為・政策に反対です。
もしかすると、この記事を読んだ人には、「立派なことじゃないか!ボランティアこそ…云々」とあるかも知れない。
だが、良く考えて欲しい。ボランティア活動自体は、私は良いことだと思うし、ボランティアの知識、または
現地で振り分けをする状態が整っていれば、学生を含む、ボランティアの知識がない人でも、参加すればいいと思う。
しかし、それと大学の単位は、全く別物に思える。
「そりゃ、数学科だからでしょ?福祉系や、介護などの学生なら話は別では?」
とあるかも知れない。しかし、それもおかしい。
大学の講義までを捨てて、ボランティア活動に勤しむのは、その人の問題で、そういう活動に興味があり、将来海外青年協力隊などになりたいというのなら、是非やるべきだろうと思う。
だが、それと単位認定がどう結びつくのか。
では、教員になりたい人は、教育実習や、塾講師などの実践を積んだ方が良くて、座学という物に意味が無いと言っているのとほぼ同じである。
座学と実習は、違う。そもそも、大学の講義というものが無意味だと言っている気がしてならない。
まぁ、大学の講義を代返や、自主休講をしている人よりも、ボランティア活動をしている人の方が、良い学生であるかも知れないが、それと単位認定は、話が違うだろう。
被災者への「特別単位認定」なども、今後合ってはならないと私は思う。
それこそ、平等のものじゃなくなる。
例えば、「特別対策」として、普段は課さない、レポートなどで、単位を認定するなどなら分かるが…。
どうも、今日の教育状態は、波乱万丈ですね。
教科書が厚くなったと、盛り上がっている人たちも、私にはよく分かりませんが。
さて、話は変わりまして、教育実習先から連絡が一向に来ない。
2月20日ぐらいに電話して、3月に折り返し連絡をすると言われていたのだが…。
なんというか、企業などに比べて、公務員というのは、いい加減な気がします。
首・倒産というものが無いからなのか…。
前にも話しましたが、この折り返し連絡事件は、もう3回ほど実習先とやっています。
私の携帯の電話番号は、向こう側に3回も結果的に伝えていることになるんですよ…。
2011年3月30日水曜日
早速ですが、集合論の復習と課題(未来の私への、今は未解決)をしてみます。
出典は、すべて森田茂之『集合と位相空間』 朝倉書店の本からです。
第1章 集合の章末問題より、問題番号そのままにして抜き出してみます。
1.5 可算の濃度
は最小の無限濃度であることを示せ.
1.6 例1.19の主張を証明せよ.
1.7 任意の無限濃度mに対して
が成立することを証明せよ.これを用いて無理数全体の集合の濃度は
であることを示せ.代数的でない数を超越数という.超越数全体の集合の濃度も
であることを示せ.
1.8 任意の区間(開区間,閉区間,半開区間)の濃度は
であることを証明せよ.
[所々画像になるのは,imgでの数式の呼び出しは,TeXの数式内と同じで日本語が使えないため...?]
この4題を選んだのは、それぞれにつながりがあったからです。
さて、ここまで書いて思うのですが、数式だけならまだしも、日本語文章と数式が混在するものを書くのは非常に辛い。
ということで、後日TeXで改めて書きなおそうと思います。
未来の私への課題だけ書いておきます。
1.6 濃度0を無限の濃度にかけると...? (有限の濃度m,nなら,mnは成立するが...)
1.7 超越数全体の集合をどう書けば良いのか.(複素数は代数的か超越的か一意に決まらない...)
n次代数方程式の解は高々n個であることを使い,上手く表現すればいいのか...?
出典は、すべて森田茂之『集合と位相空間』 朝倉書店の本からです。
第1章 集合の章末問題より、問題番号そのままにして抜き出してみます。
1.5 可算の濃度
1.6 例1.19の主張を証明せよ.
例1.19 有限の濃度の場合と異なり,無限の濃度に有限の濃度を加えたり,あるいは0以外の有限の濃度をかけても濃度は変わらない.
1.7 任意の無限濃度mに対して
1.8 任意の区間(開区間,閉区間,半開区間)の濃度は
[所々画像になるのは,imgでの数式の呼び出しは,TeXの数式内と同じで日本語が使えないため...?]
この4題を選んだのは、それぞれにつながりがあったからです。
さて、ここまで書いて思うのですが、数式だけならまだしも、日本語文章と数式が混在するものを書くのは非常に辛い。
ということで、後日TeXで改めて書きなおそうと思います。
未来の私への課題だけ書いておきます。
1.6 濃度0を無限の濃度にかけると...? (有限の濃度m,nなら,mnは成立するが...)
1.7 超越数全体の集合をどう書けば良いのか.(複素数は代数的か超越的か一意に決まらない...)
n次代数方程式の解は高々n個であることを使い,上手く表現すればいいのか...?
2011年3月29日火曜日
こんにちは

ということで、大学4年生になったと同時にブログを始めて見ようと思います
また、GoogleのGoogle Chart Code APIを使う練習も兼ねて
数式もバシバシ書いていこうと思います
わざわざTeXを打ち込み、pdfや画像ファイルに変換せずに
数式を気軽に書くことが出来て非常に便利ですね
詳しくは、名古屋大学の奥村先生のこちらのページを見てみると分かりやすいかも知れません
まぁ英語を読む練習にもなって、一石二鳥だと思うので、頑張ります
それでは、今日はこの辺で。
ということで、大学4年生になったと同時にブログを始めて見ようと思います
また、GoogleのGoogle Chart Code APIを使う練習も兼ねて
数式もバシバシ書いていこうと思います
わざわざTeXを打ち込み、pdfや画像ファイルに変換せずに
数式を気軽に書くことが出来て非常に便利ですね
詳しくは、名古屋大学の奥村先生のこちらのページを見てみると分かりやすいかも知れません
まぁ英語を読む練習にもなって、一石二鳥だと思うので、頑張ります
それでは、今日はこの辺で。
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